第197話:ジジイと娘たちの会話
これは自分勝手な思い出話である。
卒業生と飲むのを楽しみにしてきた。が、コロナでこの一年はまったくそれができず寂しかった。年を取ったせいか、授業でも何かを教えようというよりも、一緒に遊んで将来の飲み友達を探しているような気分である。
とりわけ部活動のつながりは強く、前任校では8年間女子部の顧問をしていたので、その子たちとは毎年、忘年会やら機会をつかまえて飲み続けている。
去年もその卒業生たちが忘年会に呼んでくれた。
3世代、21歳から23歳までの20人余りの女子で、大学院生もいるが、大学4年生で次の4月から就職組と社会人一年生組が多く、人生の岐路の時期であり、また「華」の時期でもある。
住む地域も北海道から奈良までバラバラだが、毎年ここで集まってワイワイガヤガヤ、ピーチクパーチク、話に花を咲かせる。現役時代もそうだったが不思議なほど仲が良く、この「娘」たちの話を聞いているだけで心が和む。
医療に関わっている子も多く、この集まりの中に、現在、医学部に2人、薬学部に2人、看護学部も2人が在学中、医療機器関係で2人が仕事をしているので、「お前たちはオレが肺がんになったらチームを組んで救え」と言うと、「煙草をやめればいいんですよ」と叱られる。「一人前になるまで10年かかるので、それまで生きててください」とも。
4月から看護師として勤め始めるタマちゃんという子に「タマちゃん、病院に行ったら指名するからよろしくね」と言うと、「いいですよ、喜んで。でも指名料、高いですよ」と切り返してくる。
「娘」のようと言ったら失礼かもしれないし、彼女らは僕のことをただの「ジジイ」と思っているかもしれないが、僕にとってはこの「娘」たちは本当に娘のようであり、彼女らは彼女らでお互いに紡いできた関係を楽しんでいるし、僕は僕で彼女らにつながりというものの大切さを教えてもらった。
お互いに時を共有し、それがお互いにかけがえのないものだったと認め合っている、そんな温かさを実感させてくれる。
しかし、赴任してすぐに関係が築けたわけではない。チームを作るには俗に3年がかかると言われるが、この「娘」たちも4年目以降の卒業生だった。理解されるまでには、どうしても時間が必要になる。
「コート整備が大事だ」と言ってもわかってもらえない。ある時、コートにローラーを自分一人でかけ始めたのだが、誰か手伝いに来るだろうと思行きや、誰も来ないので、結局コート2面を一人で引き終わったこともあった。
でも、不思議なことに「時」を刻むと、自然に何かが共有されてくる。僕が竹箒を持って落ち葉を掃こうとすると必ず誰かが来て「私がやります」と言うようになる。それはそれは不思議なくらいである。
「貸してやらない」と言うと、「いじわる!」と言って力づくで奪おうとする。そうなると、もう何を言おうと、どう怒鳴ろうと、彼女らは理解・許容してくれる。「時」を共有し、一緒にそれを刻むことの、それが大切さなのだろう。
僕は老化で頭はスカスカ状態だから、毎日のようにいろいろなミスが起こるのだが、優しくスルーしてくれるようにもなる。
練習や試合の後に円陣になって簡単なミーティングをする時、毎日会っている部活の部員を前にその名前を失念することがしばしばあるのだが、心優しい部員たちは心得ていて、指をさすと「○○です」と自分の名前を言ってくれる。
いつぞやは試合に出かけたのだが、会場に向かっていると彼女らから連絡があり「会場に誰もいない」と言う。「そんなはずはない。待っているように」と言って会場に着いて確認すると、明らかに僕の確認ミスだった。
皆を集め「すまなかった。いいかお前たち、よく聞組んだよ。まず場所が違っていた。」と言い、「いいかお前たち、よく聞け。それだけでなく日時も違っていた」と言うと、部員たちは「そこまで違うと怒る気にもなれません」と許してくれたので「じゃあ、アイスを買ってやろう」と言うと、「やったー、アイシュ」と喜んでいた。
彼女らで「遊ぶ」のもおもしろい。「遊ぶ」と言えば言葉は悪いが、これは将来、いい加減な男にひっかからないように訓練なのである。
例えば、クリスマスイブの練習の後のミーティングで、ある部員に名指しで「これから俺と夕ご飯食べに行こう」と誘ったりもした。試合で緊張して力を出せないまま負けた生徒に「大事な場面で力を出せないと、これだと思った男を捕まえられない。俺が結婚してやろうか」とプロポーズしたりももしてみた。
