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物語を人に見てもらって気がついた!

私は今までブログや少しだけ仕事でも文章を書いたことはありました。ただ、仕事と言えどそれはそのまま世の中に出るものではないものだったりもしていたので、きちんと人に見てもらって批評をもらうということはしたことがありませんでした。
今回講座を受けたお陰で人にきちんと読んでもらってフィードバックをもらうという、大人になってから初体験をするというなかなかない体験をさせてもらったのでそこで気がついたことを今日は書きたいと思います。

人に言葉を伝える難しさ

これは口頭ではなかなか感じないことだと思います。
喋っていて伝わってないなというのがわかった段階で(仕事で時間が許さない、取引相手などの問題などがない限り)人はそこを埋めようと大体はしますしね。
まあ、面倒でそれ以上関わらないというの人もいるでしょうけれど。

文章にしてその文章が人にどういう風に伝わっているのか、フィードバックを受けることでこの辺のことが体感としてとてもわかりました。
むしろどういう風に伝わっているのかというより、伝わってないんだなということがわかった感じです。
自分が考えているイメージはかなり具体的にしなければ伝わらないのだなということ、自分が紡ぎ出している言葉というのは結構抽象的で簡略化されてしまっているんだなということが書いたものを読んでもらって、返してもらってを繰り返す中でわかってきたのです。

これは正直想像をしていませんでした。
同じ言語を喋っているということに対して安心しきっていた、あぐらをかいていたのだなと思ったくらい。
人に伝える大切さはわかっていたつもりですが、本当に人に伝えようとしていたのかと今考えるとNOだなと思います。

でも難しいと思うのは抽象的な部分を細かくすればいいというだけではなくて、それをまた削ぎ落としてさらにまた掘り下げてというのを繰り返して本当に自分の伝えたいことをきちんと人に伝えられるように思っています。
この辺はすごく難しい。
鍛錬しかないように思います。
そういうこともあってnoteで書くようにしてみようと思ったんですが、今更ですけど、それよりやった方がいいのは直しなのでは?と思ったりもしています。(やっているんですけどね。でも直らないのですよ、一日1回くらいしか読んでも分からなくなってしまう不安感もあったり。)

まあ長距離走だとは思っているので、(とはいえどあと2週間で出版なので本気で頑張ります)その辺は。


自分の癖がある

以前noteで書いたような気もしていますが結構、自分の癖があることに人に指摘されて気がつきます。
結構色々あるのですがつい最近気がついたのが句読点を無駄に打ってしまう癖。
そして面倒なのが自分で自分の癖に慣れてしまっているのでそこだけ意識して見てみないと意外に気がつかないんですよねえ、これ。
何度も書いていると誤字も結構見逃しがちになるのでさらに自分の癖となると普段からあるものなのでなかなか何度推敲しても気がつかなかったりします。
さらに言えばささっと書いていって後から直している上に、書いたところを直しているので最初に書いた文面と語尾がだぶる、表現がだぶる、というもの。
この辺も鍛錬していって様々な表現を身につけていくしかないと思っているのですが、見直すと結構出てきます。
先ほどの細かく表現をして削るという話ではないですがこの辺も細かく表現をしていると結局くどくなるという事態が起きたりもし、厄介です。


自分の思い

さらに人に読んでもらって気がついたのは自分の思いです。
私は最初今書いている物語を描こうと思ったのは、単純に口頭で1つ話をしたえピーソドが人に面白いと言われることが多かったのでそこから捻り出したという単純なところからの出発でした。

でも書いてみて人から感想をもらったりすると、そうか自分はそういう話を人に伝えたかったのかと思うわけです。
冒頭の人に伝える大切さではないですが、そもそも自分の気持ちというのはさほど深く掘り下げることをしてきてなかったのでこの辺も講座に通ってフィードバックをしてもらって驚いた部分でした。
まさか人に自分の気持ちを代弁してもらって、それそれ!となるとは。


そんな物語も最後のフィードバックからだいぶ直しが進んでいます。
ぜひぜひ読んでいただいてみなさんのフィードバックをいただけたらと思います。

よろしくお願いします!


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