時計じかけのオレンジ
時計じかけのオレンジ
アンソニー・バージェス 1962
社会の規範から外れている青年「アレックス」。ポルノとバイオレンス、そしてベートーヴェンに生きる喜びを見出し、山高帽に白いオーバーオール姿の「ドルーグ」というギャング団を率いている。彼らは凶暴な悪事に明け暮れ、ロシア語とロンドン訛りのスラングを混ぜ合わせた特有の「隠語」を話す。
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物語の最初で最も神経を逆撫でする行為が、終盤にアレックスが無力になった時に再び戻ってくる場所となる。
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未来都市を思わせる邸宅に押し入った彼らは、作家である夫を痛めつけ、妻を。アレックスは「雨に唄えば」を歌いながら。不快な犯罪を繰り返すアレックスはついに逮捕される。
アレックスは刑務所から逃れるために、政治的な企みと繋がった実験的な新療法のボランティア被験者となる。恐ろしい治療がはじまる。善人とさせる筈の更生施設の残忍さは、アレックスの暴力的傾向を抑えはしたが、人間性を奪い去っていた。弱々しいひとりの人間となったアレックスは、世間に戻っても自由にはなれない。皮肉なことに警官になっていた昔の仲間には裏切られ、自分が襲った犠牲者と出会うことで、当然の報いを受ける。
冷酷な暴力行為によって退屈しのぎをするしかない、目的を持たない若者たちの図は、今も昔も変わらない。「個人」はもろい。国家の求めに応じない「人権」は治療の対象にされてしまう。偽善、腐敗、サディズムといった「社会の悪」と比べると、個人の残忍さは霞み、弱々しい。
いつの時代も若者は「スタイリッシュ」で社会に対抗していく。
かつて若者であった大人は・・・・、それを「若気の至り」という。
・・・・小説でも映画でも削除された最終章「第21章」。
(現在は読む事が出来る)
最終章は作者の希望。だが、映画も社会も、未だに「無し」にしたがっている。
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