見出し画像

第154話:息子と射的

プレゼントをしたりもらったりするようになったのは、たぶんカミさんと知り合った頃からだと思う。子供の頃でも、例えば誕生日やクリスマスに親が何かを買ってくれるということもなかったし、逆に、自分が母の日に何かをやるとか、そんなこともなく過ごしてきてしまった。

昔の田舎のことで、そんな習慣も無かった。バレンタインデーなどというものが登場してくるのはずっと後のことだし、仮にあったとしても恐らくそんなものとは無縁な青少年期を過ごしていたに違いない。

だからと言えるかどうか分からないが、基本的に物に対する執着は薄く、どこかへ出かけても、土産物屋は一応ひやかすが、ほとんど買ったことはないし、欲しいものはないかと聞かれると、「さて、オレは何が欲しいのだろう」などと考え込んでしまったりすることになる。

誕生日が近づくとカミさんが「何が欲しい」と聞いてくるが、「ハーレーが欲しい」と言っても無視されるだけだし、少ない小遣いに喘ぐ僕のこととて「現金がいい」と本音を言えば、「全く夢がない」と罵られ、かと言って、どう頭をひねっても欲しいものが思いつかないのである。

これは人に物をあげる場合もそうであって、誰かに何かをあげようとしても、何をあげればいいのか皆目見当がつかない。死ぬほど悩んだ挙句、結局あげないで済ませてしまったりもする。

若き日のカミさんにはそれなりにプレゼントなどもしたが、「あなたのくれるものは何だか変なものばっかりだわ」と必ず嘆息されるわけで、そうすると、僕には「物に関するセンス」が皆無であるらしい。
何をもらっても嬉しがらず、ろくに、あるいは、ろくな物もくれない僕というやつは、カミさんにとっては無粋で無益な存在なのかもしれない。

O・ヘンリーの『賢者の贈り物』ではないが、物を仲立ちとして心と心が通じ合うことも普通にあることに違いない。
僕が初めてカミさんにプレゼントしたネックレスは、女性しかいないアクセサリーショップで冷や汗をかきながら、それこそ必死になって買ったものであり、そこには今ではすっかり消え果てしまった、淡い「異性へのときめき」もあったわけである。

「大事な人」はいないよりいたほうがいい。

そういう意味で僕ら夫婦には息子がいた。子どもというのは欲しい物がその都度はっきりしている面白い存在である。贈るものも選びやすかったし、極めて単純に喜んだから贈る方も贈り甲斐があった。
プレゼントという習慣も、なかなかいいものではないかと思わせてくれたのが息子だったのである。

ただ、息子の一番欲しかったのは明らかにTVゲームあったが、それはだけははどんなにせがまれても買ってやらなかった。別に正しい親を気取ったわけでもなかったが、なんだか心が蝕まれるような気がしたからである。


いつだったか富士宮の浅間神社にお祭りを見に行ったことがあって、そこでこんなことがあった。

流鏑馬を見、脇を流れる清流に足を洗いながら涼んだり、食事をしたりした。賑やかに並んでいる露店を冷やかしながら歩いていると、ふと射的が目にとまった。

僕と息子で挑戦する。300円で10発くらいだろうか。やってみたが、収穫はない。倒れそうで倒れない。倒れても台から後ろに落ちなければ景品はもらえない。

所詮無理であろうとその場を立ち去ったが、一周してまたその射的の店の前に出ると、息子がいかにもやりたそうにしている。
「やりたいのか?」と声をかけると、「やりたい」と言う。
そこでお金を渡して見ていると、息子の狙っているのは、当たりと書いてある煙草くらいの大きさの箱で、その箱が幾つか並んだ上に、「当たりが倒れたら好きなものが選べます」と書かれている。見れば、豪華景品が並べられている中にTVゲームがある。

「ははあ、これを狙っているわけか」と思ったが黙って見ていると、息子は真剣な表情で狙いを定めている。引き金を引く。コルクは的をとらえ、「当たり」の箱は微妙に動くが、倒れない。
また真剣に狙いを定める。しかし、幾度挑戦しても結果は同じである。

「そう簡単には倒れないに決まっている」と思う一方で、真剣さは人を動かすものだろうか、何だか応援したいような気持ちになって、固唾を飲むように見守るが、結局最後の弾もやはり箱を落とすまでには至らなかった。
何となく寂しそうな亮太を見かねて、「もう一回やってみろ」とお金を渡す。息子は「いいの?」と聞いてから再び銃を取って的に向かった。

1発目、慎重に狙うが、やはり倒れない。次も同じである。息子が「フー」と息をつく。何だか緊迫した雰囲気さえ漂う感じである。

真剣さは人を動かすというのだろうか、今度はさっきからずっと見ていた店のオヤジさんがやおら身を乗り出してきて「坊主、ここを狙ってみろ」と声をかける。

息子が構えると、「もっと銃口を近づけるんだ」と銃口を狙うべき位置まで持っていってくれる。
そうかやはりコツがあるんだと変に感心しながら僕は二人のやり取りを見ていたが、こんな幸運に出合えることはなかなかないことに違いない。
オヤジさんは見る限り「こいつにやってもいいや」という腹になっていた。

しかし、にもかかわらず息子の撃った弾は箱を倒すことができなかった。「もう一度やってみろ」とオヤジさんが言い、息子が挑戦するが、やはり倒れない。

「おかしいな」と首をひねりながら、「見てろ」とオヤジさんは言い、銃を取って見本を見せる。息子に示したのと全く同じようにやる。
すると、コルク弾は箱を倒し、倒された箱は見事に台から転げ落ちていった。オヤジさんは「なっ、倒れるだろ」と言い、息子に銃を渡しながら、「やってみろ」と再びうながす。

息子が構える。オヤジさんは銃口の位置を調節する。息子が発射する。
これで倒れなければおかしいのだが、しかし、的の箱は位置をずらしただけで倒れなかった。

もう一度同じことが繰り返される。更にもう一度。しかし、何度やってもダメ。結局最後まで息子の放った弾が的を仕留めることはなかった。
本人は欲しくて仕方がなく、オヤジさんはくれてもいい気になっている。なのに何故か結果だけがついてこない。神様の悪戯であろうか。こんなこともあるものなのである。

オヤジさんも倒れなければ何ともしようがない。まさかただでくれようとも言えないであろう。悄然とする息子に「坊主、仕方ないな」とオヤジさんが声をかけたのをきっかけにしてその場を離れたのであった。


かなり後のことになるが、息子は漫画雑誌の懸賞に応募してSONYのPSPをゲットした。当選者の氏名に自分の名前が書かれたページを示して誇らしげ見せた。全国で7人しか当選者がいない。

人の抱く一念とはなかなかにすごいものである。


■土竜のひとりごと:第154話

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?