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自分の心の声を知るうえで"違和感"がとても頼りになった話

自然体な生き方を考えるメディア『ソラミド』の編集部がお送りするnote。編集部員が考えたこと、感じていることを自由に書き記します。今回は編集部の貝津が担当。肩の力を抜いて、ゆるりとお読みください。

2023年から2拠点生活がはじまりそうだ。
1〜2年前から「地域で暮らしてみたいなぁ」とほんのり思い描いていたら、一緒にしようと言ってくれる人に出会い、それから2人であちこち旅をしながら暮らしたい場所を探してきた。

そして来年からついに「ここではない、どこか」に根を下ろすことが決まった。やっと決まったという安堵と、本当にいいのだろうか?という不安は思った以上に隣り合わせだった。

それはきっと「一人で生きているわけじゃない」という感覚を初めて強く感じているからなように思う。これまでは、自分がどう思うか?だけでよかった。でもいまは、相手のこと・相手と自分のこと・未来のこと。などなど、予測や妄想がとめどなく広がる。(まだ起きもしないこととか、予定のないことでも、もしかしたら将来...みたいな)

誰かの人生と自分の人生を重ね合わせていく。

その豊かさに心震えるほど感動するときもあれば、当たり前だけれど、重ならない部分も当然あって。お互い眉間に皺を寄せるときもある。

そんなとき、「無理して合わせる」「妥協してなかったことにする」みたいなことがどうしてもできない自分がいた。

それは自分が女性だからだろうか、と思ったりもする。女が男に合わせる。みたいなことを安易にしたくない(彼は1ミリもそう思ってないのだけれど勝手ななぞの意地)。でもそれ以上に「好きな人と共に生きる」という生き方を真剣に考えている。誰かと歩む人生によって変化する自分や見える景色にもワクワクしている。

ぐるぐる渦巻き頭のなか。あらゆる野菜と果物をミキサーにかけて一緒くたにしてしまったかのように、自分がどう感じて何を大事にしたいのか区別がつかなくなってしまった。

でもそんなときだからこそ、"違和感"は、なによりの頼りになった。何にモヤっとしてるのか。そのモヤっとレベルはどれくらいなのか(絶対に譲れない・譲歩してもいい・譲歩するならどれくらいまで)。など、区別のつかなくなったジュースの中身を一つひとつ言い当てるように、仕分けをしていった。

その結果、「大事なもの」「そうでないもの」の区別がやんわりとでき、(まだ輪郭が現れてないものも、もちろんあるけれど)その結果わたしは、2週間ずつの滞在で2拠点生活をやってみる。というスタートラインにやっと立てたのだった。

実はこれまで"違和感"を、じゃまもの扱いしてきたときもあった。モヤモヤするのがいやで無かったことにしたり。蓋をしめたり。(ほんとうにごめんよ)

でも自分の心の声を知りたいときに絶大な信頼をおけるのは"違和感"なのだ。そのときは苦しくても、きっと納得する未来を手繰り寄せる手綱になってくれる。その"違和感"を信じてあげることが、"わたし"にできることなのかもしれない。

暮らしも、働き方も、人間関係も、その他たくさんの生きていくうえでの選択も。支えてくれている"違和感"に、今日もありがとう。

(執筆:貝津美里

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