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第29話:親友の死

克彦が死んだ日
僕は妻と芝居を見に出掛けた
訃報を受け取った時泣きじゃくっていた妻は
芝居に行く道の車の中では
明るく 芝居の粗筋など僕に聞かせたりした
妻が僕の気持ちをどう考えているのか
僕にはよく解らなかったが
話題に克彦をのせない妻に全てをまかせたまま
芝居を観てそれなりに笑い
それなりに拍手などして
帰る車の中でも 流行の歌など聞きながら
お互い 克彦のことには
一言も触れずにしまった

妻が
まだ一度しか会ったことのない僕の親友の死に
泣いていたことを不思議に思い
死というものが
こんなにも取り留めのないものとして
素通りしてゆこうとしていることに驚いている
悲しみをどう悲しんでよいか僕は知らず
何もすることがない心もとなさを
ただ僕は机の前に座り
幾たびも胸の内に転がし
幾度も心に思っていたのである

春になりかかろうとする
穏やかな夜だった
実感しようない寂しさだけがあって
静かに克彦が死んだ日の一日が
終わろうとしていた
何があったとも思われない
それは平凡な春の一日の終わりだった
そして僕は風呂に入り
克彦が死んだ日には
そうしなければならないかのように
深く深く湯に沈んだのだった

毎年、春を迎える。生きていれば自然と春を迎えることが重なってゆくのであり、それ自体は全く当然のことなのだが、人が数十年の人生を過ごすことを数十回の春を迎えることだと言い換えてみてもおかしくはないかもしれない。

ただ僕は春が好きではない。この季節は何か不安で、心が落ち着かない。木の芽時だからか、どこか所在なく、重い。
4月のことを古称では卯月うづきと言うが、この時期、何がなしに心が疼くのでこういう名前が付いているのかもしれないと言ったら低俗なギャグでしかないだろうか。

桜が美しく咲く季節。花筏、花吹雪、花曇りなどの多くの美しいことば。その散ってしまうはかなさを前提に、一面に咲き誇る様、あるいは花びらが散りしきっている光景。それを愛でる人々。のんべーたちにとってはこたえられない「酒便り」でもある。「群れてよしひとり見てよき桜かな」である。

しかし一方で、桜は恐ろしさを感じさせるものとしても捉えられてもいる。満開の桜の下で女が鬼に変わる、桜の樹の下には死体が埋まっているなどと書いた小説。一面に咲き誇った桜並木の下に一人で立ってみた時、背筋が寒くなるように思われる時がある。

似たようなことを子供時分に感じたことがあった。
裏山の斜面づたいにお寺の墓地が続いて、子供達はそこをちょっとした遊び場にしていた。春には至るところに土筆が生え、子供達はその長さを競い合って遊んだりしたものだったが、中でもこの墓地は恰好の採集場で30㎝にもなんなんとする土筆が生えていた。
当時子供達の間では、墓地の土筆は死人の血を吸って大きくなるなどと言われ、そう思ってみると、ひょろひょろとやけに長く色の白いものが多かったようにも思われた。
ある時、皆より長い土筆を取ろうと一人で墓地に入り込んだことがあったが、夢中になって取り進んで行くうちに、ふと我に返って辺りを見回すと、枯れた草の間から、あるいは黒々とした土の上から、一面に土筆が生えて立っているのに気がついた。
やけに白く、やけに頭の大きな土筆がまるで自分に迫って来るかのように感じられた。何かに囲まれ、覆いかぶさってくるような感覚。
持っていた土筆を投げ出してほとんど泣きそうになりながら家まで走って帰った、そんな思い出である。

生命がその生命力を湧き立たせる瞬間というのは、実際、ある不可解な「おそれ」を伴うものなのかもしれない。
春にまつわるどことない不安も、あるいはそんな溢れ出す生命力と関わりがあるのかもしれない、そんなことをこの頃は思ったりする。


そんな思いは、大学時代の親友が死んだ春の情景と結びついているからかもしれない。あるいはもっと単純にその親友と初めてであったころの春の風景が妙に頭に焼き付いているためかもしれない。

彼は学生時代から身体は丈夫ではなく、体重は50キロ前後しかなかった。卒業して某会社の大坂工場への勤務となったが、一年ほど勤めた後、身体を悪くして入院した。結核だった。

