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手紙小品「手書キ一通便箋三枚封ジ手ハ切手八十四円也」


 チーズケーキの一口目。手紙の書き出し部分を例えるなら、好物の一口目でしょうか。はじめが滑らかに、それでいてぐっと読み手を惹き付けるような文であったなら、受け取った手紙を先へと読み進めるのが一層楽しくなるのではと想像します。私は手紙を書く時、拝啓の後、書き出しの文章に一番頭を使います。頭を使うと云っても難しく考えるのではありません。ここ最近で一番印象的だったことは何だったかな、季節なのか、時間帯なのか、近況なのか、心に残る光景を、ありのまま伝えられる言葉を探して、その上簡潔に表したいと、頭を捻ります。素直にとんと思い出せた時は、言葉もすんなり組み立てられて、よし、これが良いと、早速文字を認めていきます。同時に二つも三つも思い出した時は、一寸ちょっと困ります。あの日の夜も良かったけれど、今朝の様子も良かったしと、頭の中で天秤が左右に振れて迷っています。そういう場合は後の文面とのバランスを考えて決める事にします。これまでお届けして来ました手紙小品の書き出し部分も、そんな風にして書いています。

 さて今日も、一週間積もらせた話を、週末になるといそいそ小さな机に便箋と封筒とボールペン、そうして選び抜いた切手を用意して、傍らに広辞苑をどしんと置き手紙を書く、相も変わらず手紙を好物と云って憚らない、私事のお話です。お付き合い下さるあなた様には、是非三つ折りの便箋重ねて開いた積りでお読み頂けますと幸いに御座います。

「君、よくそう毎週毎週手紙を書いていられますね」
 という人があるかも知れません。もしもそんな御人へ出くわしたら、私は顔綻ばせてただ一言、
「はい」
 とはにかむ事でしょう。なにしろ手紙を書く日が待ち遠しい日々を暮らしている訳ですから、こう指摘されて、書いている時間を想像して、憮然と「ああ、まあね」等と気取っていられるはずがありません。嬉しさを隠しおおせる自信がないのです。

 春になり、季節の節目と前後して、誰かに向けて何かしらのメッセージをお届けになられた方は多いのではないでしょうか。感謝、惜別、思い出、はなむけ、喜び、御挨拶――人生は人それぞれ、この世に想いは人の数以上溢れて居りますから、西から東へ、山の上から岬へ、国から国へ、赤い郵便バイクは縦横無尽に、今日もあなたの想い籠めた一通を運んでくれているのですね。そうしてその内の一通は、恐れ入ります私の物であります。

 相手に伝わる文章をと、いつもながら心掛けているのですが、遂言葉が前後したり、畏まり過ぎて迂遠になったりで、伝わる文章のバランスとは、その匙加減ときたら、全く難しいものだなあと思います。そのうえ、漢字の使い方についても悩みどころです。私自身に読み慣れた漢字であっても、相手もそうであるとは限りません。私は夏目漱石先生の小説に親しんでおります故、屹度きっとじっと、ようやく、畢竟ひっきょうなど、どれも日常の如くに読み進めますが、現代小説ではおそらくあまり見かけないものと思われます。ですから仮令たとい同じ言葉を使うにしても、平仮名で書けば良いと思うのですが、この手がつい倣いの様にすらすらと漢字で書いてしまうのです。手紙に誤字脱字は頂けません。と申しましても毎度の如くに誤る不出来な私なのですが、その度便箋を取り換える程枚数に余裕が無いのが実情で、そうなると間違った訳ではない漢字を訂正する為に紙を替えるのは躊躇われます。勿体無い根性が強過ぎるのです。そうかといって例えば目上の方へルビを振るのも可笑おかしく思われます。迷った挙句、そのままで通してしまいます。


 受け取られた方々は一体どう思われているでしょうか。或いはお返事を頂戴した方からは手紙そのものへの御礼と喜びで文面は埋め尽くされて、クレームはありませんでしたけれど、手紙へいきなりここの漢字がああのこうのと仰る方も中々いらっしゃらないと思いますから、実際の処はわかりかねます。これは私の心配性というよりも、分析したがる研究者然とした部分が作用していると思われます。手紙に限らず、好奇心を抑えるのは難しく、また同時に勿体無い所業では御座いませんか。

 さて、こうして手紙を書くに至る私の心境をつらつら書いておりますが、果たしてこれは手紙文化へ貢献出来得るものでしょうか。これを読んで、一つ自分も書いてみようと心動かす御方が現れるものでしょうか。いささか怪しいようです。
 もっと魅力的なもの、アミューズメントパークへ行った人が燥いだ様子で現地をアピールするような、きらきらした所を訴える方が人の心へ届くでしょうか。手紙に於けるその様な魅力を発信しようと、一応心積もりだけはするのですが、気が付くと一本調子に己の煩悶を語っています。


 けれども、何より矢張やはり、人の心を動かすのは「想い」なんですね。いくら積極的に物事を勧められても、気持ちが向かわなければ動き出す事は出来ません。一方でたった一瞬の出来事でも、心が動けば大きな原動力になり、思いがけない力を発揮する事が出来ます。それは人間の持つとても魅力的なものだと思います。

 かく云う私の原動力も、届けたいと云う「想い」一つです。手紙と云う手段が世へ存在する限り、私は筆を執ります。想いを綴ります。そして、手紙に於けるきらきらがあるとして、それを知ることができるのは、どうやら手書きの文を受け取る相手、只一人であるように思うのでした。


 一通につき、伝えたい言葉がどれだけ募っても便箋三枚迄。読み返して住所したためた封筒へ入れ糊をします。仕上げに切手は八十四円分。後はポストへ落として郵便屋さんに託します。

 書いても嬉しい、貰っても嬉しい手紙。今日も誰かの想いが無事届けられます様に。

                           令和四年 いち



※タイトルにある封じ手は本来の意味とは異なります。


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