そらやす

元小・中学校教師。ステップファミリーで育ったトランスジェンダーFTM。 8/1初著書「…

そらやす

元小・中学校教師。ステップファミリーで育ったトランスジェンダーFTM。 8/1初著書「きみは世界にただひとり おやこで話す初めてのLGBTs」を出版。 自立型学習塾を経営したり、LGBTsや不登校についての講演活動をしたりしてます。 日常の気づきや疑問を書いています。

最近の記事

核心。

最初にお伝えしますが これは私が聞いた一部の子供達の言葉です。 全ての子供に当てはまるわけではありません。 それでも、こう感じている子がいることは 事実なので、お伝えします。 一方的すぎて 不愉快に感じるかもしれません。 だから、子育てで悩んで行き詰まって もう打つ手が他になくて 藁にもすがる思いで 現状に風穴をぶち開けたい人以外は 読まないでください。 読んだら傷つくかもしれません。 今以上に苦しくなる方もいるかもしれません。 読まない方が良かったと 思う方もいるか

有料
500
    • 上長への反抗と創造。

      気づけば会社員になって3ヶ月。 仕事はたくさんあるけど 月曜日が憂鬱で仕方ない、 みたいなことにはなっていない。 腑に落ちないこともあるけど それも 「なるほどー、こういうこともあるんだな」 と面白がれる程度の心の余裕がある。

      有料
      300
      • 久々にきた鈍い痛み。

        遠くの方にある鈍い痛み。 ああ、これは久しぶりの感覚だ。 ホルモン注射を打つようになってから 2年くらい忘れてた感覚。 そう、「生理痛」だ。 大量に出血してるわけではなく ちょっと血が出た程度。 だけど腰が重くて 奥の方に鈍い痛みがある。 (そういえば毎月あったなあ、これ・・・) 生理痛がかなり重い方だったので 今回の痛みなんて大したことないはずなんだけど 2年もなかったから かなり不快感が強い。 でも、注射を打つ前の私は 毎月この何倍もの痛みに耐えていた (とい

        • なんかやる気になっちゃう

          「先生と話すとなんかわかんないけど やる気になっちゃうんですよ」 最近生徒から言われた。 特にやる気にさせようと思って 話しているわけではない。 が、話していると勝手にやる気になる姿は これまでもたびたび見てきた。 「どうしたらやる気にさせられるのか」と 聞かれるのだが 自分にもよくわからない。 やる気になった生徒も 「なんかわかんないけど」やる気になるのだ。 でもそんな超常現象的なことでは 役に立たないので やる気になった時の共通点を考えてみた。

          選択肢を増やすこと以上に大切なこと

          進路を選ぶ基準は人それぞれ、色々ある。明確にやりたいことが定まっている人もいれば、特に決まっていない人もいる。なんとなく、こっちの方に興味がある、という感じで選ぶこともあるし、みんなが行くからそこ、ってのもある。どの選び方をしてもいい、と私は思っている。そもそも、自分が高校を選ぶ時なんて、ほぼ何も考えていなかった。先生になるんだから、大学に行くためには高校に行くんだ、と思っていた。だから、偏差値が合っていて、通いやすいところで選んだ。 高校を選ぶ基準に「将来の選択肢を増やす

          選択肢を増やすこと以上に大切なこと

          最短距離にこだわる必要なんてない。

          「ゴールからの逆算」 目標設定をするときに言われる ゴールを先に設定して、そこにたどり着くために 今何をしたらいいのかを考えていく手法。 そうすることで ・少ない労力で最大の成果を発揮する方法が見つかる ・積み上げ思考よりも目標を達成しやすくなる などなど、利点がたくさんあります。 ゴールからの逆算によるメリットは 十分にあるし、活用したいと思う一方 ゴールからの逆算では手に入らないものもある というのが私の考えです。 それは 「ゴールからの逆算だと

          最短距離にこだわる必要なんてない。

          傷ついた気になって傷つけていた頃。

          初めて彼女ができたのはまだ学生の頃だった。 あの頃の私は実は劣等感の塊で 自分にとことん自信がなかった。 なぜなら自分は「男性」ではないから。 いくらメンズ服を着て髪を短くして 言葉遣いも男言葉を使おうとも 身体的にもいわゆる「戸籍」上も 自分は「女性」であり 生まれながらの「男性」のようには どうあがいたってなれないということへの コンプレックスの塊のような人間だったから。 そして初めて付き合った女性は 元々男性とお付き合いしていた子 いわゆる「ノ

          傷ついた気になって傷つけていた頃。

          家族、ってなんだろう。

          このドラマを見た。 家族、ってなんだろう、って考えた。 お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいる。それが、いわゆる「普通」の家族。そんな普通の家族の中で、ある日突然お父さんが「女性」になる。女性になったお父さんが、今までのように我が子のお弁当作りをして、習い事の送り迎えをして、仕事をして家計を支える。服装が変わり、言葉遣いが変わり、お化粧をするようになっても、やること、家庭での役割が変わらないとしても、間違いなく「普通の家族」ではなくなる。でも、それってなんでなんだろ

