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傷ついた気になって傷つけていた頃。

初めて彼女ができたのはまだ学生の頃だった。


あの頃の私は実は劣等感の塊で

自分にとことん自信がなかった。



なぜなら自分は「男性」ではないから。


いくらメンズ服を着て髪を短くして

言葉遣いも男言葉を使おうとも


身体的にもいわゆる「戸籍」上も

自分は「女性」であり

生まれながらの「男性」のようには

どうあがいたってなれないということへの

コンプレックスの塊のような人間だったから。


そして初めて付き合った女性は

元々男性とお付き合いしていた子

いわゆる「ノンケ」さんだったので


そんな子が私と付き合ってくれたのは

もう奇跡に近いようなものだった



だからこそ私は不安で仕方なかったのだ



「いつかきっと【正真正銘生まれながらの男性】を

選ぶに違いない」


なぜなら彼女は

「いつか結婚したい」とも

「子どもが欲しい」とも

言っていたから。



そんなの私にはどっちも無理な話だから

彼女との未来が想像もできなかったし


それができない自分は

「欠陥品」「偽物」のような気がして



とにかく彼女の目に

他の「男」が映らないように



「彼女から自由を奪う」という

最悪の愚策を選んだのだった。




やきもちを焼き束縛して

勝手に不安がって邪推して

相手を縛ることで

安心しようとした。


彼女が同窓会に行くというと

「絶対行くな!」って引き止めたし


私の知らない男性がいる

友達の集まりに行くのも許せなくて


女の子たちが一緒だからと言われても

約束した時間より1分でも帰りが遅いと

そりゃもう不機嫌になった



何より自分を優先してくれないと

いじけてふてくされて怒った


彼女が泣いて謝るまで責めた


それが結果として

彼女の心を遠ざけていることに


気づかなかった

いや


劣等感に支配されていた私には

彼女の気持ちを考える余裕が

そもそもなかったのだ



自分から離れていくことが怖くて

必死で縛りつけてたのに

それが理由で離れていくことになるんだから


今思えば


頭が悪すぎる!!!

心がなさすぎる!!!!

そりゃ終わって当然だ!!!


って話なのだけれども


あの頃の私には

それが全く見えていなかった



「傷ついているのは自分だけだ」と

思い込んでいた



だって自分は『本当の男』じゃないから


もしも「男性」に生まれていたならば

こんな風に不安になることもなかったのに


自分が「男性」だったなら

結婚だってできたのに

子どもだって作れたのに


そしたら彼女と一緒にいられたのに



もう完全に自分は被害者なのだと

全て何かのせいにしていた




ああ・・・なんて器の小さい

かっこ悪い人間だったのだろうか



今はそう思えるのだけど



あの頃の私にそんなことを言われても


きっと素直には

受け入れられなかったと思う


あれから20年以上の年月の中で

たくさんの出会いと別れを繰り返し

経験を積んで至った結論は


最も大事なのは

どの性別の入れ物に入った人間かじゃなく



自分がどんなサイズの器の人間かだったのだ



相手を許せない時は

実は自分を許せていないということだ



自分の不安を相手に押し付けて

相手のせいにしているだけなのだ


相手からしたら

なんて迷惑な話なのだろうか



これは恋愛だけじゃなく

全ての人間関係に通じる本質だと思う


子ども達との関係にも

もちろん当てはまる



子どもが許せない時は

自分の不安や不自由さや

自分が満たされてない何かを

子どもたちに押し付けようとしてる時で


思い通りにならないことを

子どものせいにしてるとき


それに気付いてから

人間関係がかなり楽になった



「全ては自分だ」と思えるようになると

コントローラーは誰か他人の手ではなく

自分の手にあるからだ



他人にコントローラーを

渡している限り

何一つ思い通りになんかならないのだ





今もまだまだ器を広げてる途中なので

完璧には程遠いけど


目の前の大切な人が


私の前にいるときが一番

自由にのびのび笑顔で過ごせると

感じてくれるかどうかが



今の私が自分らしく生きられているかどうかの

一つのバロメーターだ





さてあなたは大切な人の自由を

奪っていないだろうか


もしもそうなら


私の体験が少しでも

あなたのお役に立てば幸いです。

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