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孤独の答え

旅の終わりに、という過去の記事のアンサーnoteのような仕上がりになった。応援してくれていた方へ。被害妄想のごとく寂しさ綴ってしまいごめんなさい。出会ってくれたみなさんも、応援していてくれたまだ出会っていない皆さんも、本当にありがとう。そして過去の私へも贈る。メモとして、このnoteのタイトルに「メンヘラ上等」というのもあったことをこの場に記録させて欲しい。

先日、はじめてイベントというものに参加してきた(こんなイベント)。

このイベントの内容にもちろん興味はあったけれど、参加を決意した理由は紛れもなく、赤いベレー帽の男がいたからだ。「再会」するための場所としてこのイベントに参加、結果私はメンヘラ上等なんて単語が思い浮かんでしまうような記事を書いているいまだ。まどろっこしい言い回しになってきたから、一言まとめて、話を続けたい。

参加してよかった。3回泣いた。その話を、させてほしい。

■1回目

1万人チャレンジ、先日1万人をゆうに超えた人数で達成し、このチャレンジとしての幕は閉じた。私は途中で帰国してしまったために、1万人達成はSNSを通じて知り、気がつけば仲間たちもヨーロッパからそれぞれの航路で、またそれぞれの帰る場所へ帰っていた。1人途中で帰国することは鼻から決まっていたことだし、帰る途中に時間に余裕を持たせていたからパリ観光を思い切り楽しんでもいた。そのせいもあってか、私の中でふわり、と終わってしまっていた1万人チャレンジ。

それがだ。このイベントで登壇したダイスケ氏の話を聞いているとワクワクが蘇ってくる。そして、カメラマンタクローさんの映像が流れた瞬間、頭では「懐かしいなぁ」「この場所に居たんだなぁ」「あ、この人覚えてる」なんて回想が走って、脳内で理解している表情筋は口角がぐっとあがった笑顔のはずなのに、涙腺がまったくもってコントロール不能になったのだ。そう、涙がとまらない。映画を見ている時みたいに「ああ泣きそう」なんて予兆もなく、だ。とまらない涙に対して「今日マスカラしてなくてよかったー!」なんて考えられるほどに頭がクリアなのに、だ。

同じ空間にダイスケさん、タクローさん、そしてダイスケさんの奥さんマユミさんと、ヨーロッパでチームだったみんながいることで「何かが終わった」のだとおもう。楽しいことばかりだったのだけれど、その中でも上手くいかないことや悔しいと思うこと、悩んだり、いまもなお悩んでいることもいろいろあるけれど、でもこの素晴らしい映像の世界に私もいた嬉しさとか、誇らしさとか、いい意味で全てどうでもよくなっていく。私はここに確かにいたのだ、それだけで十分だと感じた。

このイベントに参加中、何度かミニゲームなどを通して自己紹介をする機会があったのだけれど、「そらのです」と言った時に「いたー!!!」というリアクションをしてくれた方がいた。
ニコニコ近づいてきてくれたはじめましてなのに名前のわかるお顔、「XXさーん!」と声をかければ「えっ、わかるの?」なんて、出会い方がはちゃめちゃだ。
1万人チャレンジから帰国した時に、旅の終わりにという記事を書いたのだけれどそれを「読みましたよ!やばい!興奮してる!芸能人とあってるみたいだ」なんてこちらがフッと冷静になってしまうくらい大きすぎるリアクションをしてくれた同年代の男の子。

旅の終わりに」、これを書いている過去の私に、この日に起きる出来事を前もって教えてあげたい。あともう少しで、読者でいてくれた方達と出会えるよ。あなたを孤独に感じさせている殻に、ヒビが入るのももうあと少しだよと。

1番圧倒されたのは、このイベントの会場に入った時だ。「そらのちゃん?!そらのちゃん?!」椅子をかき分けて近づいてきてくれる方がいた。迫り来るその方の姿を視界に捉えながら心の中で、「どうしよう、誰だ、誰だ」人の顔を覚えるのが得意だと思っていた自分を一瞬で張り倒したくなる。私のデータベースに引っかからないパワフルなおばさまだ。「ダイの母です〜」私の顔に効果音をつけるとしたら、ペカーッという感じ。ダイスケさんのお母さんね、はじめましての挨拶「会いたかったのよ、ずっと」その言葉を聞いて思わずハグをした。1万人チャレンジの続きがこのイベントをきっかけにはじまった。同時にそれは私の1万人チャレンジをしっかりとした形を持って終えられる日、そのはじまりの合図だったようだ。

