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恩師?にインタビュー

教育学部に進学した教え子が「母校の恩師にインタビューして来い」というレポート課題を出されてやって来た。


先生の一日の過ごし方を教えてください

あのね、僕はだいたい6時45分に起きて、7時に出勤するの。最近は早く目が覚めてしまうことが多いけど、起きていきなり朝ごはん、すぐ着替え。その間、15分。すごいでしょ。車に乗って50分くらい、混んでいると1時間以上かかる時もあるかなあ。

学校に着くとバタバタ新聞のコラムを切り取って印刷して各クラスに配布。8:15から打ち合わせ。続いて、授業とか教材研究とか雑務とかで一日過ごす。それは一緒にいたからわかるよね。授業はね、一日に3時間の日もあれば5時間の日もあるけど、一応、雑務をこなす空き時間があるから、小中の先生より恵まれている。義務教育の先生はホント、大変だと思う。

授業が終わると、放課後は講習や部活。18時30に終わって職員室に引き上げてくると19時ころ。そこからちょっと残務整理をして19時30分から20時ころ学校を出る。

家に着くのは20時30分から21時。ご飯を食べながらテレビを観てお風呂に入りって、そこから0時くらいかなあ、教材を作ってる。ちびちび焼酎を飲みながらだけど。昔は1時とか2時になっちゃうことが多かったけど、今はそこまで体力がない。なるべく0時を超えないようにしている。でも、入試のシーズンになるとなかなか厳しい。

だいたい、そんな一日。もう15年くらい、ずっと。


結構厳しいですね。勤務時間は何時までですか?

勤務時間は8時15分から16時45分まで。だから毎日3時間くらいの残業ということになる。家に持ち帰る分は別だけど。教員は残業手当がつかない。でも、かえってそれがブラック企業化の原因。
手当を出さなければいけないなら時間内で終われということになるだろうし、今は定められた労働時間を守らなければ指導が入って企業としての評価が落ちることに繋がるんだけど、教員はそういう規制がかからない。

部活動、特に運動部を持っていれば休日もないし。例年、3月の半ばからインハイ予選が終わる6月の半ばまでは、雨が降らない限り休みはないし、ひと月に一日あるかないかって感じが多い。この夏休みも練習やって試合やって合宿やって、結局1日しか休みは取れなかったの。土日を含めてだよ。


土日は手当がつくんでしょ?先生ってお給料がいいと聞いたりもするけど。


休日の部活は一応、手当がつくんだ。今は3時間で2300円、時給800円弱。でも試合なんかで一日、たとえば朝8時から夕方6時まで10時間引率しても2300円なんだ。時給230円の世界だね。教員になった頃は4時間で500円だった。請求もしなかった。労働基準法で言う最低賃金違反だと思うんだけど、どう?

お金じゃないと言いながら、たとえば他県まで遠征しても、ガソリン代は出るけど高速料金は自己負担。朝4時に出るのは辛いから前泊しても、生徒引率でなければ宿泊代も出ない。ラケットとか靴とかユニホームとかも全部自分持ちだから、一生懸命やればやるほど貧乏に陥っていくのは悲しい。生徒にアイスを奢ったりしもちゃうから。

給料がいいかどうかはあまり考えたことがないからよくわからない。でも今は再任用になって、退職時の7割って言われてる。いろいろ引かれると手取りで24万円弱くらいかなあ。借家だから家賃を払うと16万円くらいになっちゃう。
65歳まで基本的に年金は出ないから、退職金削って生きてる。卒業生と飲んで話を聞くと彼らの方がよっぽどいい給料をもらっている。でも飲み代は僕が払うんだ。君と飲む時はオゴりたくなっただろ?

