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スリランカ一歩入れば軟禁村

めっちゃ悪口みたいなタイトルですんません。
もう勝手に私の日記を覗いたっていうスタンスで公開するとしましょう(笑)


スリランカレイルウェイ

スリランカ旅は基本的に列車で移動することにしていた。
なぜなら「世界の車窓から」が大好きだから・・・。

私のバックパックの重さは12kg。超満員のスリランカの列車内ではできるだけ大きな荷物は棚に上げるのがベター。
だが、私の貧弱な腕では1人で荷物を棚に上げることができない。
毎度近くの人に手伝ってもらい列車の旅は始まる。

人懐っこくて親切(おせっかい)なスリランカ人。
島国の人は助け合い精神が強くてお年寄りや女性子どもには積極的に席を譲ったり困っている人には声をかける姿も見て感動。
私は近くにいた人たちにワッデと呼ばれる揚げ練り物や炒った豆をもらったり、おしゃべりしながらワイワイと3~4時間、うとうと・・・する暇もなく一緒に過ごした。

車内の売り子?売りじいさんが軽食の販売をしてる🤤
写真大会もセット🤳


隣の席はスリランカの坊や

今日も移動日。今日は比較的席が空いているので座れた!!!
隣にはしきりにスマホでメッセージしている男の子が座っている。
今日は穏やかに移動できそうだなぁ〜なんて思いながら列車は発進。
いつもスリランカの列車に乗ると絶対にぜぇ===ったいに誰かに話しかけられる。その確率500%。
今日は珍しいと思っていた矢先。
「Where are you from?」
隣の男の子が話しかけてキタ。あんたもか===!
その間にもひっきりなしに止まない坊やのスマホをチラッと覗くと、誰かに「日本人おった」みたいなメッセージのやり取りをしているのが分かる。

坊やは専門学校の機械科に通っているようだ。21歳。今日は学校から家に帰る途中だという。WhatsAPPで連絡先を交換し、坊やは始発のコロンボから1時間ちょっとの田舎の駅で降りていった。
連絡先は交換したが、時々連絡するかもしれないししないかもしれないな。とそんぐらいに思っていた。


「明日から僕の家族と旅行に行こう」

坊やから列車を降りたその瞬間にメッセージはやってきた。
坊やがバスに乗り換えた瞬間にもメッセージはやってきた。
坊やが無事家路に着いた瞬間にもメッセージはやってきた。

>>>>>不要!!!!<<<<<

そのメッセージいらん!!!!って日本人の感覚からすると思うけど
坊やが列車の中でメッセージしていたのは主に家族たちで、今どこで何してるのかを逐一報告していたのであった。
日本人ももちろん「家族」との時間を大切にしたり「家族」を大切に思う気持ちはあるけど、スリランカ含む周辺国は「家族」に割く時間も「家族」に費やす労力も半端なものではないことを知った。

ごめんけど旅してたらこんなに密にやり取りする時間は無いので、ゆるゆると坊やに返信を返していた。

「明日から僕の家族と旅行に行こう🎶」

突然坊やからこんなメッセージが届いた。
「へっ?明日?」でも今はかなり離れた場所にいるので行けたとしても明後日だぜ。
ちょい〜〜〜(汗)私は自分の人生を振り返って、NOが言えないお人好しな性格や大勢の人といると疲れることを思い出して「知らん家族と旅行すんのとか無理そう」の方角に傾いていた。
そして返信も放置していた。


昨日の友は今日の家族

その後時間を置いて「旅行は行かない」と確実に伝えた。あの日確実に伝えた。
が勝手に送られてきた旅行のプラン。
もう一つスリランカ人の特徴を挙げるならば自己中。だろうか・・・。
「明日この駅に迎えに行くから絶対来てね!家族みんな楽しみにしてる!」とのこと・・・。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。迷った。だって私がもし、いい歳のおじさんだったら誘ってもらえないと思ったから。
これはもう何かを発見すべく行くしかな・・・

朝ごはん
スリランカカレーうまし
海も行った
集合〜📸1番左が坊やである

そう!行ってきたのです!!!!
子どもたちからは「Akka」「お姉ちゃん」と呼ばれ、坊やのお母さんもすこぶる歓迎してくれた。

私たち一行は親戚の家々をジープで巡るツアーをし、同じベットで寝れる人数だけ川の字で寝て、バケツいっぱいに注がれたカレーを分け合って食べ、私は家族の一員になった。

1泊して私は家族脱退を申し出た。近くの駅で降ろしてくれと伝えたが
「私たち家族はこの連休中はずっと一緒ダ」という。
ちょっと焦った。
私はもうすぐ日本に帰るフライトがある。アナログの諸手続きをするために一旦日本に帰らなくてはならない。
あとは他の場所も観光して帰りたいんだが・・・という気持ち。
1人で行動したいという気持ちは理解されないようだ。。。


