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介護福祉士が始めたうたごえ喫茶 ③

介護の現場の質を上げる。その思いでやってきました。介護する側の質が上がれば、その分介護を受ける側の生活の幅が広がります。介護する人の出来ることが増えると、その分介護を受ける人もしたいこと、出来ることが増える。生活の質が上がる。そこに介護の醍醐味があると思います。どうしたら介護員の質を上げることができるか、勉強して実践をしてきました。そして出した結論が、介護の現場を変えるより、社会の側を変えたほうが良い(早い)のではないか。ということです。専門性を持ち、ケアにいかに特別な価値を付けて効率よく管理していくかを求めていく介護現場と、どうしたらいいのかわからないが故の「申し訳ありませんがよろしくお願いします」と介護事業所の言いなり、またはお任せ(丸投げ)してしまう家族。これでは、介護を「する人・される人」という歪んだ関係性を作り出してしまいます。そして「当事者不在」となり、要望を聞いてくれない介護事業所、勝手なことばかり要求する家族という扱いになります。この構造を変える必要があると思いました。そして本人家族側がしっかりとした情報と希望、要望をもって、伝えられるようになること、それに介護側が応えられるようになることが結果、介護側を育てる近道ではないかと思い、今に至ります。

私たちの場のコンセプトは、

「IRUTOKO(いるとこ)」「IKUTOKO(いくとこ)」「SURUTOKO(するとこ)」

何もしなくてもいい、いるだけで存在を認められる場所。あそこに行けば誰かいるかな?何かあるかな?といく場所。そこで歌ったり、話したり、考えたり学べたり活動をする場所。

家族には話せていなくても、知人は自分がどうしたいか(どういう最期を迎えたいか)を知っている。介護サービスを利用しなくても、手助けをしてくれる知人がいる。

「遠くの親戚より、近くの他人。」「1人の専門家より、50人の知人」

事業所で、自分がやりたいと思うことを余計なことと言われてしまい、介護ではなく、作業をしていることに違和感を感じている介護職員が、介護の専門性を身に着け、介護事業所を離れて、個人で活動をしていける地域。

そういった人たちが集まる活動の拠点

今の社会では、高齢者、特に認知症のある高齢者が、つまりは、生活を奪われ、自分らしく生きていけない。そして、今のままだと年を取るということに希望が持てないというです。

自分は大丈夫だと思うでしょう。そう思いたいです。でも、そこを自分事として考えていく必要を感じます。「私は、今の介護事業所にお世話になるのは嫌です!」だから、今のうちに自分がお世話になれる場所と関係を作っていきたい。

文章にすればするほど、内容が増えてきてしまいました。興味や関心を持たれた方がいましたら、ぜひご連絡ださい。お店でもお待ちしています。

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