母乳の話

「お母さん、男でもミルクが出るの、知ってる?」
何を見たのか、息子が突然そんなことを聞いてきた。
「えー?母乳は女の人が子供を産んだ後じゃないと出ないでしょ。」
「違うよ。男でも出るんだよ。」
時々、突拍子もない事を言う彼だけれど、私は完全には否定はしない。私の常識の範囲ではありえない事も、この世にはいくらでも存在するものだ。
「でも、男の人で赤ちゃんにおっぱいをあげたって話、お母さんは聞いたことないよ。」
「じゃあ、どうして男にも乳首があるか、知ってる?」
息子はいつもインターネットで、車の事やバイクの事、エンジニアリングに関することを見ていると私は思っていたけれど、急に関心が変わったのだろうか。18才の息子と一緒に、おかしなことを議論する。
「わからないよ。赤ちゃんは何か吸っていると安心するから、お母さんがいなくて、いざっていう時に、赤ちゃんに吸わせて安心させるためかな?そうでなければデコレーションとか?」
息子は、生物学的知識ゼロの私の回答に、待っていましたとばかりに、インターネットで得た知識を披露する。なるほどなるほどと、私は、おかしな講義を息子から受ける。本当に、男性の何パーセントかは、ミルクが出る体なんだと言って、彼は私に「ほら、これ見て。」と、ウェブサイトを見せる。私は「へー。」と言いながらも、そんなものは見たくないので、しっかり目の焦点をずらし、それでも見たふりだけはしておいた。

インターネットで得た知識だけでは物足りないだろう。私は息子に、自分が母乳をあげていた頃の話を聞かせる。私にとって一番驚きだったのは、感情と体が繋がっているという感覚を、母乳を出す中で体験したことだった。
産院からもらった授乳に関するパンフレットの中に、赤ちゃんの写真を見るとか、泣き声を聞くという事で、母乳を出すというテクニックが書いてあった。直接、赤ちゃんに母乳をあげる時は写真を見なくていいけれど、赤ちゃんと離れている時に、ポンプでミルクを絞るような場合、有効な方法だ。それを読んだ時、迷信のような、おまじないのようなものだろうと、私はちょっとバカにした。ところが、これは、体験すると真実だったのでびっくりした。
赤ちゃんの写真を見て、しかも泣き声を想像する。すると母乳が突然、出てくるのだ。まるで機械のスイッチを入れたように、即効性があるのには、本当にびっくりだ。面白くなって、その反対に、ちょっとした数学の式を頭に描いてみた。するとすぐに、このミルクの出は収まるのだ。
何を頭に思い描くか、どんな感情を持つかという事が、生物学的に体の機能に、こんなにも大きく作用するのだ。

母乳を赤ちゃんにあげる中では、これが、母親一人の仕事ではないという事も知った。赤ちゃんとの共同作業なのだ。しょっちゅう飲んでいたいか、インターバルが長いか、たっぷり飲みたいのか、ちょっとで満足か、吸う勢いだって赤ちゃん一人一人で違う。母親とのコンビネーションしだいで、上手くいく場合もあれば、いかない場合もあるだろう。どれだけミルクが出るかとか、吸わせる技術だけでなくて、その時の偶然の相性みたいなものが大きく影響すると私は思う。母親の意志ひとつで、どうにでもなるというものじゃあ、ない。

母乳をあげるというのは、確立されるまでは痛くて大変な事もあるけれど、いったん確立されると、非常に楽というのが、私の感想だ。息子にはうまくいかなかったけれど、娘には1才になるまで母乳をあげられたので、その違いは顕著だった。
母乳の場合、粉ミルクを買わずに済むだけでなく、ボトルを洗う事も、消毒する手間も要らない。温めたり冷ましたりも要らない。準備なしで、すぐにあげられる。外出だって、水だの粉だのと持たずに済むので、楽なのだ。
私は飲ませてすぐに外出し、次のミルクの時間までに帰ることが多かったけれど、人の家にいる時なら、別室をちょっと使わせてもらったりで、特に困ると感じることはなかった。公共の場で授乳室がなくても、いざとなれば、服でちょっとかくまったり、トイレの個室に入ったりするだけの事だった。
かわいいなーと思いながら赤ちゃんを見つめて、ミルクをあげる時間は、ホッと一息つく静かな時間だった。母乳では特に、他の誰にも取って代わられない、母親としての役得を感じた。頭で何も考えなくても、動物のように、本能で子供を育てられるというような、穏やかな自信が、つちかわれていったようにも思う。

夫は、シリアでの母乳に関するしきたりを話す時、なぜかいつもうれしそうだ。今でこそ、粉ミルクは当たり前のように使われているけれど、彼が子供の頃は、母乳一色だったことだろう。母親が母乳をあげられない場合、他の女性が代行する。シリアでは、この、乳母から母乳をもらった子供は、その乳母の子供と将来結婚することはないという。同じ乳房からミルクを飲んだ、ちょっとした、きょうだいという事になるというのだ。
夫の父方のおばあさんというのは、子供を24人も産んだ。夫は、冗談っぽくも、自慢げにこの話をする。
20年以上、例年のように子供が生まれる中では、ゆっくり赤ちゃんの顔を見て、かわいいなとうっとりしてミルクをあげるなんて、皆無だったのではないかと思う。運よく、全ての子供に自分の母乳をあげられたとしても、きっと、赤ちゃんを片腕で支え、食事の支度やほかの子供の面倒を見ながら、ささっとミルクをあげていたことと思う。

