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掌編、短編小説広場

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此処に集いし「物語」はジャンルの無い「掌編小説」と「短編小説」。広場の主は「いち」時々「黄色いくまと白いくま」。チケットは不要。全席自由席です。あなたに寄り添う物語をお届けしたい… もっと読む
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#生き方

「ミスターA」

 あなた様のことをお話するのは、身勝手なような気が致しますから、遠慮しようと思っておりました。けれどもやはり、世の中で堂々とあなた様の事に触れ、堂々御礼を述べたいと、こう思い立ったのです。不本意でございましたら申し訳ありません。  あなた様はいつもエネルギッシュで清潔感の溢れた御方でした。私共は一同揃って、大変可愛がって頂きました。こういう日々が続いてゆくものと誰もが思っておりました。  いつの間にお聞き及びになられたのか、ある時からあなた様は、大相撲をほんの少しだけかじ

掌編「四時に集合なって言ったじゃん」

 エアコンが壊れた。夏の盛んな一番暑い日に。冗談にも程がある。  ワンルームの自室にとてもじゃないが居られなくなった俺は、窓の外を瞳に映すだけでうんざりしたけれど、新たなる涼みの土地を求めて、灼熱の世界へ半ばやけくそに身を投じた。熱を帯びるコンクリ踏みつけて七分、近所のカフェへ流れ着く。早速火照った体を冷やして生き返る。冷たいカフェオレを手に、空いているテーブル席に陣取って、ポケットからスマホを取り出す。待ち合わせ場所が変わった事を伝えるためだった。  あいつら元気にしてるだ

短編「暮れなずむ朝顔列車 if・怪談」

※この短編は「暮れなずむ朝顔列車」のアナザーストーリーです。#眠れない夜に と云うものに相応しい物を描いてみ見ようかなと初めて怪談めいたものを描きました。先出の短編のイメージを保ちたいと思われる御方はお読みになられない方がよろしいかと存じます。あっちはあっち、これはこれと面白がって頂けるのであれば幸いにございます。果たして怪談と呼べるものか分かりませんけれど・・・。先出の短編を未読の御方は、是非とも先に、元の物語をお読み頂く事をお勧め致します。それではどうぞよろしくお願い致し

短編「三度目の掃除機」

 台所でジップロックに作り置き野菜を小分けしている母に向かって、 「私今日から彼の家で一緒に住むから」  と宣言した。母はいきなり 「まだ早い!」  と私を叱った。自分は二十歳で結婚した癖に。私は今二十三だ。  母はまるでコンビニ強盗でも捕まえるのかという形相で追い掛けて来たけど、既に荷造りを済ませていた私は玄関を飛び出し、そのまま母を振り切って逃げた。最初の曲がり角で一度だけ後ろを振り返った時、エプロン姿で玄関前に立ち尽くす母親の姿が見えた。やだもう、お玉とジップロック持っ

掌編「傘をささんとする」

 今日も雨が降っていた。  公民館の敷地内は、紫陽花が見頃となって、雨に打たれるも鮮やかに、紫と眩い桃色の球が咲き乱れている。傘を差してまで外へ出るのはあまり好きではなかったが、月二回の教室の日が重なってしまったのだから、駄々を捏ねても仕方が無いと、私はしとしと降り止まぬ雨を冒して外へ出てきた。  しかし歩いて十五分、来てよかったと早速思った。茂る濃緑の葉に守られて、絢爛たる紫陽花の見事なこと。思わず傘の下で我を忘れた。花壇の花に自ら足を止めるなど、独りになって以来初めてで

掌編「波打ち際、サクラガイ」

 出会いと別れが或る。それは望み通りにはならないもので、ある日突然やって来て、哀しいとか、寂しいとか、嬉しいとか、鼓動の高鳴りとか、心の内の、切ないのを、たった一瞬で、染め上げてしまう。  今僕の目の前にある、夕日のように。海の表面がくれない色に煌めいている。  砂浜で桜貝を見つけた。波打ち際でもっと奇麗なピンクがきらり輝いて見える。サンダルの足に砂が纏わりつく。むぎゅむぎゅする。楽しい。足首、脛まで海水に浸して、少しだけ冷たい。奇麗の行方を探す。見つけたと思った。手を伸

掌編「合羽少女、自転車に跨る」

 昼前だった。国道五十一号は相変わらず混雑している。目の前の信号が赤であるためブレーキを踏んだ。昨日から雨が降っていた。時に本降りになり、また小康状態になりながら、ずるずると燻るもったり厚い雲が、空を覆って街の向こうまで続いていた。ハンドルを掴んだまま、車内で首を回した。運転は嫌いではなかったが、連日視界が悪いとやはり肩が凝る。ぐるり弧を描いた視線はそのまま二回転して運転席の窓の外へ向けられた。そして、とある地点で止まった。  横断歩道の入り口に、一人の少女が立っていた。小

