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体験したことを留めておく装置があればいいなと思ったりした

音楽教室に通いはじめた。音楽教室といっても楽器を習うわけではないといったら首を捻る人も多いのかもしれない。ずっと音楽を知りたかったのだけど、聴く以外のアクセス方法がなかなか見つからなかった。演奏するのに特化した人が近くにいることが多いのと、楽器を演奏する技術を習得することは長続きすることがなかったので、私は音楽の何を知りたいんだろうとずっと思ってはいた。やっと面白そうだと思えるものが見つかった。詳しくは整理できてからまたしたためることにしよう。

言語化できない領域にあるものに惹かれる傾向がある。
俳優とか演奏家やダンサーなど、プレイヤーとか、アンカーとも呼ばれるひとたちはこの言語化できない領域を担うのが仕事だと思っていて、その謎を解いてみたいという欲がある。表現したいのもあるけど謎も解きたい。そうすることで、人に何かを伝えることができるんじゃないかなと思う。

人に伝えるために、人に寄り添うとか、いろんなハウツーはあるし、参考にする事もあるけど、書かれていることを過信してしまうとまた正解を求めてしまう自分が出てくるので、本の情報はあまり身体にいれないように、惑わされないように自分の声を育てていくことが今は必要だと思っている。言葉に頼りすぎないように、言葉を背負いつつ、その目の前に広がる海原を表現できるようになってみたい。

音が生まれる瞬間は誰かに伝わる瞬間とは違う。自分の中の行為と、他者に伝わるまでは時差がある。どこから伝わるのかは受け取るによって幅も違う。だから自分の行為を丁寧に反復して解像度をあげていくことが表現する行為の技術じゃないかなと感じた。音楽と演劇とか、使うものや表現方法がちがうだけで、重なっているところがたくさんある。
新しい視点をもつことで、改めて自分のいる世界を客観視できる。その体験が今はとても必要。

気付いたことや体験したことってすぐ忘れてしまうのが難点で、それをきちんと思い出せるような自分だけの記憶装置を開発することも必要だなって思った。点で得た知識や体験を線で結ぶ力が私にはたりない。
だから多分、残していけば、また迷子になった時に戻ってこられる。

そうそう、今日はシューベルトの「野ばら」を聴いたのだけど、ゲーテの詩がシニカルで、ちょっとこわくてとても私好みだった。椎名林檎がなんでカバーしたのか不思議だったんだ。

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