教員になろうとしている君には「悲しい」話だよね。でも君が教員になろうとしているから、あえてそんなことも言っておきたい気がする。


部活、大変ですよね。教科の指導も大変そうだし。

部活はね、時間もお金も体力も大変。この夏休みも酷暑で、毎日炎天下にいると気が狂いそうになる。老体には厳しい暑さ。生徒は僕がラケット持って動こうとすると「大丈夫ですか?」と心配そうに言い、5分おきくらいに「水飲んでください」って言ってくれる。ジジイを熱中症で殺すわけにはいかないと思っているらしい。

冬も暖冬とは言え寒い。去年の12月は22日から27日まで連続6日間試合。年明けの1月も最初の3連休は2泊3日で試合。死に物狂い。受験生抱えて共通テストが目前に控えている時期だし。

でも、共通テストが終わってから志望校の調整でガタガタした後、国公立の記述解答の添削や小論文の個別指導が始まるともっと大変。生徒がバンバン持ってくる入試問題を解かなきゃいけない。まるで今までのテストや課題の復讐を生徒にされているみたい。

年によって違いはあるけど、毎日5人から10人くらい、一番多い時で16人だったかな。一人30分を割り当てて、朝8時から夕方6時までぶっ通しで個別指導して、職員室に帰ると翌日の添削分が机の上に乗っている。ゲンナリしちゃうんだけどやるしかないから、持ち帰って深夜まで添削して、また朝が始まる。

いろんな学校があって、教科指導で四苦八苦する学校もあれば、生活指導で苦労す学校もある。定時制高校にも行ったし、知的障害の特別支援の学校にも行った。それぞれの学校でそれぞれの生徒がいてそれぞれの課題がある。進学の悩み、恋や性や友達の悩み、家庭の悩みとか、いじめとか、不登校とか、偏見、格差、モンスターペアレンツとか、SNSとか、いろいろ。学校は「何でも屋」だから。


働き方改革とかないですか?ICTとか。

働き方改革とかしないといけないよね。過労死ライン80時間とか言われても、それじゃあ俺は毎月死んでるとか思っちゃう。有給休暇なんて、病院行くのに2時間くらい小分けで取って、一年で2、3日しか取れない。夏季休暇とか他の軽減も帳簿上休んで勤務している。授業に穴が開けられない。授業には準備が必要だし、夕方部活があれば早退もできないって感じかなあ。

さすがに60歳を超えてから、かなり疲れる。老人だから。でもね、若い人、Z世代?は「働き方改革」なんだ。さっさと帰るし、部活で疲弊している老人に構わず休日は勤務しない。徹底している。すごいと思う。
それが「正しい」ので文句も言えないけど、「あなたの代わりに働いている俺はどうなるの」って思たりはする。

ITCもここのところバンバン入ってきている。生徒も一人一台タブレットを持っているし、でも、もはや老人にはついていけない世界(笑)。いや頑張ればなんとかなるのかもしれない。いろいろコンテンツを作るのは面白い。
けれど、それ以上、例えば授業で使う気になれない。「頭が古い」から。AIの採点とか入ってきたけど、AIなんかに魂を譲り渡さない!って思ってる。「頭が古い」から。

君たちの時代はもっともっといっぱい入ってくるだろうね。でも、時間かけて、手間をかけて疲れる方が、効率的にやって「これでいいの?」って思うより自分の中で違和感が少ないかもしれない。人と人が向き合う仕事だし、たぶん「昭和」の生き残りだから。


先生はなぜ先生になったのですか?

そういう質問が結構困る。

うんと格好をつけて言えば、僕らの育った時代は高度経済成長期でみんなガンガン働いていて企業戦士みたいだったから、そういう社会の歯車になってしまうのは嫌だったということになるかもしれない。でもそう言うのはやっぱり格好良さすぎるなあ。

現実的には、大学で文学部の国文科を専攻したから教員になるのが専門を活かせるという点では妥当な進路だったし、ヘロヘロした文学青年だったから、とても企業で生きていける気はしなかった。小学校でお世話になった先生が印象に残っていたこともあったかもしれない。僕の高校時代はまだおおらかで、先生は楽しそうに空き時間にはテニスなんかしていたから、そういう自由さに怠惰な憧れがあったのかもしれない。


先生になってよかったですか?