掌編「いっぽ、にほ、かっぱ」

 会ったのか、と問われると、いやあ、どうなんだろうと首を傾げる。ただ、居るのか、と聞かれたら、うんと頷くしかない。  はっきり出会った訳では無いと思うのだけれど、知らず自分の海馬をすり抜けて、脳の片隅に、漠然と居座っている、記憶の様な、思い出の様な、一種の懐古の様なものがある。それが河童である。序に告白すれば鬼に対しても同じ事が云える。出会っていないと云い切れないのは、どれだけ過去を遡っても曖昧だからである。突き詰めようとすると暈される。掴もうとすると躱されるのだ。  ず

短編「小窓劇場」

 食事の度に上の歯の隙間に物が挟まって不可無いので、とうとう歯医者へ行く事にした。最初の予約をするまでは唯々億劫であったが、日取りが決まると少し安堵し、いざ通い始めると問答無用と半ば散歩の気分で外へ出掛けられるのが、案外に心地好いと感じるようになった。歯医者迄は歩いて十分もかからない。  診察室へ呼ばれた私は、手当たり次第に歯科助手へ挨拶しながら診療椅子へ身を預ける。病院何てもの自体が久し振りで挙動不審な私を、にこやかに、と云ってマスク越しだけれども、こんな四十のおじさんをに

掌編「彼と音楽と世界」

 彼は耳にイヤーピース差し込んで世界を遮断した。繋がる先にはお気に入りのSONYウォークマン。手早く操作して、音楽を流す。途端に誘われる音の世界。彼は暫し瞳を閉じた。  社会にはありとあらゆる音が溢れている。自然界のざわめきもあれば、人の織り成す世界もあって、話し声も、歌声も、祈りも、風説も、反旗も、皆彼の耳に入って来た。彼は殆どの場合それら全てを受け容れることが出来た。そうして又立ち上がってきた。けれども時々は耳を塞ぎたく思った。どうしてもしんどくて、もう不可ないと思った時

短編「まあるい地球」

 俺はフリーターでコンビニのアルバイト店員。高二からやってるからもう十二年以上になる。と自分で数えて驚いている所だ。ずっと同じ店に居るから店長も何人も代わっている。今の店長は若い。俺より年下で驚いた。今迄にやって来た店長と比べても大分若い女性店長だ。けれど滅茶苦茶やる気に満ち溢れた人だ。  アルバイトもヘルプの社員さんもそうなんだけど、大体みんなここへやって来ると、俺に質問してくる。俺が一番古株だからだ。この店のピーク時間帯とか、スタッフの雰囲気とか、売れ筋とか、常連さんと

掌編「初夢」

 初夢だから張り切って布団に入った。どんな夢が見られるだろうってわくわくして横になった。けれど凄く重たい夢を見た。こんなの。  僕は旅の途中。弟と一緒に福井へ行く事にした。電車の時刻が迫ってて、早く走りたいのに全然前に進めない。もどかしくて、僕は凄く不審に思う。だって僕はとても足が速いんだもの。気が付いたら手に学校の教室にあるような無機質な椅子を抱えてた。ああそれでかと思うけど、どうしても持って行かなくちゃいけないみたいで、弟も同じように椅子を抱えて、二人して全然前に進めな

掌編「冷たい日のお昼時、陽射しに背中を預けたい」

 僕の数日を振り返ったところで、誰も幸せな気持ちにはなれないだろう、そんな数日を過ごした。望んだわけじゃ無いから、過ごしたというは不当で、過ごさざるを得なかったというのが当たってるんだ。  それでも週が明けて、僕は職場へ通い続けている。仕事は嫌いじゃない。仕事と割り切って働くという気持ちも心の中には少しくらい在るが、本当に少しだけ。それよりも、対人で成り立つ僕らの仕事は、相手への感謝の気持ちとか、思い遣りとか、敬意とか、そう云う物が真実存在しなければ、見抜かれる。侮るのは簡

掌編「だから笑って生きたい」

 自分以外の人が何を考えているのか分からない。家族だろうと他人だろうと、分からない事だらけなんだから。  もしも自分が何か、言いたいことを、自分の言葉で言ったとして、言われた相手はどう思うだろう。自分が言いたかったことは、伝えようと思った事はちゃんと伝わったろうか―そんなこと思い始めると夜もおちおち眠れない。暗闇に、一人起き上がって、ひゅうひゅう鳴る風の音を聞いている。星が流れるのを待っている。月が傾いて行くのを追い掛けている。  ほんとはそんなことしてる場合じゃない。い