「綺麗な辞め方」という呪縛
新社会人の皆さんも、すでにぼろ雑巾と化した皆さんも、こんにちは。
「入社式直前に内定辞退したったw」が謎のステイタスを得る昨今だが、多くの皆様はできるだけ長く働き、安定した生活を送り、やりがいを見出したいとお考えではないか?
とはいえ、無情にも退職タイミングはやってくる。
・パワハラモラハラセクハラ上司
・マウントに命をかける同僚
・飼いならされた先輩社員
・奴隷身分を強要する取引先
、、、
ちっきしょう!
今度こそ辞めてやる!
そんな怒りの退職タイミングに発生する転職マナーをご存知か?
「会社は綺麗に辞めよう」
私自身は何度かキャリアを転換して(右往左往して)きたため、様々な辞め方を経験してきた。さらに、平均在籍年数が異常に短い業界ゆえに、様々な辞め方も見てきた。
その経験から「綺麗な辞め方」のメリットは理解しているつもりだ。と同時に、その呪縛の恐ろしさも知っている。
少しでも辞めたいと思っている方は、ぜひ参考にしてほしい。
◆理想との差分
様々な文脈で語られる「綺麗な辞め方」だが、大きく2つの意味で使われているだろう。
1.ポジティブな理由で辞めること
転職時はポジティブな辞め方が望ましい。不満や敗北感から逃れるためではなく、更なる高みを目指すために転職するのが望ましい、というもの。ポジティブな理由で辞めたほうが次のスタートもきりやすいし、自己成長もしやすい。理解はできる。
2.よい関係を維持し辞めること
元の会社に恨まれず、感謝をされつつ辞めるのが望ましい。 転職先でも、元の会社と取引が発生することはあるだろう。狭い世界なのだ。よい関係を継続した方が良いにきまっている。これも多くの方が頷くのではないか?
しかし、人生とは複雑怪奇。
綺麗な辞め時などなかなかまわってこない。
「今やめたら負け犬」
「まだ何も得ていないのに」
「迷惑をかけてしまう、誰が穴を埋めるのか」
そして、人は苦しむ。
◆引き際に捕らわれる人々
大手シンクタンクから転職してきた女性がいた。
彼女は優秀だった。
しかし、残念ながらコンサルタントには向いていなかった。憧れだけで業界に飛び込んだものの、能力という意味で絶望的に適性がない。笑顔を絶やさない優しい女性だったが、「笑ってる暇あったらキレキレの提案しろや」という世界だ。うむ、怖い環境だな。書いていて社会的に間違っている気がするが、、、まあ兎に角、彼女は向いていなかった。
なのに、彼女は「達成感」に拘り続けた。
何かを達成するまで辞めちゃだめだと思うんです。得たいものがあって転職したんだし、、、
カフェで彼女は呟く。
まだ何も会社に貢献していませんし、、、今じゃないと思うんです。
下を向き、言葉を続ける。
「弊社はご存知の通り狂った会社だ。気にしなくていいのでは?」
正直な感想を伝えたが、彼女は頑なだった。
2か月ほど経ったころ、彼女の上司から呼ばれた。
「彼女、大丈夫かな?」
え?
「実は最近、すっぴんで出社してくるんだ」
元々すっぴんで出社する社員ならともかく、いつも出来ていたことが出来なくなるのは危険な兆候だ。会議室のガラス越しにちらりと見る。確かに、顔色も悪く目つきもぼんやりしている。
何度か面談が行われた。
数週間後、彼女はひっそりと退職した。
鬱だった。
その後、彼女がどうなったかはわからない。
彼女は思い描いていたのかもしれない。
やり切ったと納得する瞬間を、花束を受け取り「新天地でも頑張ってね」と言われながら退職する自分の姿を。
綺麗な引き際にこだわり、
大切な心のバランスを失ってしまった。
◆年齢という制約
誰もが陥る「綺麗な辞め方」の呪縛。
さらにこの呪縛を強める要因として「年齢による横並び意識」があるのではないか?
出来る社会人は25歳までにXXスキルと人脈を身につけなければ、35歳までに何者かにならなければ、40歳までに、45歳までに、、、年齢に捕らわれた人々を多く目にする。キャリア設計が多様なコンサル業界でも気にする人がいるのだ。年功序列が残る企業では殆どの人が感じているのではないか?
