組織発酵学「人材育成を主目的にするな!」
発酵の世界と、人材育成の世界を見比べてみると、驚くほど共通点が多い。
例えば、以前の記事にも書いたが、成長(発酵)し始めは変化が見えにくい、であったり、成長(発酵)は、外からの刺激よりも、菌(人)自身が持つ「内なる意欲(発酵)」が大切である。
そんな、共通点のうち、今日は1つの視点をお伝えしたい。
それは、発酵も「発酵することが目的ではない」ように、「人材育成もそれ自体を目的化するのではない」という話だ。私もこの人材育成業界で20年、色々な成功パターンと失敗ケースを見てきた。
そこから言えることは、人材育成自体を看板として、目的として実施すると、ズレる、ということだ。
どうだろう。人材育成という言葉に、胡散臭さ、気持ち悪さを感じないだろうか?
何か、良さそうなことをしている感
何か、ためになることをしている感
何か、他者貢献しているからこその偽善的な優越感、本質喪失感
そんなことを感じないだろうか?
私は、おおいに違和感を感じる
人材育成を目的化した時点で「教える側」「学ぶ側」が構造化する。
この二極化は、依存と慢心を生む。
学ぶ側は、これを知っておけばいいんだろう、という依存
教える側は、教えてやっている、正解はこれだ、という慢心
少なからず、そんな匂いを発していないだろうか?
そして、学ぶ側も人材育成をさせられている、という匂いを嗅ぎつける。そんなネガティブな状態で、気付きや意識変容は起こるのだろうか?
だったら、オマエは人材育成をどういった目的で行っているのか?
疑問を持つだろう、お叱りを受けるだろう
私の今の答えはコレだ
「人材育成は、主目的ではない。何かを目指す中での副産物であることが最善である」
例えば、社内の業務改善プロジェクトを通じて、結果的にリーダーが発掘されて意識も行動も変わった、新商品開発プロジェクトする中で、既存の開発メンバーにない新しい新商品コンセプトが生まれ、結果、開発メンバーもプロジェクトメンバーも、ノウハウ、知恵が増えた
そんな結果、過去の実例が沢山ある。
剣道や茶道などの「道」もそれで勝つことや優れること自体を目的としていない。そのプロセスの中で人間性を磨くことが目的である。
逆に、人材育成を主目的とした「研修」の方が、よっぽど胡散臭い
(言ってしまった、、、苦笑)
と思うのである。
菌の発酵も、菌自体は発酵していくことが目的ではある。
しかし、菌はただ生きているだけである。
お酒や味噌のような発酵食品を作ることを目的として彼らは生きているのではない。だから、菌にとって発酵はただ生きていることであって、そこからでる変化は副産物なのである。
ただ生きている
それが結果として発酵食品へと繋がっていくのである。
人材育成も、主目的と副産物の意味を考えて設計してみてはどうだろうか?
Brew株式会社
原 佳弘
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