正しい家族と間違った家族
小さい時の話です。海外ドラマの「フルハウス」が好きでした。知ってます?3人のお父さんが子育てをする家族の話。楽しそうだなぁって、もし家族をもつならあんな楽しい家族がいいなっておもってました。
小学生くらいのころだったと思います。母親にお母さんしかいない友達の話をしたら、母は小声になって「かわいそうだね」って言ったんです。理由はわからないけどもやもやしました。これは中学生のころですが、父と全く会話をしなくなった時期がありました。そのとき、提出物の保護者の欄に母の名前を書いたことがあったんです。また母は 小声になって「お父さんのいない子だと思われるから」って、目の前で書き直したんです。こういうことがなんども重なって「家族には両親がいないといけない」ものなんだっておもうようになりました。社会には「間違った家族」と「正しい家族」があるんだ、って知ったんです。
でも思うんです。そもそも家族になるためになんで「結婚」が必要なのかなって。動物としての本能で結婚があればわかる。でも別に結婚しなくても子供はできます。それに狩りに出かけたお父さんが死んじゃって誰かに引き取られた子供はいただろうし、生まれてすぐにお母さんが死んじゃった子供だって 今よりもっと多くいたはずです。子供を授からなかった人だって、もっとたくさんたくさんいたと思うんです。そういうものぜんぶ「間違った家族」として片付けられてきたんじゃないのかなって。
単純に不思議なんです。結婚しなくても「家族」になる方法がなんでないんだろうって。 結婚できる人たちの遺伝子だけ残ればいいっていう優生思想からなのか。多数決の原理で、社会を維持するためにマイノリティの幸せのことなど構ってられないってことなのか。 なにも悪いことしていないのに、社会から存在しないものってあつかわれるのって、悲しい。
しあわせになるために家族になるんですよね。そのために結婚ってあるんですよね。 「正しい家族」になりたいから結婚するわけじゃない。
「正しい家族」に対する憧れがないのかもしれません。
憧れていればそれを手にするために行動に移すこともあるかもしれません。
でもその欲がそれほどないのかなって。
ひとりで暮らせることも幸せのひとつだと思います。
だからといって家族が欲しくないわけでもないし、老後だって心配なわけです。
人ってもともと誰かと一緒にいないと気が狂ってしまう生き物だし、ひとりよりふたりだとめんどくさいけど幸せが増えることも知っている。
○じゃなきゃ「ないもの」として扱う存在否定でしょうか。 もし白か黒かはっきりさせるのが法律の役割だというなら、グレーだって白にしちゃったほうが 幸せってふえそうな気がします。
人を罰したり縛る仕組みはどんどん増えていくのに、しあわせをふやすための仕組みは増えない。保険適用外の幸せを手にするにはリスクを伴う。
小さい頃からずっと、こういう話を母にすると嫌がられたんです。 「何理屈こねてんの。お嫁に行けなくなるよ。」「勉強なんてしても選択肢が狭くなるだけだか ら。馬鹿なフリしてお嫁に行くのが一番だよ」って。さすがにもう封印してくれてますが、今後もきっと無言の存在否定は続くんじゃないでしょうか。 私は彼女の夢を叶えてあげることができなかったのだから。
ひとりでは子供が欲しくても産めないし、誰かの子供を引き取って育てる経済力も愛情もない。猫を食べさせるので精一杯で、便利とか楽な方を選んでばかりで人の幸せに憧れてばかりです。
これってやっぱり人として壊れているんでしょう。
そして、子宮の中にある卵子のひとつも生かせなかった滅びゆく遺伝子のひとつ。壊れたたまご、未受精卵。
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