決められたレールの上で、誰かが定めた年齢タスクをクリアしていく。
それが出来ないものは「負け犬」だ。
無意識に刷り込まれた思想は、人を蝕む。
社内で大きな注目を集めたプロジェクトがあった。
幹部からも絶賛されたそのプロジェクトのマネージャーは、皆に惜しまれながら「綺麗に」退職した。
その裏で、プロジェクト初期を支えた社員がいた。彼はさして目立ちはしなかったが、必要となる雑務や営業活動に骨をおり資金集めに奮闘していた。
だが、途中で別プロジェクトに任命され離脱。結果として「注目プロジェクトの貢献者」とみなすものはいなかった。
彼もまた退職を考えつつ、動けずにいた。
「マネージャーに言われたんです」
あの時、俺のプロジェクトに残りたいって言えばよかったのに、そうしたらチャンスを掴めていたのにって。
年齢的にあれが最後だったんじゃないか?
がむしゃらに挑戦し、失敗できる最後のチャンスだったんじゃないかって。
後悔ほど、人を蝕むものはない。
彼をつつむ空気は次第に変わっていった。まだ辞めちゃだめだ。辞めたマネージャーより成功しなきゃダメなんだーー。追い込まれ、無理な営業や提案を繰り返し、部下にも辛く当たるようになった。謙虚さや、地味だが手を抜かない彼の持ち味は消えようとしていた。
自分のキャリアは失敗かもしれないーー。その思いを拭えず、似合わない虚勢をはるようになっていった。
うまくいく訳がない。
マネージャーの退職から遅れること2年、プロジェクト失敗の責任を押し付けられ、逃げるように彼は辞めた。
「バカだったなあと思います」
久々に会った彼は言う。
会社に居座り、何も得ないまま無駄に歳をとってしまった。再起なんかできるはずがないーー。
ずいぶん悩み、心療内科に通う日々が続いたそうだ。そんな悩みとは裏腹に、彼のもとに幾つかの企業からオファーが届いた。自分みたいな人間をなぜ?と思いながら面接に挑み、そして気が付いた。
誰も自分の失敗など知らなかった。凄いと思っていたマネージャーは社外では無名だった。年齢と社内での業績の関係など、誰も気にしやしなかった。
「年齢に見合った成果があるか、いつも不安だったんです」
でも、成果は今から出せばいいんですよね。
彼の表情には穏やかさが戻っていた。
◆飛ぶ鳥は跡を濁しながら
私は「綺麗な辞め方」を否定したいわけではない。
それが出来るならそれがベストだ。
だが、人生はいつもベストでいられるわけじゃない。
「迷惑をかけないか?」
「嫌われやしないか?」
周囲の目を気にして辞め時を決めあぐねているうちに、本当に大切なものを失ってしまう。そんな例をたくさん見てきた。
だから、大丈夫だ。
あなたは所詮 "コマ" でしかない。
人が辞めてもまわるように経営する。それは君ではなく企業の責任だ。迷惑をかけたと嫌味を言われようと、辞めると決めたなら辞めればいい。
例え書類を投げつけられ、壮絶なイジメにあい、脅迫されようと、あなたが辞めたければそれが辞めどきなのだ。
「本当に今なのか?」
「この年齢で転職して大丈夫なのか?」
だから、大丈夫だ。
大丈夫かどうかは、あなたが決めることではないからだ。受け入れてくれる場所があるのなら前に進めばいい。前に進めば、引き際など過去でしかなくなるのだ。
確かに、綺麗でない辞め方は心を傷つける。
人生のどこかで振り返り、昇華する瞬間が必要になるかもしれない。
ただ、一歩踏み出せば見えるだろう。
恐れていた人間関係が、
畏れていたあの上司が、
そして誇り高き自らの過去すら、
小さな世界のちっぽけな拘りであることに。
だから、踏み出せばいい。
後を濁しながら、
過去を汚しながら、
ただ前に進めばいい。
やり直せる場所は、どこにでもあるのだから。
Twitter: @soremajide
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