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合格発表

過日、学校で入試の発表があった。昨年はコロナの関係で合格掲示板での発表は控え、ネットでの合否発表を主としたが、今年はまた復活し、中学生がたくさん訪れた。
12:00の発表と同時に歓声が上がる。歓声が上がる一方で、隅の方に足を運びうなだれて涙する中学生もいる。高校入試だから不合格は大学入試に比べれば少ないわけだが、悲喜交々の光景が繰り広げられる。

他県のことは知らないが、僕らが高校を受検した頃は(県の高校入試は学力検査なので「受験」ではなく「受検」)、そういう「イベント」はなかった。合否の発表は中学校のクラスで担任の先生から個別に伝えられた。その時分は中学校ですでにある程度の調整がなされた上で入試を受けたので、不合格の生徒はほんのわずかだった。

それがいいことかどうかは多分とても微妙なことだが、僕らの住むド田舎でも次第に塾ができ始め、だんだんに塾の指導が強くなり、中学の先生の言うことより塾の言う「挑戦」志向が主流になり、不合格者もたくさん出るようになり、公立から私立に多く中学生が流れていくようにもなった。
都会では、私立の中高一貫校に人が集まり、幼稚園から「お受験」が始まる・・そんなことは、とうの昔から始まっていただろうが。

そうこうしているうちに、20年前くらいからだろうか、合格者が学校で掲示され、中学生がそれを見に来るという「イベント」が導入されはじめた。大学受験を真似たのだろうか、中学校の管理を免れ、個人の責任という意識を導入しようとしたのだろうか、僕はよく知らない。

昔は大学入試でも、合格通知は基本郵送であり、すぐに知りたければ大学に見に行くしかなかった。見に行けない地方の受験生のために学生が合否電報のアルバイトをしたりしていた。「桜散る」とか「信濃路の雪深し」とか。今は大学受験もほとんどネットで分かるようになった。番号が連ねられているもの、あるいは自分の番号を入力すると合否が分かるものになった。

そんな時代であっても、「イベント」は続いている。テレビに映し出される光景は、一般の方にはこの時期の微笑ましい風物詩と映るかもしれない。ただ、毎年受験生の悩みと涙につきあっている身としては、歓声よりも、隅でうなだれる生徒が気に掛かってしまう。失敗体験も人生においては大事であるかもしれない。

ただ、「イベント」は成功体験を強烈なものにし、失敗体験を強烈なものにする。入学する高校や大学、その入り口である受験の合否が「いかにも大事なこと」であることを強調してしまう。
「そうでないのだ」と僕は抗ってみたい気がしたりするのだが。



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