コンサートチケット

気になるコンサートの、チケットの売り出しが始まった。どうしようかと数日考えていたけれど、心が決まらず、朝9時の売り出しの時間になってしまった。ラジオからは、そんな私のふらつく心に、早く早くとせかすように、宣伝が流れる。

9時半になって心が決まった。よし、チケットを買おう。行きたいと思っては悩んだ末に、コンサートに行くチャンスを逃し、後悔を繰り返している私だ。したいと思う事すべてが可能なわけではないし、できるけれどもリスクが高いという事も多い。でも、このコンサートに行くことは、そんなリスクや、しない方がいいなんていう事柄とは無縁なのだ。日程上も問題なく、同じ市内の会場なので、交通上も問題なしだ。レビューを見ると、過去のコンサートに強烈に感激した人たちのコメントが続く。せっかくの素晴らしいコンサートなのだから、一人で行っては寂しい。少なくとも2枚のチケットを買うことにする。一緒に行こうとさそったら喜んでくれるような人が、簡単に見つかるのは確実だ。

売り出されてから30分が経過しているけれど、大丈夫だろう。若者が行くポップのコンサートではないのだ。売り出し後1分で完売なんていう世界でないことは確かだ。このコンサートを待望する人たちは多いとは思うけれど、落ち着いた年齢の人たちがその大半だ。若者じゃないのだから、売り出し日すぐにチケットを買いに走ったり、チケット販売のサイトを早くから開けて、興奮して待っているような人たちはあまりいないだろう。
私はお茶を飲みつつ、チケット販売のサイトを開ける。

「高い!」
なんと、一番安い席のチケットでも、私が思っていた値段より高い。しかもそれは間違いなく、ステージから遠く離れた席だ。でも、今までコンサートに行かずに後悔したことを思い出し、ステージが遠くの点に見えるくらい小さくても、素晴らしい音が耳に響くに違いないと思うようにした。
「クリック!」
ところがその一番安いチケットは、もうなかった。私が想像したよりも、落ち着いた年齢の人たちは、結構、行動が早いのかもしれなかった。私はあせった。

90歳に一歩手前の、作曲家、兼、指揮者である巨匠のコンサートだ。オーケストラの演奏なんだから、目でしっかり見る必要はないと自分に言い聞かし、さらに音響だって、この大きな会場のどこにいたって、素晴らしいに違いないと、一番安いチケットを求める自分を納得させていたのに。

私はすぐに、もう少し値段の高い席にすることを心に決めた。なんといったって、高齢の巨匠の情熱に接する機会なのだ。「年齢は単に数字にすぎない」という事を確信する機会になるのは間違いない。私にとって、非常に大きな励ましとインスピレーションになるだろう。心が欲することを、できる限り行動に結びつけようと決心しているので、その具体的な行動として、このコンサートに行くことは、私の決心の具現化なのだ。

ところが、

一番安い席のチケットがないばかりか、その次の値段のものもない。私の予想と予算をはるかに超えた額が、スクリーンに提示された。落ち着いた年齢の人たちはこれくらい出すという事なのだろう。彼らを見くびっていた自分が甘かったと、認めるしかない。

「クリック!」
2枚のチケットを買うとした合計額が出ると、決心はかなりぐらついた。洋服が何枚も買える額だ。コンサートに行く代わりに、こんな額のお小遣いを子供たちにあげたら、どんなに喜ぶだろうか。しかも私は、主婦という自分の経済的立場を考えないわけにはいかない。でもきっと、素晴らしくいい席に違いないと、わらにもすがる思いで、座席の位置を確認する。なんとそれは、巨大なコンサート会場の、後ろのそのまた後ろだった。

そんな席でこの値段。。。
つらい決心はすぐについた。残念だけれど、私はそんな後方の席に、それだけのお金を払うわけにはいかない。もう何年も前に、ミュージカルを同じ会場で見た時、余りにも後方の席で、ステージ上の人物が、点にしか見えなかったことがある。アイリッシュダンスのショーを、これまた大きな会場で、かなり後方から見た時は、ダンサーの足の動きが見えず、結局、ステージ脇に設置された巨大スクリーンに映る姿をながめて終わった。高いお金を出して、臨場感がないものを見に行くよりは、気持ちのいいソファーにごろんとして、テレビのスクリーンで見る方が、楽しめるかもしれないというレベルだったのだ。

そんなわけで、コンサートのチケットは買わないこととなった。ずいぶん悩みながら決定をしていったのに、残念でならない。でもこれで、私がそのコンサートに行くことを完全にあきらめたわけではない。きっとそのうち、ラジオや雑誌で、コンサートチケットが当たるコンペティションがあるだろう。積極的に応募するつもりだ。もしかしたら知り合いから、チケットがあるけれど行きたくないかと聞かれるかもしれない。さらには、これ以上はないというくらい、いいチケットを買った人が、不幸にもコンサートに行くことが出来ないことになり、それが私のもとへ流れてくるかもしれない。何枚もあったら、友達も数人、誘うことができる。楽しみは倍増だ。もしかしたら、いいチケットを数枚持った人が、当日一緒に行く人が見あたらず、一緒にコンサートに行きませんかというメッセージをどこかに出すかもしれない。それが最高に素敵で面白い人でないと、誰が言えるだろうか。音楽を楽しみ、インスピレーションを受け、しかも素敵な会話ができる可能性までついてくるのだ。

コンサートのチケットは買えなかったけれど、この手の空想は十分な癒しを私に与えてくれた。どんな素敵な偶然がおこるかと、そちらの方が楽しみにすらなってきた。何だか自分がドレスアップしてコンサートに行き、素敵な時間を過ごすような気がしてきた。ああ、コンサートの日が今から楽しみだ。ただし、今現在、私の手元にチケットが1枚もないことを、忘れてはならない。今日から、自分のコンサートへの憧れを人に話すことと、コンペティションなどの情報にアンテナを張ることを決心する。それからうっかり、つまらない予定をその日に入れてしまわないよう、さっそくカレンダーに記載もしよう。

日々は、小さな決定をしていく事の連続で流れていると感じる、チケット発売日の朝だった。


『空の下 信じることは 生きること 1年目の秋冬』より

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