ドンゴー

結局2泊3日みっちり家族と過ごした。それでもこの家族に2泊の3日目で帰ることの交渉は骨を折った。坊や率いる家族陣営は日本へのフライトの直前までこの家族と一緒に過ごしてくれ、とのこと。
毎日トイレ外でシャワーも外の小屋で・・・いけるけど、毎日ここにいて私何すんのさ!てか電波ないし・・・。家族脱退は本当に大変で、実は坊や1人を除く英語はほぼ話せない。坊やを通じて会話をするが恐らくみんなの表情は多分「行くな」という感じ。
そして坊やの弟が知っていた言葉で「DON'T GO!」と私にも分かるよう伝えると他の家族も「ドンゴー!」「ドンゴー!」と泣き出すおばあさんまで。(家族が多すぎてもはや関係性の分からないおばあさんである)


なんとか理解してくれて、私たちのことを忘れないで!という意味を込めてそれぞれお別れの品をくれた。
飾りのついたヘアピン、赤ちゃんの頃の証明写真、車の部品・・・・
そして坊やのお母さんが絶対に大切そうなネックレスまでくれようとしたので、流石にそれはまずいと思って断った。

証明写真…

夜遅く、町までジープで送ってもらい解放。
危なかった。全てYESで答えていたらスリランカ人になるところやったかもしれない。


とまどい

It was beautiful memories for us…
では語り尽くせないほど、村の暮らしや考え方の違いに戸惑った。
1つ目のとまどいは、自分の生き方を最優先にしていることを理解できない様子であった。1人で旅行してて楽しい?旅行中家族にメッセージも電話もしてないのは家族と仲が悪いの?と勘違いもされた。
日本のライフスタイルでは自分を取り巻く家族、恋人、友だち、仕事…大体それぞれに時間も労力も均等配分が理想なイメージ。だけどスリランカでは自分がいる家族の周りにそれ以外があるようなイメージ、だなと感じた。

坊やの夢は日本で働いて、お金を稼いで家族を幸せ(裕福)にすること。
若いのに家族を幸せにするのが最優先になるのはすごいなぁと感心した。

スリランカは今、中国に借りた多額の借金返済のため、経済は崩壊状態と言われている。急激な物価高によりモノは多く買えないし外食は庶民にとってはもってのほか。

家族で助け合って生きないと生きられない現実はこの坊やの自由な考え方も無いものにしているのだな、とも思った。


2つ目のとまどいは「他力本願」思想が強いこと。周りの人と助け合って生きてきたおかげで誰かに頼ることを躊躇しない。
坊やは日本に来たいけどVISAの取り方を知らないから教えて!と言う。
「え?私も知らんし。行きたいなら自分でやってくれ。」
と思った。私は絶対にHELPしない。私はVISAを取るためのツールでは無いし自分でできない子なら来ない方がいい。
日本人の親切は心からの親切ではなくホスピタリティーだから。見知らぬ人の人生の面倒まで見てくれる親切な人はいないゾ!という思考に至る。

近所のブッダ

仏教の信仰も厚く、この旅行中も近所の氏神様的なブッダのいる寺に行ってお参りした。私は信心深くない方なので、人が多かったらお参りしないし、逆に人がいなかったら忘れててお参りしない(草)
ここの人たちは少額のお布施をして何か呪文を唱えられておでこに油を塗られてミニブッダ像にお祈りをしていた。
少なからず何かにあやかろうとする気持ちはここが発信元なのかも。

そしてこれは実際はどうなのか謎ですが、みなさんに聞きたい!

「恋人を選ぶ基準ってなんですか?」

スリランカの特に女性は絶対に
「お金」
だそうです。
お金も大事なんでそれは人それぞれでいいんじゃないかしら・・と思うけど何人かと話してもいい男性のステレオタイプは「お金持ち」に限るそう。
>>そこに愛はあるんか??<<

またまた列車で出会った最近離婚したという傷心旅行中のおじさんも同じことを言っていた。離婚した彼女はもっとお金持ちの人と再婚したという。
他力思想から来るパートナーの財産に頼る発想。
こんなことも他力本願に繋がってるなぁと思って書いた。


あとがき

この坊やと家族の旅行は「楽しかった!」とかではなく色んなもやもやと考察が生まれた旅だった。でも坊やが誘ってくれたおかげでこうやって記録できるほど濃いい濃いいスリランカの旅ができてる。

スリランカ鉄道は超満員すぎて疲れるしなんでか汚れるけど、スリランカ鉄道に乗れば現地のことをたくさん知れるし、私にとっては良い英語の練習にもなった(笑)

スリランカゆる軟禁旅行の他にも色々事件があった。
自分の記憶が薄まらないうちになる早でnoteを書いていきたい。

個人的に愛でてたウオニちゃん

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