第一子である息子が生まれた時、私は母乳で育てたいという気持ちがなぜかとても強かったのに、上手くいかず、苦しい思いをした。
赤ちゃんの世話をする事には、何のとまどいもなかった。私は子供の頃、年の離れた弟の世話を、かなり喜んで、責任を持ってしていた。そのせいか、世話をする作業は全て自然で、始めから体が慣れ親しんでいるかのようだった。けれども、産後の体の痛みと、授乳の痛みは強烈で、私は、狭いアパートの中を、服も羽織らず、ぽろぽろと涙を流していた日がある。あげたくても、痛さのためにあげられない母乳が、涙と一緒に、ぽたぽたと床に落ちていった。私の意識の全てを切り離しても、母親になったばかりの私の体が、まさに、ぽろぽろと泣いているようだった。

うっかり、母乳で育てたいなんて産院で言ったが為に、母乳育児の指導が付き、これにはさらに泣かされた。痛かろうが傷ができようが、なんの軟膏も塗ってはいけず、とにかく母乳は休まずあげ続ける事と、厳しかった。粉ミルクを併用するとか、傷を治すために一日ほど直接の授乳を休むなんていうのは、その指導の中では、絶対にダメという教えだった。
結局、私はずいぶん体に痛い思いをし、断固とした指導への懐疑心とか、理解されない苦しみとか、赤ちゃんに必要なものを充分与えていないような不安、指導のとおりにいかない挫折感などを携え、最終的に、母乳をあげることをあきらめることになった。
強烈な痛みのために、赤ちゃんだった息子を、無理やり私の体から引き離した時、もうやめようと決心がついた。引き離す勢いが余って、彼をほおり投げる形になってしまったのが事実だ。運良くも、ほおり投げたのは大きなベッドの上だったので、赤ちゃんだった息子はケガをせずに済んだ。
そんな痛い思いを継続してまでも指導に従おうとしたことを、私は心から悔やんだ。

2年と違わず娘が生まれた時には、指導というものには一切従う気はなく、私は、自分の感覚にまず従うことにした。母親としての直感とか、本能とかいうものでもあると思う。
授乳の時に痛みが来ると、私は母乳をあげるのをあきらめるのではなくて、軟膏をちょっとぬったり、ポンプを使ってミルクをしぼり、直接母乳を吸わせるのを半日避けたりしてみた。脅すように教えられたこととは裏腹に、ミルクの出は止まることもなく、痛みもびっくりするくらい早くに治まり、私は娘が1才になるまで、気楽に母乳をあげ続けることができた。
私は、「こうするんですよ。」という指導は、もちろん知識として活用するけれど、最終的には、自分の内側にある感覚を一番大切にしたらいいと、ここから学んだ。育児だけではなく、生きる事すべてに、私はこれを当てはめている。

「お母さん、母乳って本当に白いの?牛乳と同じなの?」
「えーっと、牛乳より薄いな。」
記憶の中にある母乳の色を思い出してみる。
「クリーム色っぽかったかな?薄くって、牛乳とは違うな。コーヒーに入れたくなるような感じじゃないよ。」
18才の息子と母乳の話をしているのが、なんともおかしい。どうやら本当に、男性も赤ちゃんに自分のミルクをあげられるという事に、真剣に興味を持っているようだ。
「でも、男の人は赤ちゃんを産まないのにミルクが出るの?そんなこと、ないと思うけどな。」
「赤ちゃんに、ある程度の期間、3週間とか、とにかく吸わせ続けるんだ。そうするとその刺激で、ミルクが出るようになるんだ。」
「えー?そんな、吸っても吸ってもしばらくミルクが出て来ないなんて、赤ちゃん、かわいそう!」
赤ちゃんが言葉を発することが出来るなら、すぐさま、「お父さん!お母さんに代わってよ!」と言うだろう。

時代はどんどん変化する。今日の私の常識では、子供を産んだばかりの女の人のみが、母乳をあげられることになっているけれど、それすら変化するのかもしれない。息子が父親になる頃、産院の指導は、今とは全く別のものになっていても不思議ではない。
「さあ、お父さんたちも、お母さんにばかり任せていないで、しっかり赤ちゃんにおっぱいをあげるんですよ。初めはおしゃぶりがわりでいいんですよ。毎日続ければ、一か月後には、ミルクが出る可能性がありますからね。」
そんな時代になる前に、母親の役得として、赤ちゃんに母乳をあげる、何ともうっとりした時間を持てて、本当によかったなと思う。

私が母乳をうまくあげることができなかった、赤ちゃんだった息子は、粉ミルクをどんどん飲み、どんどん成長していった。母乳でも粉ミルクでも、赤ちゃんはきちんと育つのだ。どちらがいいかという事で、人が争ったり、母親が苦しむ必要は、何もない。

どんな形のミルクにせよ、ミルクを飲まずに育った人は、この世に一人もいない。自分では何もできない赤ちゃんの時に、必ず誰かがミルクを与えてくれたのだ。人生の初めに、与えられることがプログラムされているように、人間は、与えるようにもプログラムされているということだろう。そして、与えることの中に喜びを感じられるのならば、それは、そんなプログラムを人間に作った神様からの、ちょっとしたプレゼントのように思う。

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