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第179話:助けてと言えない

今の子どもの置かれている現状について考えるヒントになるのではないかと最近目に留まった二つの言葉を拾ってみたいと思います。

ひとつは・・守ることで弱くなるということ。

これは鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』講談社現代新書の言葉です。
現代の異常な清潔シンドロームが菌感染による免疫システムの退化を招き、かえって免疫不全の状態に陥っていることに関連づけて、自分を守るために異質なものを排除することで自己の免疫力が低下し、かえって自己を衰弱させていると書いています。

もうひとつは・・自立とは依存することだということ。

これは安富歩『生きる技法』(青灯社)の言葉。
自立とは依存からの脱却であるという一般論と真っ向から対立しますが、安易な依存は論外として、自分は誰かに依存しないと生きていけないという自覚は必要であり、困っているときに助けを求めることができないのは未熟さの反映だとしています。

守ることで弱くなる
自立とは依存することだ

この二つの言葉はそれぞれがパラドックスになっています。
言葉遊びのようになりますが、さらに前者「守ることの否定」と後者「依存の肯定」も矛盾するようでありながら、つながりのある一種のパラドックスになっています。
そう考えてみると、今の生徒たちの置かれた状況の複雑な微妙さをこれらの逆説表現が言い当てているように思えます。

今、「助けて」というサインを出せない生徒が増えています。悩み、迷いをうまく処理できないまま、「大丈夫?」と問うと「大丈夫です」と答え、何のサインもなく突然、学校に来なくなってしまう・・。

危険や苦悩から自分を守るためにそれを遠ざけることで困難への耐性が失われると同時に、守られ(褒められ)ることで「失敗」できず、期待に応えなければならないと考えたり、あるいは傷つくことを恐れることで、かえってそういう自己を守るために弱みを人に見せることができなくなってしまう。
つまり、依存できない。

生徒はそんな状況を生きているのかもしれないと、ふと思ってみたりします。
依存も、逃避も、怠惰も、実は必ずしも「悪」なのではありません。



これは賛否両論かと思いますが、以前に勤務していた学校でのこと。

7月のある日、学校の玄関前の駐車場で父親と生徒が向き合っていました。父親の表情は険しく子供はうなだれていました。三者面談の時期で、その面談の後だと思われました。
よほど腹に据えかねる何かがあったのでしょう。
父親が「このバカ野郎!」と大声をあげ、子供を殴りつけました。
殴られた子供は体勢を崩したものの、すぐに父親の前に姿勢を正しました。坊主頭で雰囲気からすると野球部の生徒だったかもしれません。
その子供を父親が再び「何考えてんだ!」と怒鳴ながら殴りつけ、子供はよろけながらも、再び、父親の前に姿勢を正しました。三度父親の怒号と鉄拳が浴びせかけられる・・。

巨人の星のような世界・・。
暴力はあってはならない、それは当然のことですが、不謹慎ながら僕はその時、何だか久しぶりに懐かしい光景を見たような気がして黙ってその場を立ち去ってしまいました。



確かに、昔はよく親に叱られました。
僕も男三人兄弟、それなりにやんちゃだったので、例えば野球をして窓ガラスを割れば三人並んで母親に叩かれ、悪さをすれば押入れや便所に閉じ込められ、時には「お前は橋の下から拾ってきたんだからどこへでも行っちまえ」と言われたりもしました。

そんな話を今の高校生にすると「ひどい、虐待だ」と言ったりするのですが、海辺に育ち親が漁師だった同僚は「悪さをすると親父に防波堤から海に放り込まれた。何度殺されると思ったか知れない」と言っていたので、それよりは穏便なのかもしれません。

僕らの子供時分、まだ生活は豊かではなく、親は生活を成り立たせていくのに必死で働いていました。
農家でしたから、陽の上がる前に農作業に出かけ夜は遅くまで夜なべをしていました。子供にかまっている暇はなく、僕らもそれに慣れていましたし怒られることにも慣れていました。

親の愛は抽象的な観念ではなく、食わせるために身を粉にしている姿として脳裏に刻まれました。
でもそれは、感謝といったキレイなものではなく、一方で「早く親から離れたい」「早くこの土地を出たい」とも思っていました。
同時に、自分は(橋の下で拾われた)「たいしたものではない」という認識も知らず知らずに持っていたのかもしれません。雑草魂でしょうか?。「ゴミ」という出発点に立てば、案外どんな否定にあっても確かに耐えられるのかもしれないと思ったりもします。
先程の鷲田清一風に言えば、免疫力があったということになるかもしれません。

もう一方では、確かに「逃げ場」みたいなものがありました。
空き地があり、隠れる神社や山があり、秘密基地を作る竹藪があり、魚を取る川もありました。
喧嘩できる兄弟がいて、何か起こるとおばあちゃんやおじいちゃんのところに逃げ込みました。小遣いが欲しい時も。近くにいた親戚のお姉ちゃんも。
やがてどこか違う世界で生きる未来も漠然と夢見ていた気がします。

ただ、だからと言って「昔」が良かったと言いたいわけでもなく、そこから脱却してきた「昔」に今更しがみついたところで、そこに戻ることが正しいわけでもありません。

ただ、仲間との関係や自分にかかる負荷をうまく処理できず、教室に入れなかったり、保健室登校や試験の別室受験も増え、最後には学校を去って行ってしまう、そういう生徒が増えています。
学校はかつてのように「枠からはみ出ようとする」生徒は減り「穏やか」になりましたが、問題は全く別の形をとって表面化しないまま静かに沈潜し、かえって複雑化しているのではないかと思います。

そうした現状から考えたとき、冒頭に示した「守ることで弱くなる・自立とは依存することだ」という言葉について、それを踏まえて子供たちについて考えてみなければいけないのだろうと考えてみるのです。



だからと言って、実際には子供たちが(いや、人は誰しもそうなのかもしれません)「助けて」というサインを出すことはすごく難しいことであろうと思います。

ゴミのごとく育ったはずの僕もガラスのようなハートを持ち、傷つきやすい小さな胸を痛める日々を生きています。日々、猫をなでながら「猫になれれば」と思っています。
今日も授業で儒教の八つの「徳」、|八徳《はっとく》の「仁義礼智忠信孝悌」を説明し「これは大事なのでトイレに貼っとく」と言ってみたのですが、ものの見事にスルーされました。
思わず「助けて」と叫びたくなったのですが、言えないまま家に帰り、酒を飲み、一人夜空を見上げていたのでありました。


■土竜のひとりごと:第179話

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