見出し画像

整える、ということ・・・「一旦諸々中断」編4

という経緯で、いつものごとく突然始まった「片付け断捨離」。
棚から、クローゼットから、収納箱から、全て出していらないものを選び、これからのこと考えながら収納場所を変え、とはいうものの、これまでと同じはなぜか嫌で改良したくなり、収納機能や結果家具の配置を変えていく。。。
というとても1日では終わらない作業のゴングが鳴り響き。

しかもその波及効果?
1日で終わらないどころか、、

収納は家の中での「玉突き」なので、今後この雑貨はリビングのここへ入れよう、、、と思うと、そうだリビングのこの棚の収納も変えよう、そうしたら、廊下の収納を見直さなくては!あそこのゴミを断捨離しなくちゃ。
そうだ、そうなると息子の部屋のクローゼットの上部を開けて、、、
そして、夫の部屋のあそこのケースにこれを。。。と
あれよあれよという間に、数日没頭プロジェクトになっていきます^^;

実は私自身、「断捨離」という言葉がでてブームになるずっと前、それこそ10代の頃から、新学期や季節の変わり目、漫画から映画になど趣味や好きなことが変わる時期、何かの時に突如として断捨離と片付け&模様替えが始まる、、、ということがよくありました。

一種の趣味のようですね。

しかしながら、お世辞にも!どう繕っても!

普段の暮らしで掃除をまめまめしくするとか、出したものをきちんとしまうとかが全くできず、引き出しの中も掘り込むだけ、本も、小物も服もカバンも、あちこちに置きっぱなし、部屋はどんどんカオスになっていく、、、。
そしてある日突然、瞬いたように片付けが始まり、見事!スッキリしゃっきり!きれいになって別人のようになる。。ということの繰り返しでした。

なので、突然始まる断捨離・片付け・模様替えは、何か息詰まった時、気持ちを新たにしたいときの、私自身の生理的な行動なのかと思います。

一種の「頭切り替えアクティビティ」「心機一転アクション?」(何かぴったりくるワードが欲しいところ)のようなものです。

小規模(部屋単位)には半年くらいに1回、大規模(家単位)になると2〜3年に1回は何がしらしていたように思います。独身の時は、そう、2〜3年ごとに引越ししていて、少しづつお部屋が大きくなっていきました。
結婚して家族ができてからも、子供も成長に合わせて2〜3年に一度は大改装。なんと家族で引っ越しも3回!

こう振り返ってみると、私のこの断捨離・片付け・模様替えは
捨てることも、あるものも工夫して収納を考えることも、模様替えも楽しくて仕方がない、日常刷新のための「欲求不満解消的な趣味」でもあり、
そして、「次」へと進んで生きていくための一種の儀式?のようなもの、ということなのかと改めて気がついた次第。

好き(=何より自分がスッキリする)が高じて、断捨離したい、片付けられない、事務所改装したいという友人知人のお手伝いもしてきました。

片付け関係の本とかには、外側が整理されると、心も整う。と書かれています。それは本当にそうであるし、特に私の場合は「次へ」のサインになっていた気がします。ただ、気持ちがスッキリして「次」への活力にはなったけれども、「心が整う」というのはどうだったのか。。。

今回の断捨離・片付け作業。

最初はこれまでと同じ、いつもの病気が始まったかなと思いながら進めていきましたが、実は、根本的違う感触を感じながらやっていました。それが何か気がつくまで、まだ時間がかかります。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?