救急車に一緒に乗ったこともある。夏の試合、暑さで熱中症になった上に、県大会を掛けた試合で負けて泣きじゃくって過呼吸も起こし、全身の痙攣が止まらなかったからだ。
救急車の中でやや落ち着きを取り戻したが、試合のことを思い出して「すみません」と再び泣き出し過呼吸を引き起こす。
気を紛らわせようと「好きな食べ物は何だ?」と問うと、泣きながら「お寿司と焼き肉」と言う。「強いて言うとどっち?」と問うと、「お寿司かなあ」と言うので、「好きなネタは?」と聞くと、「玉子焼き」と答える。「それはまったくのオコチャマ的邪道だな」と・・そんな会話を救急隊員が笑って聞いていた。
また別の真面目すぎる「娘」も訓練せねばと思い、長岡温泉で試合があった時に、「帰りに一緒にお風呂入ろう」と言うと、ドギマギしている。「足湯」に連れて行き、他の4人の部員と一緒につかった。
駅まで送ると、別れしなに彼女が、こともあろうに「先生って、Mですよね」とのたまう。「顧問に向かって『M』とは何事?」と思ったが、彼女もその僕の表情を見て自分の言葉の意味に気付いたらしい。
慌てて「先生、違うんです。部活のTシャツのサイズです」と顔を赤らめて必死に弁解していた。そんなこともあった。
彼女らは僕のことを「つっちぃ」と呼び、職員室で「あのさー、つっちぃさあー」とため口をきく。「お前たち、他の先生がオレの指導に疑問を抱くから、職員室では真面目に振る舞え」と言うのだが、職員室の扉を開け大きな声で「つっちぃ、こっち来て」などと平気で言う。
そのくせコートに立つと、部員と顧問との分をちゃんと弁えて振る舞う。決してテニスが下手でも弱いわけでもない。それはそれは不思議なのである。
卒業してもよき「飲み友達」である。連絡があれば、出かけていく。
昨年は関西に旅行したときに、奈良にいる「娘たち」と飲んだ。酒が強い「娘」がいて、自分と同じペースで僕にも次を促す。そうして「へべれけ」になって、彼女らと別れた帰り道、缶コーヒーを飲もうと自動販売機にお金を入れようとして酔っぱらっている手はそれを滑り落した。
それを拾おうとして手を伸ばした瞬間、僕は「おでこ」で地面に着地していた。お金を拾おうとして手を伸ばした瞬間、酔った体は手もつけぬまま、まるで尺取虫のような格好でおでこをアスファルトにぶつけていたのである。惨めな格好であっただろう。おでこには大きな傷ができた。
翌日、奈良の山野辺の道を歩いていた僕と彼女らは合流したが、その傷を見て笑っていた。
彼女らは僕のことを「高校のお父さん」だと言うが、彼女らにとって僕は「先生」でもなく、むしろ「おじいちゃん」に近いのだろうと思う。現役時代から既に自分の範疇とは異次元の位置にいる同質感として「マッチ」している、うまくは言えないが、そんな感じである。
一般の人はこういう感覚を理解しがたく、女子高生相手に遊んでいる不埒なジジイと見えるかもしれない。
転勤して学校を去った年の夏、現役が食事に呼んでくれた。現役生とは席をともにしないと決めているのだが、転勤した後の様子も気になったので参加した。
夕方のお好み焼きの食べ放題。集合時間に間に合わず15分ほど遅れて店に入り、店先で「○○で予約が入っていると思うんですが」と部長の名を出すと、「○○さんですね。確認します」と言い、すぐに再び顔を出した。
しかしその時、なぜか店員は2人になっていて、僕の顔を見ながら怪訝そうな顔で「○○さんですよね」と確認し、それでもやっとのことで案内してくれた。
何故、そんなに手間取るのかとも思ったが、12,3人の、結構おしゃれをしたキャピキャピのJKの集団に、この汚いジャージ姿のジジイを案内していいものかどうか店員は迷ったようだ。
全く失礼な話だが、よく考えてみれば確かに「ミスマッチ」なのだろう。
どこまで彼女らとこの「ミスマッチ」の「マッチ」を楽しめるかわからないが、この「娘たち」がどういう人生を歩んでいくのか、見守れたらいいなと思う。
今年、大学2年生の卒業生から「そろそろ私も就活です」と書いた年賀状が来たので、「そろそろ僕も終活です」と書いて出した。
「元気ですか?飲みましょう」という連絡が入る。「その日まで何とか生きているように頑張ります」と返信すると、「じゃあ、煙草やめて、その日まではとにかく生きていてください」と返ってきた。
ジジイのブラックユーモアを平然と切り返すこの娘たちとの「つながり」を、いま少し、楽しみたい。
■土竜のひとりごと:第197話