第41話:友人からの手紙
大学の同期に妙な奴がいて、彼は高校卒業後、就職し、5年間勤めた後に大学に入って来た。そこで僕は彼と知り合ったのだが、いつも黒いジーパンに黒のTシャツを着、不精髭にボサボサの頭をし、顔立ちも独特の風貌をしていた。
アフリカに行くのが夢だと学生時代は言い、国文科にいながらスワヒリ語と英語を勉強していた。仕送りはゼロ。泊まり込みの新聞配達のアルバイトで生活の資を得ていた。
大学卒業後もそのアルバイトで2年ほど食いつなぎ、飢餓絶滅の国際的規模のボランティア団体に所属してあちこち駆けずり回っていた。
時として異様とも思われる大声で笑い、女の子には妙に優しい、「変人のにおい」がする奴だった。
もう何十年も前になるが、彼からもらった手紙を今日は紹介してみたい。
多分酒でも飲みながら書いたのだろう。
支離滅裂と思われたら赦していただきたい。
彼はわずかな収入で食いつなぎながら、それでもニューヨークへモスクワへと会議に出掛ける身ともなったが、そのころから音信が途絶えた。
が、僕が45歳ころ(だから彼は50歳くらいだったろう)、突然、友人を経由して彼の訃報が舞い込んだ。
東北にいた。葬儀に駆けつけたが、彼は養護学校(特別支援学校)に勤務し、障害を持った子どもを抱える未亡人と結婚していた。
しかし、癌を患い亡くなったということだった。
奥さんは「いい人だった。本当に私たちはあの人に救われていた。」と言って涙を流されていた。
彼の生き方は、何かを求めようとして悩み、何かをつかもうとしては挫折する、そんな生き方だったのかもしれない。
あるいは、 個人が個人としてあることと、個人が正しく市民としてあろうとすることの狭間に彼はいたとも言えるかもしれない。
人が人として持つ硬質感とは、何だろうか?
僕はこの5歳年上の既にオジサンであるところの同級生の、こうした幾通かの手紙を、時として羨ましく、また何故かひどく懐かしいものとして読み返すことがしばしばある。
蛇足だが、彼は常々、こう言っていた。
イデオロギーや国家、民族や言語、文化、過去の歴史などといった枠を超えて人と人がつながることが、遠回りのようでありながら、一番近道であるという「現場」の声である。
でもそれは、必ずしも、激しく立ち上がれということでもない。そうできる人も少ないに違いない。
ひとりひとりが、置かれた立場や枠組みに囚われずに、人を、ひとりの人として見る視点を得ることが大切なのだろうと思う。
(土竜のひとりごと:第41話)
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