■2回目

公演の終盤、クロスロードからサプライズの催しが行われた。1万人チャレンジ達成おめでとう、お疲れ様という趣旨で流れてきた動画。本日2回目の涙腺崩壊だ。ダイスケさんが、成し遂げたことで私は記録をしていただけだ。でも、それでもやっぱり、私もここにいて、チームの一員で、ダイスケさんを1番近くで応援していたうちの1人で、達成を祝ってくれている空間が嬉しくて震えた。でもその時の動画に私が撮った写真が数え切れないほど使われていたことで、涙の流量は間違いなく1.5倍増しになった。全力でサポートをしているつもりだったが、私の人生はやはり私が主人公らしい。ダイスケさんのことを称えているこの動画の時間ですら、自分のことでまだまだ頭がいっぱいなのだ。子供だなぁ、そう思いながらも、この1万人チャレンジを通して身につけてしまった余計なものだと思っていた承認欲求が満たされていく。

この写真を撮ったのは私なんだ。私がみていたあの茣蓙一枚とその半径1メートルくらいの小さな幸せに満ちた夢のようなリアルな空間を切り取ったのは私なんだ、私だから、できた。こんな自信を持っても、きっとみんなが「その通りだよ」と大人な目で褒めてくれる気がする。

■3回目

約4時間というイベントでの時間、笑ったり泣いたり、初めましての挨拶をしたり、ミニライブを聴いたりと時間があっという間に過ぎ去っていった。「そらのちゃん?」ダイスケ氏以外に登壇していたスピーカーのうちの1人、マサトさんから声をかけてもらった。1万人チャレンジがどれだけ多くの人に応援され、見守られていたのかをこんな瞬間に感じる。マサトさんは5円玉を集めているとのことで、話したいなぁと思い5円玉が温かくなるまで握りしめていたがなんせ登壇者なのだ、常に囲まれ満員御礼、そこにグイグイ入り込んでいく必要があるのだろうが、できずにいたところで声をかけてもらった。なんて贅沢なことだろうかと声が上ずる。私が5円玉を渡していたらニュッと1万人チャレンジカメラマンのタクローさんが現れ、ユーロのコインをじゃらりと彼に渡した。

ここでまた、旅の終わりにの話が上がった。マサトさんも読んでいてくれた1人で、感想を伝えてくれるのに対して綺麗な言い方で言えば謙遜と言えるのだけれど、はたから見ればとにかく自信がないおどおどした私。そこでタクローさんが「そらのは本当に、もっと自信を持った方がええで」目を見開いて涙を眼球に満遍なく広げ、ポロリとこぼれて来ないように堪えるのも一瞬のあがき、自信がないという的を射た指摘はイコール自信を持っていいと褒められていること。本日3度目のダム決壊は言うまでもない。
「私、こんなに泣き虫じゃないんですよ!」なんて泣きなが叫ぶ私。なんの言い訳だろう。いい大人が泣いてる姿なんてきっと目をそらしたいだろうに、目をそらさずハハハハと笑ってくれてる人たちに囲まれている私は幸せだ。

2次会へ、行くつもりはなかったのだけれど「え?来ないの?話したかったー」なんていう言葉で私はいとも簡単に決意が揺らぐ。
「おとう(父)、ごめん、今日一緒に夕飯行けないや」精一杯ごめんねの気持ちで電話をして、2次会へ向かった。会場?驚いたよ、緑広がる公園で輪になって話すんだもの。私のテンプレだった自己紹介は「初めまして、そらのと申します」でも、今宵の自己紹介は「セクハラ・パワハラから逃げるように会社を辞めたその2週間後にダイスケさんとタクローさんという正真正銘のおっさん2人と寝食を1ヶ月共にしていたそらのです」イベント会場で、私のことを知ってくれていた人がたくさんいて、ちょっぴり調子に乗った。そして約2ヶ月前に終わった、苦い記憶が初めて笑い話にできた日になった、のはまた別の機会で話せたらいいなと思う。お父さんごめんね、夕飯一緒に行けなかった代わりに、素敵な出会いを逃さずに済んだよ。

当然のことながら何度も「1万人チャレンジ一緒にいってどうだったの?」と質問を受けた。それに対して思いの外しっかりと答えられる自分に、実は自分が一番驚いていて興奮していた。
え?どうたったのかって?ここに書いたら、聞いてもらえる機会減ってしまうかな、なんて。ぜひ、直接聞いてもらえると嬉しいのです。読者でいてくれる方達と会うという喜びを知ってしまった。だから、会うための口実を残しておきたいななんて、自惚れるなと突っ込みつつ自惚れてやる。

一つ言えること、それは「物語はまだ、はじまったばかり。」だということ。1万人チャレンジの続きを紡いでいくバトンを受け取った話を、聞いてもらえますか?




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