伏見つかさ先生という天才について

エロマンガ先生ってアニメを見て思ったのですが
伏見先生は天才なんだろうな、と。

天才って簡単に言っていい言葉ではないと思うのですが
素直に出てきた気持ちというか想いというか。

もちろんイラストレーターさんやアニメ制作、ラノベ制作に関わってくださった全ての方の支えもあってのことだと思いますが、今回は伏見先生について書きたいと思います。

アニメを見て、振り返ると
流水のように流れていく中で、ステキなシーンがたくさん思い出されて、結局どこに重きを置いて見ていたのかわからなくなったんです。
画面にロックオンさせられたような、でも自主的にはまり込んだような心地良い錯覚感の中で、気づいたら見終わってて。

大抵、最終回を見ると悲しくなるんですけど、悲しくならなかったんですよね。スッキリ気持ち良く終わっちゃって。

ちょっとネタバレになりますが、あるキャラが自分の想いを叫ぶシーンがありまして、アニメを見ていた時は、そのシーンで一番感動してたはずなのに
見終わってみると、他のシーンが伏線なようで全部メインだなぁと。

伏線というより、全てがメインだなって。

今まで幾つかのアニメを見てきて、一番盛り上がるところに向けての伏線シーンって、わかりやすく伏線だったり、伏線と気づかなくても、後になって気づいて見返すとわかりやすいことが多くて。「駒を置いた」ように、ドンっと置かれた感じがするんです。半紙のために文鎮置きました、みたいな。

もしかしたらプロットの段階で決めていたのかもしれない。

でもエロマンガ先生の流れって、そういうのがあるんだけどない、ないんだけどあるっていう矛盾があって、でも心地良いんですよね。気持ちの良い混沌というか。

伏線として作ったシーンなんてなくて、本当に流れるように作ったのかなぁとか、それすらわからないように研究に研究を重ねて書いたのかなぁとか。

歌で言えばサビにピークを持ってきて、AメロやBメロで助走をつけていったりするように、アニメも一番感動するシーンに向けて、ちょこちょこ波をつけることが多い。だからこそ、駒のようにシーンの中には「置かれた感」があって、それはそれで気持ち良いこともあるんだけど

エロマンガ先生はそういうのがあるようでない、ないようであるという、とても美しい形だったなぁと。

こんなこと、見てきた作品の中でなくて衝撃でした。

いろんな作者さんはそういう意気込みで書いてると思うんですけど、何も気にせず見ている視聴者にまで、こういう感想を実感させてしまうというのが、ちょっとかなり驚きでした。

いやぁ天才ってこういうことをいうのかなぁって。

ということを書きたくて書きました。

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