17歳の誕生日

息子が17才の誕生日を迎えた。私が母親になってから17年ということでもある。いつも通り、ケーキを焼く。
プレゼントにいいかなと思っていたものは、打診したところ、ぜったいに欲しくないと言う。欲しくないと否定する勢いがあまって、まるで怒っているようだ。あっさりと流すことにして、夫と相談し、カードに現金を添えてあげた。

1年前、16才の誕生日には、彼はバイクの免許を申し込みに行った。安い中古品のバイクを、自分で整備して乗れるようにし、愛用する1年だった。17才の誕生日では、すかさず、車の免許の申し込みに行った。乗り物のたぐいに情熱を燃やすのは、小さい頃からだ。
保険や税金はバカにできない額だろう。現金が一番うれしいプレゼントなのは言うまでもない。

おいしそうに焼けたケーキに、カスタードとココアでデコレーションをする。学校が終わったら、そのままおじさん宅にお呼ばれしているから、夕飯はいらないとのこと。ケーキにキャンドルを灯すのは、遅い時間になりそうだ。一人でケーキを眺めながら、大々的にパーティーをしていた頃からの変化をしんみりと感じ入る。

彼が小学校に就学したてでは、同級生みんなが大の仲良しであったから、全員に招待状を配った。同級生ではない近所の仲良し達も、もちろん加わった。我が家は大勢の子供たちの喜びの声で、はりさけんばかりだった。勢いがあまって、気持ちが悪くなるほど、お菓子を食べすぎる子もいた。
夫も私も、別の国からやってきて、ここに住んでいるのだ。同級生のご両親たちから安心してお付き合いしてほしいから、こういう機会は大切にした。学校の送り迎えの時も、できるだけ、コミュニケーションは取ってきた。でも、こういう、自宅の中まで来てもらえる機会は、さらにいい。この地域に住む、子供の幸せに心を砕いている同じ親として、共有感も増す。
アイルランドでは、お祝い事はかなり盛大で、大切にされている。我が家でもそれを周到してきた形だけれど、この土地の『当たり前』を、ただ真似ていただけではないのだ。

10年後の息子になったつもりで、エッセーを書いてみる。題は、「バースデーケーキ」。

僕の1才の誕生日から、毎年、母さんはバースデーケーキを焼いてくれた。パーティーやプレゼントもあったけれど、一番、誕生日になくてはならないものが、母さんにとっては、ケーキだった。デコレーションは、チョコレート、クリーム、バターアイシング、イチゴやパイナップル。メッセージが書いてあったり、毎回、少しづつ違いがあった。どれもシンプルで、格別においしかった。全て手作りだった。クリームやアイシングがきらいな友達もパーティーには来るので、デコレーションの違うケーキも用意するほど、お祝いする人みんながケーキを楽しめるようにしていた。
普段からお菓子を焼くことが好きな母さんだったけれど、誕生日のケーキは、また特別なようだった。

お金は充分持っているはずの、僕のおじいちゃんとおばあちゃんの家で育ったのに、パーティーやプレゼントには、全く、縁のなかった母さん。「そんなものは必要じゃない。」と、しょっちゅう言うおばあちゃんのもと、必要とみられない事は与えられなかった子供時代。なぜか誕生日には、一度も欠かさず、「お誕生日おめでとう」のメッセージがついた、イチゴと生クリームのケーキがあったという。
必要がないのに与えられた特別なものが、母さんにとってのバースデーケーキだった。

母さんはやっぱり、毎年、ぼくら家族全員のバースデーに、ケーキを焼き続けるだろう。

こんな、なりすましエッセーを考えながら、息子の帰りをしんみりと待つ。夜の10時を過ぎて、しーんとする中、大きなバイクの音をたてながら帰ってくる。ところが今度は夫が出かけたきり、帰ってこない。しばらく待って電話をしたら、帰りはかなり遅くなるという。しかたなく、息子、娘、私の3人で、ケーキにキャンドルを灯し、歌う。
「Happy birthday to you」

変わらないと思われることも、こうやって、どんどん変わっていくんだね。


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