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第77話:あがる

人間は誰しも「あがる」ものである。
結婚式のスピーチで「おめでとう」と挨拶をしたはいいが二の句が継げなくなって冷や汗をかいている場面などを昔はよく目にしたものだ。
片思いの異性を前にしどろもどろになった経験のある方もおありだろう。

そういう状況に陥るとにっちもさっちも行かなくなり、なんとかせねばと思うのだが、そう思えば思うほどかえってそれが仇となり、ますます泥沼にはまって行ってしまったりもする。

かく言う僕も大の「あがり症」で、高校時代、指名されて英文を読まされたりすると必ず声がうわずっていたし、こうして人前で喋ることを商売にするようになってもうまくいかない授業では、うろたえたりもする。
結婚式のスピーチなど頼まれたりすると、当日は自分の順番が来るまでは御馳走もろくろく喉を通らず、何度か講演会の講師を頼まれたことがあったが、その時も3カ月前から緊張し続けていたのであって、つくづくとおのれの小心さを呪ったりしてみる次第なのである。

話は変わるが、かなり以前のこと、夏の高校野球の大会で自分の学校の応援に行ったのだが、前の試合が終わっていなかったので、スタンドに腰を掛けて何となくその試合を見ていたことがあった。

9回の表だった。1点差で勝っていた先攻チームが2アウトでちょっとしたチャンスを迎えた。だめ押しの追加点が欲しかったのだろう。キャッチャーの打順で監督はピンチヒッターを送った。
結局それは凡打に終わり点は入らなかったのだが、9回裏、守備についたそのチームのキャッチャーは当然選手交替となり新しい選手が出て来た。

控えの選手で試合経験が少なかったのか、あがってしまったらしい。普通では考えられないことだが、とにかくピッチャーの投げる球がミットの中に収まらない。前に横にポロポロとこぼしている。

ランナーが出るといいように盗塁され、いつしか同点となり、そして最後もサヨナラのランナーを3塁に置いてパスボール。逆点され、あっけなく試合は終了となった。
とうとうそのキャッチャーは、一球もピッチャーの球を捕球できず、恐らく勝っていたはずの試合を自分ひとりで負けさせてしまったことになる。

「寝られなかろうに」と思うと同時に、「そうなんだよな」と何だかつくづくと思ったりしたことを覚えている。


僕も中学から大学までの10年間、現役でテニスをしていた。小心者であったので、このキャッチャーの気持ちが痛いほどよく分かる。特に高校時代には試合のたびにあがって、それだけで試合に負けた。

自分の力を出し切って負けたなら、相手が強かったのだと納得も行くが、萎縮して自分の力を出し切れず、恰好よく言えば、自分に負けていた。そういう試合はひどく後味が悪いもので苦々しい思いで毎日を過ごしていたことを思い出す。

大学時代には、そういうことはさほどなくなったが、それでも集中力を高めるためにできるだけのことはした。
テニスの雑誌に「勝とうと思うと自分を見失う。常に『負けない』と自分に言い聞かせることが大切だ」と書いてあれば、愚直なまでにそれを実行したし、先輩から「心を労すより頭を使え」(配球やゲームの組み立てを考えることで心の動揺を意識の外に追い出せ)言われれば、カウントによる配球や配球によるポイントの取り方など徹底的に研究した。
試合前にはウォームアップで出た汗を水道の水で洗い、最後に水を両手に汲み、暫くその透明の水を見詰めながら自分の心を整理した。そして「よし」と小さく言って試合に向かったのである。

笑われるかもしれないが、自分の心をコントロールするためにそれだけの努力が必要だったことになる。

教員となってからは顧問としてテニス部の生徒を見るようになった。
昔に比べると、あがる生徒は少なくなって来た。ただ大きな試合や最後の試合となると、高校生ではやはり気持ちは微妙に揺れ動き、多かれ少なかれ誰でもが動揺する。
真面目に練習する生徒ほどかえって試合で力を出せなかったりもする。思いどおりに試合が出来ず、負けて帰って来ると涙を流す。そういう生徒を毎年のように見て来た。受験も同じだが。

敗者にかける言葉は難しい・・。

どういう言葉をかければいいか、いつも考える。
考えて、考えても、よくわからない。
でも、それが「敗け」ではないことを言葉に尽くす。

動揺するのは気持ちの弱さだとも言えるが、守るものを持っているからだと言ってもいいのかもしれないと思う。それまで大事に積み上げてきた失いたくないものがある。
どうでもいいなら何も恐れる必要はないが、でも、恐れず何でもうまくやってしまう人は、僕にはつまらない。失うものをもっている人、それを守ろうとしてもがく人の方が、人間ぽくていい。

敗けは敗けではない。

人は経過を生きている。失敗したり、挫折した人の方が、多分豊かだ。
教員生活のほとんどを、大変ではあったが、失敗をちゃんと乗り越えていく生徒たちと一緒にいられたことは財産かと思う。
失敗させることが、僕らの仕事かもしれないと思ってみたりもする。

あのキャッチャーはどんな大人になっているだろう?
そんなことを、ふと思ってみたりする。

(土竜のひとりごと:第77話)

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