幾度か見舞いに行ったが体重は40キロを割る程になっており、足や手は文字通り骨と皮。脚は木の棒を見ているようで、彼の細さに慣れていた僕も正直どきっとした。
その後二度ほど入退院を繰り返した。一時は元気になって、仕事にも復帰し僕の結婚式に来てとぼけたスピーチなどして皆を笑わせたりなどしていた。
しかし病気は進行し、再入院。3月18日、戻らぬ人となってしまった。肺動脈が切れ、大量の喀血があったということである。

僕が訃報を受け取ったのは、出勤直後の朝だった。職場に着くとカミさんが泣きじゃくりながら電話をかけてきた。頭を何かで殴られたような気がしたが、具体的な悲しみの感情は湧き起こっては来ず、僕はただ「死んだのか」そう電話口でつぶやいた。

彼とは何年もテニスのペアを組んだが、体力はからきしないものの反射神経は抜群でどんなボールにも反応したし、試合運びも心得ていて頼りになるペアだった。人間としても誰の心にもありがちな他人を貶めることで自分の安定を図ろうとするような卑しさが一切なかった。

しかし、いわゆる立派な人間であったわけではなく、悪ガキのような悪戯も随分した。
試合会場に向かう電車の中で電車が駅に止まるたびに乗って来る女子に目を向けては、その子に聞こえるような声で品定めしてみたり、練習の合間にコートの隅に穴を掘って後輩とラケットとテニスボールのゴルフに興じてみたり、副主将のくせにデートして練習をさぼったり、大事な試合の最中に「おい土屋。腹が減った。早く負けよう」などと言ってみたり、挙げればきりがないが、そうしたことが全然厭味ではなく誰からも愛されるべきものとして迎えられていた。不思議なくらいそうだった。
彼をよく知らない人は軟弱だと評することもあったが、彼は一切虚勢を張ることなく自分のままに生きていたのだと思う。人間らしさに溢れた得難い友人だった。

僕は彼と初めて会った時のことを今でもよく覚えている。

なぜか着ていた服や持っていたバッグの色まで覚えているのだが、コートの隅に立って練習を見学している姿を見て、変な言い方だが「きれいだ」と思ったのがその最初の印象だった。癖のないストレートの髪、ホリの深い整った顔立ち、痩せて白い膚の色。あるいは女性を見ているような印象だったのかもしれない。

僕らは揃って入部、揃ってそのままレギュラーとなり入学と同時に合宿に入れられてしまったので、必然的に二人で行動するパターンも出来ていった。
特にお互い口数の多い方ではなかったが、一緒にいると何がなしに安心出来たのは確かだった。

僕は本来、人といるよりは一人でいるのが好きだったし、テニスに関わる人間関係はそれまで割にギスギスしたものであることが多かったので、彼を本当に信頼しきってしまっている自分を不思議に思ったりもした。とても不思議な出会いだった。

練習の合間に二人でゴロゴロしていた学食
銭湯帰りに通ったけやき並木の葉のそよぎ
合宿所の砂だらけの布団に目を覚ました朝の気だるい陽の光、葉桜のあおさ
そのころのそうしたどことなく頼りなげな春の光景はその友人の新鮮な印象と相俟って、僕には四年間の学生生活の中でも忘れられないものとなっている。

身勝手に自分の親友の死について書かせていただいたが、実はその一昨年の春にもやはり大学のクラブの仲間が二人死んでいた。
一人は自分の部屋で首をくくって死に、もう一人は自暴自棄の生活の末に酔っ払って田んぼの中で凍死しているのを、二日後通行人に発見された。二人とも当時25歳、若すぎる死だった。

この生命力溢れる春は、従って僕にとっては身近な友人の死とよく出くわす季節でもあるということになる。父が死んだのも3月28日だった。
そんなことをことさら春の情景と重ねてみるのは単なる僕の感傷に過ぎないのだが、命ということが実に微妙な何かとして思われるのである。25年の一生も27年の一生も短すぎたには違いない。納得のゆく一生ではなかっただろうと思う。

もう、彼、彼らより既に35年を生きている。彼らが生きられなかった時間を生きて来たと思うと同時に、その時間で自分がどう生きてきたのだろうということを思ってみたりする。

人の一生とは何だろう。

親友の死を振り返り、僕は取り留めもなくそんなことを思う。脈絡のない雑感である。

(土竜のひとりごと:第28話)


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