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第269話:じわっと何かになる

4月の異動で学校から図書館司書の仕事をしてくれていた職員が転勤してしまったため、その仕事が今までの仕事にプラスして舞い込んできた。昔から図書館への憧れはあって、就職後に通信教育で司書の資格を取ったりもしたのだが、授業や部活の合間を縫って時間をやりくりせねばならず、当初はかなりバタバタした。

昔の手作業とはと違い、ネットやシステムを使えばいいのだが、62歳のボケ始めた頭は新しいことを覚えるキャパに欠ける。幾つかのWEBページの情報をもとに選書、e -slipというサイトを使って発注、本が納品されるとtooliというサイトからデータを落とし、自分の学校のシステムに登録し、バーコードとラベルを印刷し装丁を整えて配架、そんな流れとシステムの操作を2ヶ月もかけてやっとのことで覚えた。
でも、司書室で本に触っていると、それだけで「ああ、こうやってずっとこのままここにいたい」と思ってしまう・・何か至福の時間を天からいただいたような気になる。

本はいい。

ただ、本を手に取りながら「ああこれ読みたい」と思うのだが、悲しいことに読む時間がない。ひと月に100冊前後の本を受け入れるのだが、ほぼ100%、本は物理的に僕の手を通過して行くだけで、じっくりと立ち止まってそれを開く余裕はない。

まさに「通り過ぎていく」という感じなのである。

もう20年近く前になるが、4年間図書館勤務をしたことがあって、その時にも似たようなことを感じた。県の図書館で配属部署も調査課だったから学校の図書館業務とは違い、一般の人から寄せられる質問に図書館資料を使って回答することを主な仕事としていた。(そのほとんど惨めに近い格闘の様子は、もしよければ下の過去記事でお読みください)

歴史、経済、法律、科学、芸術、文学・・ありとあらゆる分野について質問され、それを書庫に潜ってひたすら本を調べ回答を作る日々・・。
日々の蓄積、「さぞかし博学になったんじゃないの」と人に言われたりもするが、僕の頭の中には全く何も残ってはいない。どんなことを質問されたかの記憶さえ遠い記憶の向こうで霞んでしまっている。
これまた「通り過ぎていった」という感じなのである。

昔読んだ本の内容もすっかり消えている。感銘を受けたはずの映画も、感銘を受けたこと以外の詳細は覚えていない。

「人」についても、そんなことを思う。
例えば、毎年、2〜300人の生徒が僕の前を通過していく。3年間付き合うとそれなりに親密な関係も生まれるが、ここ10年間はずっと3年生の担当で、1年間、実質的には8ヶ月位の付き合いしかない。深い関係を作るのは難しい。
知らないジジイとあえて関係を結ぼうという物好きな若者はいない方が自然なわけで、コロナでマスクをお互いにするようになってからは余計に関係が遠くなった。
通り過ぎていく」という、どことない寂しさ。


最近、そういうことをよく思う。
歳をとったからかもしれない。振り返ってみると、いろんなもの、いろんな人が僕を「通り過ぎて来た」。

27歳で死んでしまった親友。
初恋だったかもしれない女の子。
田んぼ、畑で働き詰めだった親。
お天道様に申し訳ないが口癖だったおばあちゃん。
拾って来た猫。
カミさんがくれた本。
恩師からの手紙。
飲んで騒いだ仲間。
クワガタやセミやメダカ。
浜辺に落ちていた石。
生徒が作ってくれた弁当。
日本中を走り回ったバイク。
真っ黒になってバカみたいにやったテニス。

決して書き尽くせない小さな物や人や時間。
決して人生の転機になるような劇的なものではなかったのかもしれないけれど、僕を一瞬に通り過ぎながら、その都度にその当時の僕に「じわっと」何かを染み込ませたもののようにも思う。小さな日常、小さな経験の積み重ねが僕なのであろう、などと思ってみたりする。

なんか遺書を書いてるみたいな・・?


今の日々も通り過ぎていく小さな時間に過ぎない。

夏休みに何人かの卒業生と飲んだが、彼らは授業の内容など当然のように全く覚えていない。覚えているのは「雑談」と、何と言えばいいか、あえて言えば「空気」だろうか。
それはどうも「ドンマイ」みたいな空気らしい。


そう言えば、ついこの間も試験で本居宣長に関する空欄補充問題を作り「字数は指定に従え」と書いたのだが、うっかりその字数指定を忘れ生徒から試験中に質問を受けた。
「単純な問題だから字数指定がなくてもわかる」と思いつつも全クラスを回って訂正したのだが、「もののあはれ」と入れるべき箇所を(六文字なのに)「七文字」と言ってしまったことに気付き、テスト終了10分前に慌てて「六文字」と再び全クラスを駆け回って訂正する羽目になった。
生徒はニヤッとして、「こいつは平仮名の文字数も数えられねえ」みたいな顔をしていた。

通り過ぎ擦れ違う時間の中で、こうした「ドンマイ」みたいな教員がいたことが「じわっと」彼ら彼女らに浸透し、苦しい時の救いとなるようになるといいなどと思ってみたい。
「ああ、こんなんでいいんだ」みたいな。

だから、僕は今日も「”まど(窓)”ってどういう字だっけ?」とか「この質問に答えられたら抱きしめてあげる」などと言って、ことさらにダメ教員を装っているのである(と自分に言い聞かせているのである)。


■土竜のひとりごと:第269話


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