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反戦の歌

白菜はラファ砲撃を告ぐる日の記事に包まれくりやにありき

 戦争を歌うのは難しい。

白き雲穏やかにゆく空は青く ミャンマーで人が死んでゐる

 反戦を人に伝えるのも難しい。


高校生に反戦をどう語るかも実は難しい。

ロシアがウクライナに侵攻した時、「この時代にそんなことが起こるのか」という衝撃と同時に、みんな「自分に何もできない無力感」に駆られていた。

祖国のために銃を取る」というウクライナの若者の言葉が、罪悪感のように身に刺さった。

でも、それは正しいか?

集会である教員は福沢諭吉の言葉を引き合いに出しながら、「今の君たちはいたずらに動揺せず、新しい明日の世界のために勉強しなさい」と告げた。福沢の言葉自体が必ずしも正しいわけではないが。
無力感や罪悪感から救い出すための言葉だったのだろう。
あるいは過激な行動につながる感情の抑制だったかもしれない。


同時にこんなことも思った。

僕らに「祖国」はあるか?

寺山修司の歌
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

俳句のような、映画のワンシーンのような美しく作為された映像であって、寺山をよくは知らない僕にはこれが反戦の歌なのかどうかわからないが、「身捨つるほどの祖国はありや」はその言葉どおり受け止めてみたい。

命にかえて守りたいと思う「祖国」はあるか?


そうしたあの時の僕らの「動揺」から2年数ヶ月が経った。
ロシアとウクライナは収束が見えず、イスラエルとガザの今後の行方も不明だ。

僕らの中で何かが風化してはいまいか?



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