          家族、ってなんだろう。

          正解がない、という難しさ。

          新型コロナの対応で、あちこちがざわついている。いろんな意見があるけれど、どの対応が正解かなんて誰にもわからない。それが今回の一番のポイントだと思う。後になって振り返ってみたら「結果として」対応が適切だったかどうかはわかるかもしれないんだけど、それは結果論だから。今、どう判断するかってのは、人それぞれ。 見るテレビ番組によって、出ている専門家によって、意見が違う。前の日に発表されたことが、次の日には覆ったりする。こうして、毎日修正されていく情報に、振り回されるだけで疲れてしま

          正解がない、という難しさ。

          見えなかったことが見えるようになること

          新型コロナ対策として、日本中の小中高一斉休校要請が出された。自治体ごとに違うけれど、多くの学校が一斉に休みに入り、行き場がない子どもたちをどうしたらいいのか!と世の中が大騒ぎになっている。 一ヶ月間無料でオンライン学習ができるようになったり、食事を配達してくれたりと、民間企業が動き出した。迅速な対応に、拍手喝采。これで学校に行けなくても勉強させることができる。給食がなくても、一食あたり同じくらいの値段で食事を用意できる。ありがたい。確かに対応早かったなー!と思う。 一方で

          見えなかったことが見えるようになること

          誰が、誰を好きだとしても。

          今日は、映画[his]を観てきた。 LGBTQを題材にした映画やドラマが最近は増えている気がするんだけれど、この映画はその中でも異色だな、って感じた。 それは、ゲイカップルを主人公にしながら、決して「同性愛者」への差別や偏見、生きづらさだけの話ではない、ってところ。出てくる人たちそれぞれが、ある意味では少数派であり、見る角度で誰もが弱者であり、それぞれ違う人生を生きている、って思えたこと。見るのが苦しかったけど、見てよかった映画だった。 私はトランスジェンダーで、ゲイで

          誰が、誰を好きだとしても。

          全然平気。うん。本当に。大丈夫。気にしないで。

          公にカミングアウトしてからというもの、私には怖いものなどない。隠さずにいられる、というのはなんと楽なんだろうか。「誰になんと言われようとも私は私です」と胸を張っていられるし、大切なパートナーのことも隠さずにいられるし。同性婚?パートナーシップ?偏見?何それ。どこの話?と他人事でいられる。 ・・・と思っていた。きっと、カミングアウトすればそうなるに違いない、って。 でもね。そんなわけないんだよね。私がカミングアウトしたって、世の中にある偏見や誤解は消えたわけじゃない。カ

          全然平気。うん。本当に。大丈夫。気にしないで。

          分かり合えるとは限らない、と思っておく

          「親子」という関係は、時に他人との関係以上に難しい。 親子だから分かり合える、親子だから信じあえる、親子だから無条件に愛されるし愛せる。理想は、そうなのだろう。だけど実際は・・・。 親子だからと言って分かり合えるとは限らないし、無条件に愛しあえるということでもない。逆に親子の関係はこじれるとどこまでもこじれてしまう。そしてそうなったとき、大抵の場合、子どもの方が負担が大きい。 LGBTs当事者のカミングアウトでも、大抵親へのハードルが一番高い。わかってほしい、けれど拒絶

          分かり合えるとは限らない、と思っておく

          野菜のクズをクズとして捨てるのか

          私は料理をほとんどしない。できるけど。パートナーも弟も料理が得意だから私がする必要がない。私がやるよりよほど美味しくて無駄のない食事ができるからだ。 料理が得意な人というのは、みんなが使わないような、捨ててしまうようなものを使って美味しいものを作る。野菜クズを使って一品作ってしまうのだ。例えばニンジンやかぼちゃの皮。捨てないできんぴらにしたりする。しかも美味しい。ほとんどの人が見向きもしないような小さな野菜クズを生かすも殺すも料理する人次第である。 これって、人生において

          野菜のクズをクズとして捨てるのか

          出会いのきっかけなんて色々だ。

          SNSの出現によって、自分の意見を発信できる場所が増えた。私が子どもの頃は、自分の考えていることなんて、せいぜい日記に書くくらいだったからね。そんなの誰も見ないし(というか見せないし) 今も昔も、そんなに大きく人の考えていることが変わっているとは思わないので、もしも昔の日記が全て公開されたら、炎上することなんてたくさんあったんじゃないだろうか? 自分が発信した意見、言葉に対して、反対意見や否定的な意見を述べる人がいても、昔はどこの誰だかわからない人が友達同士で飲みながら「

          出会いのきっかけなんて色々だ。

          1億2644万3千人分の1なのか。

          2019年4月12日、昨年10月時点の日本の総人口は、1億2644万3千人出そうだ。そのうちの一人が私である。これを読んでいるあなたもおそらく、そのうちの一人であろう。そう考えるととんでもなく希少な存在だという気がする。 さて、世の中には「マイノリティ」と「マジョリティ」とに分けられることがたくさんある。例えば私はトランスジェンダーだから、世間的にはマイノリティだ。でも、私のように、トランスジェンダーである人は他にもたくさんいる。 確かに、全体の割合で見たら少数派では

          1億2644万3千人分の1なのか。