それも困った質問で、今でもわからない。

若い頃は若いというだけで寄ってきてくれた生徒もいたけど、ろくすっぽまともな授業ができなかったから、生徒の目?評価が気になってくたびれていたなあ。馬鹿にもされた。生意気だったり、荒れていたりもしたので、力づくで怒って押さえつけようとしていた頃もあった。

自分が病気をした頃からかなあ。ちょっと力が抜けたら不思議と生徒との距離が縮まってきた。ああ、こんなんでいいんだと思えるようになった。スカートを短くする女生徒に「太い足を見せるんじゃない」みたいに、今だったらセクハラで問題発言だろうけど、そんな冗談が言えるようになった。

違う世界も見たくて、さっき言ったけど定時制に行かせてもらい、続けて特別支援の学校にも出してもらうと、生徒たちが直面している格差や差別を肌で感じることができたし、徹底的に個別に生徒と向き合うことの大切さも教えてもらった。定時制の時にはよく生徒と飲みに行ったんだ。野球部とかやって楽しかった。

その後、県の図書館(事務局)に行ったけど大人だけの世界も経験してみると僕には合わない世界だった。ギスギスしてたなあ。もともと人間関係を作ることが下手だったし。館長と喧嘩もしたし。

でも、高校に帰って10年間のブランクを埋めるのは結構大変だった。優秀な生徒がいっぱいいた学校だったから最初は変なプレッシャーも感じた。いきなり担任をして、初日から学校帰に来たくないと訴える女子もいて、そんなことでなかなか歯車が噛み合わないでいたんだけど、夏休み明けにクラスの男子が亡くなってしまってね・・。

その子のお葬式、本当に辛くてね。せっかくやめていた煙草をまた吸い始めた。そう、煙草をやめていた時期もあったんだよ。「もう教員やめよう」と思ってカミさんにもそう言ったんだ。
でもね、翌日クラスに行ったら、クラスの女子生徒が寄ってきて「みんな先生のことわかってるから、先生のこと好きだから、頑張って」って言ってくれたの。

その時、「ああ、僕は残りの教員人生をこの子達のために一生懸命やろう」って思った。これはね、本当にそうだったんだ。きっかけかというか、覚悟?を与えてくれた言葉だった。そう思えたからかな、そこからいろんなことがうまく回り始めた。
この学校で8年、今の学校で7年、大変なこともたくさんあったけど、それを思い出すんだ。ありがちな教科書みたいな話かもしれないけど、僕にとっては大事な「感謝」なんだ。


いろんなことがあったんですね。
先生は冗談ばっかりで、この人にはストレスがないのかなと思ってました。

そうだね。ふざけてるよね。「終助詞」は「終わった女子(助詞)」だから「元カノ」だ、とかね。懐かしい?(笑)。
生徒の心が和んだり、明るくなれば、授業はそれでいいと思うようになったのもそんなことがあったからかもしれない。僕ごときに君たちに教えられることもない。

歳もとったしね。孫と一緒に遊んでいるみたいな感覚?むしろ将来の飲み友達を探しているような感覚?かなあ。こちらが自然体だと向こうも自然体になる。そんな感覚を、今は楽しんでるって感じかなあ。
だから、最初の質問に戻ると、たぶん今は教員になってよかったと思っているんだと思う。


いろいろ言ったけど、言えば言うほど「自分の大変さ」とか「自己肯定に走りがちな自分」を感じたりして、仕事について喋るのは難しい。
今年でフルに勤めるのはやめようと思ってて、もう体が、いや頭もついていかなくて「感謝」に答えるだけの努力ができないような気がしてね。そういう意味では長々とジジイの話を聞いてもらえてありがたかったかもしれない。ごめんね。


いえ、こちらこそありがとうございました。今度、お酒飲むときは「おごります」ね。

そうだね、それはいいね、よろしく。
でも、みんなそう言うんだけど、飲み終わると「ごちそうさま」って言うんだ。授業と同じでいい加減にしか聞いていない。そんなもんさ。最初は大変かもしれないけど、頑張っていい先生になってね。

はーい。頑張りま〜す。今度飲んでくださいね。

「おごってくれたらね」。バイバイ。


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