twitterアーカイブ+: アバター人身売買騒動に寄せて:人権の範囲

事態の認知

 2010年代の後半から2020年にかけての美少女表象をめぐる炎上案件は、私にとってほとんど千本ノックの様相を呈していた。異常な頻度で勃発する実存を賭けた闘争、炎上に次ぐ炎上、擁護に次ぐ擁護、その中で私自身の理論も洗練されたと思っている。

 2020年9月の「美少女アバターは人身売買」騒動もそのうちの一幕であったが、これは珍しく表現擁護派の優勢のうちに終結した騒動である。早期に政治家が動いたことよりも、相手が後ろ盾を持たない個人であったことの方が結果に影響したと私は思う。何にせよこれは「美少女とは何か」という現代文化にとって(ひいては人類史にとって)根源的な問いに直結する議論であり、VRに縁のなかった私も意見を表明した。

人権の範囲

 顔と物語さえあれば、それは人間であるかのようにはたらく(画像は『神のみぞ知るセカイ12』)。むしろ人間は、対象を一旦人間とみなさなければ何事も理解することができない。その想像力が神を生み、共同体を生み、文明を生んできた。キャラクター文化は人間のこの性質を自覚的に利用する。

若木民喜『神のみぞ知るセカイ12』
若木民喜『神のみぞ知るセカイ12』

 人間が何にでも人間を見出してしまうからこそ、人身売買の概念を無節操に拡大してはならない。それは人類の知的営みの全てを否定することだ。言い換えれば、我々は「人間のようでありながら、人権が適用されない存在」というものを司法において決めておかなければ何もできない。

「二次元美少女は人間の女性のn次創作であるから、“公式”の定めるガイドラインに従わなければならない」という主張があるが、この主張は当然に却下される。人間の女性という集団の“公式”ガイドラインは存在せず、全体主義を戒める観点から、存在してはならない。個人だけが“公式”となることができる。

 VRアバターについての今回の言いがかりは「女性性の簒奪」文脈に属するものだが、アバターには「演じる」という側面が強くあるのだから、これは欧米の映画界が黒人にのみ黒人役をやらせるのと全く同じ構造だ。よって、文化盗用概念やアファーマティブ・アクションを批判するのと同じ理屈で対抗できる。

(補足)「演じる」という捉え方が適切かどうか、という点については後述する。

 文化盗用概念への批判は、概ね次の三通りだ。――誰が盗用を禁じるのかという問題、「文化には著作権者がいない」説。盗用を禁じることによる弊害、「表現の幅を出自によって制限することは差別」説。文化を遺伝子に喩えて、「ゆらぎながら広まってこそ文化の力を強められる」説。他にあるだろうか?

 人身売買という言葉が独り歩きしているが、今回の争点はアバターが人か否かではなく、「アバターは誰のものか」という話だろう。そしてその背景にはいつもの、キャラクター表現による性差別の再生産(そんなものはないのだが)の話がある。彼らは「女性表象の不正使用」を止めさせたいわけだからな。

(補足)最初の発言が「人間の範囲」から始まったのにこの発言があるため、私が何をこの件の争点と考えているかがやや分かりづらいかもしれない。私はまずアバター(モデルデータ)そのものは人権の主体ではないということを確認した上で、アバター自体が持つ権利ではなく物理現実の女性の権利とどう衝突するかが問題である、と述べている。

 男性もフェミニズムの文脈から「なぜ美少女でなければならないのか?」と問われ続けているし、自ら積極的に「これがなぜ萌えるのか」「なぜエロを感じるのか」を議論してもいる。個々人がそのような自問自答をすること自体が、己を知って欲望を御する訓練、という社会的意義を生む。

(補足)この発言はやや唐突だが、仮に美少女表象を使うことが女性性の簒奪だとしてもなお、そこにはむしろ現実の性差別などの問題を解決する糸口がある、という趣旨だ。

 人権は、身体や容姿に対して賦与されているものではない。VRアバターに人権はない。もしもあるとすると、性的・暴力的表現に関して自然人と同じ制約を受けることになる。人権を有しているのはアバターを使う人間であり、あくまで人間の幸福追求権を基礎としてアバターの使用を擁護するべきだ。

 仮に使用者ではなく絵や3Dモデルそのものに人権があるなら、例えば、荻野稔がおぎのみのりのエロ絵を描けば、これはおぎのみのりに同意なくなされるレイプとなる。同じ理由で、物理肉体の手術や化粧もできなくなるだろう。人間のあらゆる活動のために、人権は人間の権利でなくてはならない。

「人間とは何か」のラインを弄ることによってのみ、人権の範囲を操作することができる。もし人権を拡張したいのなら、それ相応の労力を、人類という枠組みのアップデートを全人類に強いるだけの手間と金と時間をかけよ。

訂正:演技の文脈で語ることは適切か?

