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手紙小品「空から君に、野には小さな芽吹きを」


前略 雪解け水が野を洗い 草木の芽吹きを感じ始めました


 今日は君に送りたい風と、大地と、空を見つけたので、早速手紙を書く事にしました。この間手を振ってまたねと云い合ったばかりなのにと、君は呆れたように笑うんでしょうが、僕はいつだって本気です。楽しい出来事も、面白い景色も、愉快な残像も、みんな君にも届けようと、いつだって思い付いてしまうんです。


 昨日は、雨水を迎えたでしょう。もう、そこ迄来たんですね、春は。角のタバコ屋の前を通り過ぎて路地を抜けると、小さな川が在るのを憶えていますか。昨日はその小川の傍を散歩しました。当日になって歯医者の予約をキャンセルしてしまったから、受付のお姉さんにまた怒られてしまいました。でもね、一昨日の敷き詰まった雲が嘘のように彼方へ逃げ出して、真っ青なキャンバスが広がったものだから、つい出掛けたくなってしまったんです。

 風は二時の方向から、隙あらば僕のキャップを掬って遣ろうと時に強く、けれど何だか温もりの在る、おでこに心地良い風です。水流は清く穏やかに、静かに僕の前を、あれよあれよと流れて行ってしまいます。僕はその始まりを見た事はないけれど、いずれから誕生して、こうして町まで流れ着いて、それからまだずうっと先まで続くのかと思うと、刹那の出会いが愉快な気分になるのです。留まる事を知らないで、知らぬ間に僕や、そこに共存する生き物たち、草や花や大地に、惜しみない潤いを与えて去って行く、気取らぬ地球の立役者だと思いませんか?


 僕はそう云うくだらない事をもくもくと考えながら散歩するのが大好きです。一緒に歩いていると、だから君によく叱られるけれどね。


 そうだ、その小川の傍にね、赤い靴下があったんだ。白いガードレールに片方だけ、引っ掛けてあったんだ。誰かが落っことして、また別の誰かが引っ掛けてあげたのかなあ。片方だけ?どうやったら落ちるんだろ。まさかウォーリーじゃないよね。でも、ちょっと不自然で滑稽でした。持ち主が気が付いてくれるといいね。


 それから今日はこの後、この手紙をポストへ出しがてら、商店街の金物屋を訪れようと思っています。玄関を掃く箒が欲しいんだ。マンションの小さな玄関だけど、掃除しようと思い付いてね。素敵な箒に出会えたら報告します。それとも、また遊びに来て下さい。大切な友人が遊びに来てくれるのなら、僕は喜んで部屋を片付けるよ。もしも君が春の間に遊びに来ると云うのなら、約束の鼻セレブを買っておきます。花粉症の君が来ても困らないようにね。

 それでは春一番にご注意を 去り行く寒さにご用心あれ また会おう
                               草々

   令和四年二月二十日

春待つ君へ 
                           僕より


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