手作りのテディベア

新しいコンピュータの調子がおかしく、返品した。私の知らない全てを知っていそうな、コンピュータを売る店のお兄さんたちによると、同機種の不具合で持ち込みをするお客が多いらしい。私の至らなさのために起きている問題ではなさそうで、安心する。同じものの新品との交換となったけれど、こちらも非常にあやしい。一人でピコピコ、問題を解決すべく、苦闘している。残念ながら、また返品になりそうだ。
子供たちは、「おかあさん、自分でやらなきゃ、わかるようにならないよ。」と言って、見てもくれない。こんな、不得意分野で四苦八苦している自分がもどかしい。でも、必要に迫られて、これだけでもこなしている自分に、拍手を送りたい。人間、いくつになっても、成長を続けられると実感する。もちろん、自分以外に拍手をしてくれる人はいない。

これとは別に、得意分野を駆使して、かわいいあみぐるみのテディベアを作った。私が時々面倒をみている近所のノアが、2才になったので、誕生日プレゼントだ。1才の誕生日にはブランケットを作ったので、その同じ色の糸を使ってみた。深くてあたたかいピンクと、優しく淡いピンクの毛糸。気持ちよく包まれるブランケットのあたたかさを、テディベアにも感じてもらえたらと思った。私は丁寧に、心を込めて、小さなテディベアを気持ちよく編んだ。自分の得意分野が、そんなあたたかさにつながっている事がうれしい。ノアはとても気にいってくれたらしく、テディベアをつかんで、興奮してはしゃぎまわる。

言葉を発し始めた最初から、彼女は私の事を「トト」と呼んでいた。大きな声で、力強く呼びかけることがほとんどだから、たいていは「トットー!」となる。我が息子のことを「ミーム!」と呼び、我が娘のことを「ララ!」と呼ぶ。夢の国の住人のような名前だ。丸みを帯びた、明るい音で、我が子たちも、こう呼ばれるのを気に入っている。ノアは名づけの天才だ。
まだ、誕生日が何なのかも知らないだろうけれど、もらったテディベアを嬉しそうにつかんで、「トットー!トットー!」と走り回る。編んだかいがあるというものだ。
「ミーム」と「ララ」が小さい時に、作ってあげたテディベアを、こうしてまた作ってプレゼントできたことが、うれしい。彼らは今も、そのテディベアを持っている。

本当はもっともっと、子供を持ちたかったのに、二人で終わった子育て。自分の子供でなくても、こうして手間ひまをかけてあげて、喜びいっぱいの2才のノアを目の前にして、不思議な摂理を感じる。誕生日はちょっと、そんなドラマチックなことも、思い起こさせる日だ。

「トットー!」と叫んで、ノアは私の口の前に、人差し指を出す。私が舌をくるっと丸めて、にょきっと出すと、そこに指を入れてきゃぴきゃぴ笑う。泣いて機嫌が悪い時も、これをするとぴたっと止む。
私の丸めた舌に、さんざん指をつっこみ、ご機嫌いっぱいのノアは、その指を今度は自分のお母さんの口元に持っていき、「ママ」と言って、つっこむ。「きたないよー!」と私は心の中で叫ぶ。間違っても、再度、その指で私の口にやってきてもらっては困る。ドラマチックどころではない。簡単にまとめて、失礼することにする。

「ノア、2歳のお誕生日、おめでとう」
手作りのテディベアは、小さな手に握られて、まるできつくきつく、抱きしめられているみたいだった。

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