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不安を感謝に変える

久々にふと、自分の深層意識、潜在意識なるものが
垣間見えたので書いてみようと思う

私は自分のことがなぜか
すごくかわいそうに思えることがある
なんでなのかは自分でも分からない

幼少期からある、この感覚を久々に感じた、というか
普段は感じても仕方ないから、まあまあ、、、とそのままにしている感じ。
もっと若いころは、その感覚のせいで不安だったり、色々と怖いことがあった。

今は、自分の中のいろんな怖れをかなり手放しているので、
自分をかわいそうに思う気持ちが表れても、まあまあ、、、と自分をなだめて流すことができるようになったというか。

今日、ふとその感覚を思い出したのは、
9月から就職して寮に入った娘が今週は今日しかない休みに帰って来て
日帰りで帰って行くのを見送った後のこと。

職場の環境から、人と気軽に話すこともなく、友達もいない状態で一週間を過ごし、毎日しっかりと自炊している娘は、帰って来るといつも楽しそうに大きな声でけらけらと笑い、また寮へ戻って行く。
なかなか辛い環境だと思うが、明るくめげずに目的を持って生きている彼女を見ていると、私だったら、自分が哀れになって倒れそうなのにな、と思うのだけど、娘には自分自身を哀れに思う気持ちなんて微塵もないと思う。
しんどい、きついな、と思うことがあっても、自分を憐れむ性質ではない。

長男にしても、療育手帳を持って働いて、職場の理解を得るのが難しい中、休まず、やめたいとも言わず、彼もまた一人暮らしで自炊しながらの生活を淡々と粛々と続けていて、自分を憐れむようなことはないと思う。

私の深層意識の一部が現実に現れている彼らにそういう部分がないということが、私にとっては、本当にありがたく、幸せなことだな、とふと思ったのだ。

もし、自分自身の事だけでなく、辛そうな彼らを見たら、彼らのことも憐れに思えて、私は耐えられなくなるかもしれない。

たくましく生きている彼らを見て、私もずいぶん強くたくましくなったということだな、と勝手に思うのだ。子どもは鏡だからね~。

彼らは自分は大丈夫、と常に思える、というかそれが普通だと思っていると思う。、
その性質は、オット譲りだろうな。

常に、「大丈夫」でいてくれる彼の存在は、私にとって安定の素。
でも、それでは私自身が「大丈夫」になっているとは言えないから、
深呼吸して、大地に足を付けて、深く自分とつながって、私自身が一人でも大丈夫な私でいられるようにと願う。

ん~、そんなことを思うということ自体が、
私はまだまだ何か漠然とした不安を抱えているんだなと思う。

退職して時間ができて、こんなにも家族が大事で、他に大事なことはないくらいに思っているということに気づいて、
大事だと思えばこそ、心配している自分に気づく。

でも、心配ってしても仕方ないから。
ただただ、一瞬一瞬、幸せを感じていよう。
こんなにも大事な家族を持てたことに感謝を感じていよう。
不安や心配を、感謝の気持ちに代えよう。

目が不自由で外出もままならない義母が
いつ会っても笑顔で、何にもできないけどみんなのことをお祈りしてるのよと、いつも言ってくれる。
義母を見習って、笑顔でみんなの幸せを感謝していよう。

不安は感謝に変えるのが一番な気がする。



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