 ここで「演じる」と言ったのは確かに適切でないな。キャラロールがあるタイプのVtuberを念頭に置き過ぎていた。個人勢の配信やVRCが舞台であるなら、あくまでアイデンティティの問題として、ジェンダーから切り離されたKawaii概念を強調するのが筋か。

 キャラロールがあるかないか、というのも明確に区別できるものではない。人間は皆、自分の設定と脚本とデザインに沿って動きながらそれを動的に書き換えていくキャラだ。結局は各人のアイデンティティと、設定・脚本・デザイン担当者の権利との兼ね合いで判断するしかない。

 未来、物理空間での女装とVR空間での美少女アバター使用が完全に普及した世界では、幼児が生まれて初めて認識する「かわいい」は、時には中年男性や男性ロボットであるかもしれん。人類はもはや「かわいい=女」という結びつきを忘れ去るのだろう。女装や美少女という言葉も消滅するに違いない。

人権ふたたび

 今回の件の本質ではないが、改めて言う。それと結婚する人がいようが、それを物理肉体よりも大切に思う人がいようが、絵や人形やVRアバターに人権はない。人権の範囲を拡大することは、人権侵害の範囲を拡大することでもある。非実在青少年を進んで復活させようとするな。

 人権は、身体や容姿に対して賦与されているものではない。VRアバターに人権はない。もしもあるとすると、性的・暴力的表現に関して自然人と同じ制約を受けることになる。人権を有しているのはアバターを使う人間であり、あくまで人間の幸福追求権を基礎としてアバターの使用を擁護するべきだ。

 今回の件は「女性性の不正使用」という発想を背景として火がつけられているから、我々は粛々と「アバターは女性であるか」「女性であるとして、このような使用は不正使用であるか」「不正使用であるとしても、これは阻却・免責されるべきものではないか」を議論すればよい。

(補足)このような議論のためには、難波優輝『ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか』が参考になるだろう。表象の倫理的問題が、「作品のレベル」「使用のレベル」「状況のレベル」「帰結のレベル」のどの水準に属するのかを明らかにすることを提案している。

https://lichtung.hatenablog.com/entry/how-to-say-pornography-wrong%3F

その後

 短期間で終結した騒動ではあるが、VRという成長市場が舞台となったためか、それとも公的な意見表明や社会通念の根本的な変革を伴わずに終わってしまったためか、この議論はその後も度々蒸し返される。あるいは私が蒸し返す。

その後1:メタバース関連政策提言

操刷「正確には「美少女アバターは人身売買」で、二年前の時点でおぎの稔議員が取り上げています。美少女「になる」ことを巡る話は、「美少女キャラクターとは何か」という根本的な問いが逃れようもなく剥き出しになる局面であり、これに勝つことは創作物規制に勝つことです。 https://ogino.link/2020/09/9202/

 美少女は確かに人間の女性から生まれた。しかし、それは単に歴史的経緯に過ぎない。また、美少女になりたいという欲望は「女性を所有したい」という欲望(ただし、断られずセックスしたいという単純かつ即物的なものではない;後述)に支えられている。しかし、いずれそうではなくなる。

 美少女になりたいという欲望を支える「女性を所有したい」という欲望の意味するところは、自分がどうしようもなく惹かれるものが得られない苦しみから解放されたいということだ。それはセックスできない苦しみではない。姿を見ること、声を聞くこと、近くに寄ること、関係を持つことが渇望されている。

 美少女とは現実の女性を丸ごと模したものではなく、その好ましい要素を抽出して組み合わせたものだ。現実の人間に本来宿っている人格のようなものはそこには欠けている。人格がない(想定されない)なら、どのように扱っても倫理的問題はない。美少女とは性欲におけるヴィーガンミートだと思え。

 人格のようなものが必要であれば、我々はそこに物語や自分自身を入れることで人格を込める。そこには、生身の女性を好きなように使うと倫理的問題があるという良識と、自分自身の心身や人間関係であれば好きなように使っていいという自己決定権の意識が大前提としてある。

 我々には美少女が人工物であるという自覚が常にある。厳しい内省と技術的研鑽によって作られた芸術であるという自覚が。我々は本当は相手に人格など求めていない、実際に人格を持つ相手を愛してしまうまでは、という自覚が。その自覚がある我々は、ない者たちより上だ。

 天然肉がヴィーガンミートに対して「アイデンティティの侵害」と異議申し立てをしているのが、女性と美少女を巡る今の状況だ。ミュウとミュウツーでもいい。蛇と蛇口でもいい。しかも人工物の側は世代を経て見た目も機能も天然物から乖離しているため、天然物の同一性を侵しているとももはや言い難い。

