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第280話:引退と天気と

雨の季節である。空梅雨だが。

雨が好きな人はあまりいないのかもしれない。
しっとりと降る雨は、それはそれで趣があったりもするわけだが、最近の雨は情緒もない。5月ごろからガンガン陽が照りつけ、ひとたび雨が降れば、それこそ「キチガイ」のように猛烈な雨が降る。災害といつも隣り合わせにいる覚悟が必要なくらいである。

ただ、そういう「雨」は別にして、最近ふと自分が天気というものに余り関心を払わなくなったなあと思ったりする。

今年(2024年)からハーフ勤務に切り替えたので、曜日によって差はあるものの半日勤務が多くなった。
当然、ずっと指導してきたテニスの部活動からも足を洗い、いや第3顧問に名前はあるのだが、中途半端に手を出さない方がいいという周りのアドバイスもあって、練習はおろか、顔見せの挨拶さえもしていない。

毎日2時間の授業をし、教材研究をして勤務が終わる。

通勤も車なので外を歩くのはせいぜい20メートルくらい。傘も持つ必要がない。無論、湿気は不快だし、カミさんが洗濯物が乾かないとボヤいたりもし、庭に植えた茄子や胡瓜が気になったりもするが、とりあえずいかなる天気であろうと生活に大きな影響があるわけではない。

少なくとも明日の好天を祈って「てるてる坊主」を作ってみようかと思うような心のときめきや、テレビや新聞の予報に一喜一憂するほどの天気への関心は、今はない。

そう言えば子供の頃は「てるてる坊主」を作ったなあなどと思ってみたりもする。最近遠足の前の日に雨の天気予報だったりすると。
そうでなくても外で遊べない日の退屈さは極まりなかった。

中学以降、思い返せばずっとテニスをしてきた。大学までは下手だったが一応現役選手として。教員になってからは部活顧問として。
だから、天気は常に気になった。

例えば去年であれば、雨が降ればすぐに使えなくなる土のコートであったので、水抜きの水路を掘り、スポンジで水を吸い取ってコート整備。試合までの練習計画もその日の練習メニューも考え直す。公式戦当日の雨。ここ数年スコールのように降る雨の激しさ。
雨だけではない、雷、コートの乾燥、夏の過酷な暑さ。冬は暖冬といっても寒い。風もプレーには大きく影響する。
天気予報と睨めっこ。毎日が天気と共にあったと言えるかもしれない。


昔の文章を引っ張り出したら、就職した頃のものだろうか、学生時代を思い返して書いた文章に似たようなことが書かれていた。

今と同じだなあと思ってみたりする。
「天気が気にならなくなった」ことは、恐らく「現役を退いた」ということと同義なのだろうと思ってみたりする。

昨年まで、生徒との連絡のためにピロロンと始終に鳴っていたLINEも全くと言ってよいほど鳴らなくなった。まだ年度が始まったばかりということもあって、悩みの相談に来る生徒も、国語の質問に来る生徒もいない。

閑かなのである。

多分、その閑かさを素直に享受すればいいのだが、50年間、「体」に溜め込まれてきた感覚が、まだ「閑かさ」を受け入れるのに違和感を感じていると言ったらいいだろうか。

古典の世界では「天気」は天候のことも表すが、「天皇のご機嫌・御気色」をも表している。
まさに「天の気」なのであり、その「天気」を窺い察することが臣下としての大切な役目であったわけだが、半ば引退して家で過ごす時間が増えた今、これまで完全に放置してきたカミさんの機嫌を損ねぬよう、「おひさま」の「天気」などより、カミさんという「天気」を窺うことが最大の関心事となっているこの頃の僕なのである。

てるてる坊主を作れば味方になってくれるだろうか。


■土竜のひとりごと:第280話

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