見出し画像

自分の作風と時代がマッチしていないと言う最終結論で終わる

どうしようかなって思うわけ。
何っていうとカクヨムなんてには読まれなくても書き続けている人が沢山いるということ。あれ、私にはどうもわからない。
「小説は自分のためだけに書いてもいいんだ」
どこかのコラムに書いてあった。そうだよね、確かにそうだと思う。
誰かに何かを伝えたくてとか誰かに読んでもらいたいとか色々あっても、自分で単に書きたいから書く。それって純粋なんじゃないかな。

ならば自分もそうすれば良いじゃんっていう気持ちと虚しいって気持ちがある。

カクヨムで何度か作品載せたことある。
その時の反応ははっきり言って薄いしほぼいないに等しかった。
初めはエクセレントをもらっても、次の章は読まれない。続いて読んでもらえない。
最初から、このサイトには合わない作風なんだなとわかっていたのに辛くなった。
それで全部削除した。

で毎朝読まれているかチェックする時の、物悲しさが無くなったから楽になった。

しばらく他の人のチェックしてみるとあまり読まれていない作品が多かった。
それでも何十話も書いて完結してる。
それはもしかしたら運営さんに読んでもらえて、万が一を狙っているからなのだろうか?なんて邪推?も生まれる。

文学でもないライトノベルでもない。どのカテゴリーにもはっきり入らない。
そんな作品を書いている人は沢山いる。それは詩の世界にも通じる話だったりする。詩の場合は最近はもっと自然な誰にでも共感してもらえるような作風が増えた気がする。それは私にとっては嬉しいこと。
難しくて何書いてるのかわからない哲学的な詩ばかりが認められる時期は長かった。

私の作品はステキブンゲイみたいなサイトで書くのが一番だと思っている。
でも読者総数が圧倒的に少ない。はっきり言って萎える。

読まれて尚且つ、運営さんに認められる作品なんて、そうそうないのはわかっている。それは天才の域なんだ。

どうしたものかな?
うーん、悩む。その辺、振り切って自己の成長のために無視するのが一番なのかも知れない。自分が書くのが好きで書く。それは潔い。気持ちがいいくらいに⋯⋯。

過去、自分の作風が合う場所が見つからなくて放浪していた時期もあった。

ヒルナンデスなんて良かったけど、潰れてしまったし。
ノベルデイズは小説賞が全くと言って良いほどないから、モチベーションが保てない。そうなんだよ、この運営のレベルもある。
毎回、なんかしらしているエブリスタなんてすごい。やる気が出る。(読まれないけどね)

で、結局どうしたいのか、わからない。

なんでこんなに悩むかというと、本音で言うと実は投稿サイトで連載していると執筆が進むからなんだよね。なんだか書かなきゃいけない気になってくる。

これが文芸誌やなんかの小説賞だと、やたらのんびりして結局投稿できなかったりする。孤独な作業になってくるし、半ば諦めていると言うのもあるけど。

ネットの小説投稿サイトの方が書きやすい。それは年齢や名前を書く必要がないのにも現れているように感じる。作品だけを見てくれているのだ。

で結局、自分の作風と時代がマッチしていない。お悩みの元は、その一言に尽きるのかも知れない。

それでも書き続けたい。それは希望。最後の希望。
「自分が書きたいものを自由に書く。それが純文学なんです」
そんなこと、言われたらますます悩むじゃん。

記事がいいなと思ったら、サポートしてもらえると嬉しいです。いただいたサポートは、詩集作成に使わせてもらいます。