(補足)ここで「肉」という言葉は、人格を無視され性行為の機能のみを求められた対象という意味では使っていない。ただ、後に挙げたミュウとミュウツーや蛇と蛇口の喩えは単なる「天然物と人工物」の構図だが、食用肉に喩えると「人間の欲求によって、天然か人工のどちらにせよ、求めずにはいられない」という要素が付け加わるため、女性と美少女の関係を表現するにはより的確ではある。

 アイデンティティ侵害への申し立てなのではなく、既得権の危機への申し立てなのだ、という分析はもちろんある。だが、表現抑圧者らは決してそうとは言うまい。また私も、「美少女があれば現実の女性への需要はなくなる」とは言わない。ただ、生身で需要がないなら、美少女を使えばいいのではないか?

 残る問題は「女性の諸要素の集合である美少女を私物化することで、オリジナルである女性への支配欲を正当化するのではないか?」という批判だが、先述の通り我々には美少女が人工物であるという自覚がある。また、人工物を使って様々な欲望を安全に試すことは、むしろ理性の学びとなるだろう。

 そして――これらのことは、いずれ全て過去の遺物になる。美少女が片方の性から生まれたこと、女性的な諸要素への渇望を埋めるために美少女が望まれていたこと、全てただの昔話になる。時は進み、今まだいない人間たちが生まれ、今いる世代が持つ欠落をもはや持たない世代が現れる。

 その時代を迎えるために克服すべき障害を二つ挙げておこう。一つはVRデバイスの年齢制限。人間には、異性への関心が高まる時期が眼球の発達が終わる時期よりも早く来る。つまり、VRの美少女アバターは異性の諸要素に触れられないことの苦痛を完全には解消できない。眼科技術か代替メディアが頼りだ。

 もう一つは「美少女」という名称が「女」の文字を含んでいることだ。これは既に問題と認識されていながらも直すことのできない今日の人類の怠慢であり、「kawaii」でも「対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」でも「ねむ」でも何でも、とにかく正しい認識のために改称すべきだ。

その後2:『生徒会にも穴はある!』騒動

『生徒会にも穴はある!』について、「これは男なので問題ない」という擁護をしている者がいるが、やめよ。言えば言うほど、敵を理解していないことが露見する。表現抑圧者らは、我々の「これはフィクションの美少女であって、女ではないので、問題ない」という主張を何十年も黙殺し続けているのだ。

 ブリジットの件で「男の娘は美少女に含まれる」というテーゼを再確認している今この時に、「男だから美少女に向けられる非難の論理はあたらない」などとどの口で言う? 美少女を正面切って擁護することから逃げてはならない。人類の知的生命体としてのより良い未来を望むのならな。

 VRの美少女アバターの件とも同じだ。「これ、中身は男ですよ」で表現抑圧者らが黙るか? 黙らない! 人身売買呼ばわりする! 現代の表現規制論争は表象の論争、絵柄の論争、それらが駆り立てる欲望の論争であり、「男性にあてがわれるもの」に見える全てのものは攻撃されると知れ。

 ここで括弧付きの“「男性にあてがわれるもの」”とは、より正確には、“男性にあてがわれるべきものだと男性が考えているだろう、と表現抑圧者らが考えているもの”を意味する。また、“〜に見える”とは、“男性にそう見えているだろう、と表現抑圧者らに見えている”ことを意味する。

 全ての表現は攻撃されると知れ。攻撃されない聖域のようなカテゴリーがあって、それに含まれることができれば安心であるなどということはあり得ない。むしろ、逃げ込めば逃げ込んだ先が「有害表現の隠れ蓑として使われている」などとして新たに標的になる。逃げることは抑圧に加担することを意味する。

 典型例は性表現だが、「これは性表現ではない」と言うことは性表現を守ることではない。どころか、抑圧の矛先を性表現へと押し付け、ただでさえ絶え間ない攻撃に晒されている性表現にさらに負担を強いることになる。性表現を糸口として新たに規制法や悪い慣習ができれば、全ての表現の自由を脅かす。

性表現を正面から擁護するのが難しい? 理論はある(https://twitter.com/sosatsuhoshi/status/1356090386918166531?t=seAUB0UvBKSSnCP6QhMwKg&s=19…)。それでも難しいなら、金や声を出し、正しさとは別の好みと慣れのうねりを起こせばよい。理論も結局はこれを作り維持するためのものだ。そして抑圧や差別とは、結局はこれを作らせないためにある。打破せよ。

(補足)ここで「理論」と称するものについては過去のアーカイブでまとめた。


〈以上〉


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