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第231話:助けてと好きだよ

「チコちゃんに叱られる」だったか、この間テレビを観ていたら、「いい日旅立ち」が作られた時のエピソードが紹介されていた。

山口百恵とか、「いい日旅立ち」とか、いや「国鉄」でさえ今の高校生のような若い世代にはわからない話になってしまったかもしれないが、当時、国鉄は赤字路線をたくさん抱えていたり、公務員気質だったりで、極度の業績不振。それをこの「いい日旅立ち」というCMソングが救ったという話だった。

少し憂いを含んだいい歌で、思わず旅に出かけたくなっってしまう歌だったが、その番組で紹介されていたエピソードでは、当時、CMソングも作れない経営難に陥っていた国鉄を、車両を造っていた日立と、旅行会社の日本旅行が援助してこの曲ができたそうなのだが、その曲名に、日立と日本旅行が忍び込ませてあると言う。

・いい「」旅「」ち
・いい「日旅」立ち

単純な僕は、思わず「へぇ~」と、このユーモアというか遊び心というか、言葉を扱うセンスに思わず感動してしまったのだった。

【皆さんは最近、「へぇ~」みたいな驚きに出会っていますか?】

例えば、いつかラジオを聞いてたら沖縄の海人ウミンチュの言葉が紹介されていたが、タコを捕るとき、タコがツガイでいるときは、メスを先につかまえるのだそうだ。何故かというと、オスを先につかまえるとメスは逃げちゃうんだが、メスをつかまえるとオスはくっついてくるんだと言う。一挙両得。オスって哀れである。

女性蔑視に聞こえるかもしれない。訴えられると困るので、男性蔑視のような話も書いておくと、有名な「アリとキリギリス」の話だが、ある英語の同僚によると、フランス語では、アリは女性名詞で、キリギリスは男性名詞だそうで、その同僚は「やっぱり男は怠け者なんだということを発見した」と言っていた。本当かどうかはしならいが、これで男女蔑視「おあいこ」。

ちょっと不思議だなあと思うのは、こういう話が「へぇ~」と思うのは何故だろう?と。

例えば「愛」について語る時、「エロス」とか「フィーリア」とか「アガペー」とか持ち出して学問的に語られると、高校生は「全然わかんないし~、何だか鼻について聞きたくない」みたいな反応になる。(エロスは分かるだろうが、顔には出せない。)

でも、例えば「愛って、人が振り向く形なんだって」と言うと、ちょっと目をグッとこっちに向ける。

ちょっとワルい奴とか、コワい奴が、ふと優しい言葉をかけたり、あどけない表情を見せたりすると、女性がころっと行ってしまうのと似ている。同じ「知識」でも、「心に響く知識」と「そうでない知識」があるということを最近思う。

それは生徒が僕の授業を聞いて、何も覚えようとしないのに、雑談だけはちゃんと覚えているのと似ている。古典なんてつまんね~と思っているし、自分とは「そんなの関係ねぇ~」と思っている。


だから、飛躍のように思われるかもしれないが、最近思のは、僕らが感動するのは全くの「未知」ではなく、むしろ「既知」なのではないか、と。

僕らの中には殆ど無尽蔵に「既知」が眠っていて、それが何かのきっかけで掘り起こされた時、「そうなんだ。これだなんだよ。」という再確認が行われる、そこに「時めき」があり、時に「懐かしさ」が生まれてくる。

言ってみれば、自分の中にある何かが再発見されるのであって、それは確かに「既知」ではあるが、僕らにとってはまた、自分の中に埋もれていた新鮮な「未知」として発見される何かであるという気がする。


そうした不思議について、僕は最近漠然と考えるのだが、それは例えば、人に傷つけられたと訴えてくる生徒の相談に乗ると、彼女は延々と相手の悪口を言い、どうやって自分が傷つけられたか、相手がいかにひどい人間かを力説する。

それを肯定もせず、否定もせず、ただ「そうか、大変だね」と相槌を打ちながら、でも真剣に聴いてやっていると、不思議なことに、2時間も経ったころ、不思議と相手を責めるだけだった気持ちが、今度は自分に向くようになる。

「でも、わたしも・・」と言い始める。

同じように、「学校を辞めたい」、時には「死んじゃいたい」と言ってくる生徒もいて、「そうか辞めたいか・・」「そうか死にたいか・・」と聴いていると、一日で終わらない場合もあるが、やはり最後には、「死んじゃいけないですよね」とか、「こうすればいいのかもしれませんね」などと自分で自分の中から結論を導き出して来る。不思議なほど、そう。

人間って偉いなと思うわけだが、そんな彼ら彼女らを見ていて、僕は、僕らの中にはどこかに「正解」が既にあって、ただそれを探し出せないでいるだけのような気がしてみたりする。

僕らは、言ってみれば、底知れぬ「塊」かもしれない。自分の内側を、素直に大切に見つめ直すことが、「真実」にいたる道筋として、一番確かな作業なのかもしない。

カウンセリングの基本に「聞く」ということがあるが、これは「ただ聞いていればいい」ということではなく、また多分、それは「共感」ということでもなく、「頷きながら」彼ら彼女らの「既知」に彼ら彼女らが辿り着くまでの道案内をすることだと思ったりする。



高校3年生、受験生だけを担当することが、もう8年間続いている。受験の悩みを聞くことも多くなった。切実な思いである。
だから、3年生を迎えた4月、必ず「助けて!」と言う練習をすることにしている。今の生徒は「いい子」に育てられてきているので、自分の弱みを露呈することが「いい子」であることからはみ出してしまうことだという感覚を沁みつけているから、「助けて!」と言えないまま壊れて行ってしまう生徒が実に多い。

隣の席の人に「助けて!」って言ってごらん、と。

「でも、君らは『助けて』と言われても、それにこたえる術を持たない。下手に助けようとすれば、自分も相手もろとも変な方向に行ってしまう。そういう時には『僕は君が好きだよ』と、ただそれだけ言ってあげよう」

隣の席の人に「好きだよ!」って言ってみてごらん、と。

「好き」と言われることで、見事にそれまでその人が積み上げてきた「既知」が、ざわざわと共鳴する。

魔法の言葉である。


■土竜のひとりごと:第231話



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