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第25話:普通の玉子焼きと異常な卵焼き

4月のある日、カミさんが「ねえ、これ読んでみて」と言って一冊の雑誌をもって寄って来た。“暮らしの手帖”という雑誌の投稿欄のある文章を指して、これを読めと言うのである。

亭主と玉子焼き  元気で明るく フツーがいい

大学の友人だった夫と結婚して早一年、毎朝のお弁当作りも、だいぶ手早くできるようになった。
最初のうちは、なかなかメニューが決まらず困ったけれど、玉子料理(主に玉子焼き)を必ず一品入れる、と決めてから、ずいぶん気が楽になった。
変化をつけるために、色どりよくゆでた野菜を混ぜたり、のりをはさんだり、中心に青菜やゴマを置いて巻いたりした。他のおかずが洋風の時にはオムレツ風にし、だしを入れて本格的なだし巻も作った。
お弁当に玉子を入れ続け、一年がたとうとした時、ふと思った。
夫が玉子をきらいでないのは知っているが、いくらなんでも、こう毎日では飽きがきているのではあるまいか。
お弁当作りに玉子は重宝だが、ムリに食べさせているのでは悪い。
そこで、夫が「ごちそうさん」と、カラのお弁当箱を差し出したときに聞いてみた。
あのね、お弁当に、毎日玉子焼きがはいっているでしょ…」
夫は言った。
「あっそう?気付かなかった。」
私の一年間の努力はなんだったのか…。
それにしても、毎日残さず食べて気付かないというのもすごい。
これからは、毎日、フツーの玉子焼きを入れてあげることにしょう。

どれどれと読み出してみると弁当のおかずの話で、妻のやっていることも夫の応対の仕方もどことなく我が家に似ている。

“いずこも同じなんだ”と安心やら不思議やら、そんな思いに浸っていると、横でカミさんがニコニコしながら
「ウチと似てるでしょ」と言う。
思わず
「うん、似てる。と言うか…そっくりだ。」と答えると、
カミさんはまたニコニコとして
「そうでしょう…。だってウチのことだもん」と言う。

一瞬キョトンとすると
「私が書いて出したの」と付け加えた。

そう言われれば確かにこれと同じ会話を2、3カ月前にしたことがあり、上の文章の台詞を言った後で一生懸命なにか訳の分からないことを言って弁解した覚えもあった。
「あっそう」というのも、考えてみれば僕の口癖に違いないのである。
似ているはずだと思ったが、まさか我が家の実態がこんな全国版に暴かれているとは考えもしなかった。
読んだ人はどう思うだろう。きっと「無能な亭主」と僕のことをせせら笑っているに違いない。

憎むべきは投稿者であるカミさんであるのだが、更に聞き及んだところによると、この原稿料として彼女は6000円を受け取っているとのことだった。
「一割税金に取られて5400円ネ」などと言っている。
「オレはこんなに書いても金を貰ったことがないのに、これっぽっちで6000円? 大体、亭主をネタにして稼ぐ妻があるか」と言うと、
「あなただっていつも私をネタにして書いているじゃない」と言うから、
「オレは金は貰ってない。その6000円の権利の半分はオレにある」と主張すると、
「ダメ!」と即座に言う。
全くケチだと思う。皆さんも結婚するときにはこういう場合のことについて合意に達しておくべきだと僕はアドバイスしておきたい。


しかし確かにカミさんの投稿にあるように、毎日弁当を作るのは大変な仕事であろう。それには毎日朝早く起きてという物理的な大変さもあるだろうが、毎日のおかずをどうするかで主婦の頭はパンク状態になるらしい。まずはその大変さに感謝をしておきたい。

飽きないためには変化が必要だが、変化をつけるための常なる工夫や努力はまた大変な疲労を感じさせずにはおかないものだ。
紆余曲折して、結局毎日が特別である必要はない、“フツーがよい”というところに落ち着くのが大概の場合であるようだが、ウチのカミさんもようやっと一年かかってそういう悟りの境地に達したようだ。

その点、僕はもう最初から悟っていて、玉子焼が毎日入っていても、たとえそれがフツーの玉子焼であろうが異常な玉子焼であろうが、関係なくそのフツーの状態を受け入れていた。
つまり、積極的にフツーの状態(日常性)の中に埋没しようとしていたことになるわけで、“繰り返されるだけの退屈な日常こそが人間の総ての原点なのだ”という非常に高尚な思いが(一見無能な僕の頭の中に)実は存在していたのである。

要するにカミさんはまだそこまで修業が達していないのであって、その点だけを考慮しても彼女は僕に原稿料の半分、3000円を支払うべきだと僕は思っているのだが、いかがであろうか。


弁当と言えば、僕の弁当箱は極めて一般的なスチールの平たいやつである。
最初のころはハンカチで包んでいたのだが、毎日洗うのは大変だろうからと申し出て、以来、新聞紙にくるんでいる。
人はそれを見て「一時代前の高校生のようだ」とバカにするが、僕はそう言う人はまだまだ人生についての修行が足りないのだとこれも思っている。

そして新聞紙にくるまれた弁当箱の玉子焼をつつきながら、どうやってあの3000円をせしめてやろうかと考えているこのごろの僕である。

(土竜のひとりごと:第25話)


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