たんぽぽ
掌の内に小さき闇をあたためて組織に生きる日々こそ流離
かつてこんな歌を作りました。「流離」というのは「さすらい」とも読み、「他郷をさまよい歩くこと」です。手のひらの中に「小さな闇」を忍ばせて組織という現実を生きることは「流離」である、みたいな内容です。ちょっと気取ってましょうか。
僕のように小さな人間は組織の中で、それに歩調を合わせて生きることはなかなか難しいのですが、それだけではなく、63歳にもなって転勤してそれまでの足場を失ってみると、生きにくかったのは組織のせいではなく、自分ゆえだと改めて思ってみたりしています。
折から、春たけなわ。
今日はカミさんが不調で寝ているので、授業の準備をしながら、洗濯をしたり、ご飯を作ったり、猫の散歩をしたりして過ごしました。
のんびりという違和感。
昨年であれば来週から始まるインハイ予選でガチャガチャ動いている時期、残してきた生徒たちはどうしているだろうかなどと思いながら。
孤独とは底なき闇にいるような暖かい木漏れ日にいるような
寂しくて仕方ない日にたんぽぽが黄色く黄色く咲いております
久しぶりに短歌を作ったら、寂しい歌になってしまいました。悪しからず。
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