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はじめまして。

 こんにちは。
 sorakotobaと申します。
 はじめてのnoteでは、自分がnoteを始めた理由と今後の投稿内容に関してざっくり語っていきたいと思います。

 私は地方国公立大学を休学し、現在は自然豊かな田舎の方で自分の人生を振り返っています。人生の意味とは何か、私は何のために生きるのか、私はどんな人なのか。少し考えてみれば人生を生きていく上でこれ以上重要な質問は存在しないのに、その問いについてじっくり考える余裕はあまりないように感じます。答えが欲しくて哲学書やエッセイ、宗教書籍などを一生懸命に読破した時期もあります。でも、しっくりくる答えは得られませんでした。自分としてはどれもいまいちな分析で解答でした。学業、恋愛と結婚、キャリア、人間関係、子育て、旅行、グルメ、自己啓発、貯金といった個人的な悩み事もしくは夢(目標)というものから、あらゆる社会問題、国際情勢、大衆文化とメディアまで。どうしても他の物事に気を奪われてしまいがちです。人生の意味を探る重要な作業から私たちの目を逸らさせるためにそれらの物事が存在しているのではないかという、極端な考え方も一理があると思います。

 22歳の誕生日を迎える直前、つまり21歳の夏に、私は人生がどん底に落ちる経験をしました。そのあと約一年間も状況は変わりませんでした。むしろ益々悪化していって、最後の頃は精神的にも肉体的にもほぼ死んだ人でした。内臓が破裂するような苦しみと、天と地がひっくり返るような重圧感と、誰にも吐き出せない心の中の闇に襲われ続け、少しずつ死んでいきました。なぜ自分の人生にこんなことが起きたのか、どこから間違っていたのか、どうすればいいのか、どこまで足掻いたらいいのか、私の何が問題だったのか、私には特に何の非もないのに、じゃあ彼らが悪かったのか。そのような疑問が頭から離れませんでした。いつものように答えを求めました。しかし、今回は書籍や他人の知見に頼るのではなく、自分の人生の中で原因を探すことにしました。問題を解決するには原因を知る必要があったからです。

 最初は問題の1年間の出来事を頭の中に時系列に並べ立てました。一つ一つの事件、私の言動、相手の言動、周囲の人々の反応、音声、空気感、天気と温度、表情…。そのうち、記憶を辿ってもっと抽象的で詳細な部分まで把握できるようにしました。私の本音、頭の中で考えたこと、無意識に隠していたこと、思考の流れ、心で願っていたこと、叶わなかったこと、私の傷、誰かの痛み、私の責任、誰かの義務…。ここまで考えても、原因らしきものは見つかりませんでした。逆に、何が何だか分からなくなりました。当然のように、息をすることも食事をすることも難しかったです。でも諦めるわけにはいかなかったので-そこで諦めていたら、たぶん今頃私は道に迷い込んだ子供のように号泣したり怖がったりしていたでしょう。その末、気が狂ったかもしれません-それから1年間の出来事に限らず、時間の範囲を広げて人生全体を辿っていきました。

 私という人間を構成する(と思っていた皮相的な)経験と家柄、必死に築き上げてきた評判と名誉、何でも平均以上はこなしてきた過去、私という人間を証明してくれる(と思っていた)各種スコアと友達の数、それらのために努力したこと、さまざまな価値観、正義と道徳を守り抜くために自分なりに頑張ったこと、思う通りにいかなかったこと、成功のために置き去りにしていた大事なもの、葛藤と暴力と決別、体と精神の痛み、孤独と優越感、殺意と復讐心、荒唐無稽な想像、淫乱な目線、人を見下す癖、承認欲求、全ての言動の動機と結果…。何百回も繰り返して探りました。何かに絞らず、私の人生そのものを客観的に直視するためにすべての力を尽くしました。その過程は決して愉快なものではありませんでした。自分がどれだけ惨めな人間であるかが、その残酷な真実が刻一刻迫ってくるように感じました。

 客観的に、そう、私は優秀で性格も良い人だった。いや、そんなフリをしていた。いつも成績はトップクラスで学年末にもらえる表彰状や賞状は全部私のものだった。学級委員はもちろん、生徒会や部活を率いる側の人だった。大学では4年間給付奨学金の対象者として選ばれたし、そんな中でも掛け持ちをしながら熱心にお金を貯めた。未来のために。学業も、アルバイトも、部活も、就活も、論文も、学会も、友人関係も、全てを完璧にこなせている自分が誇らしかった。明るくて優しくて頭の良い女の子、皆がそう言ってくれていた。私も私の周りも、真実に気付けず勘違いしていた。私は優秀な人ではなかった。良い人とは程遠い人物だった。泥沼よりも黒くて粘り気のある、内面の悪の存在に気付いた時、それを無視したかった。見て見ぬフリをしたかった。悪夢のような事件を私の人生に招いたのが、私自身という真実がとても辛かった。

春のとある日の私の脳内を言語化してみた

 「私」と「私の周り」として成り立っている「私の世界」を初めて実感しました。「私」は「私の周り」に影響し、「私の周り」に影響された「私」がいます。私たちが有機的につながっているとしたら、互いが互いに対して多からず少なからず影響を与えながら生きていることが確かだとしたら、とんでもない真実に目覚めるようになります。ロシアのウクライナ侵攻によって死亡した妊婦や、北朝鮮の政府によって銃殺された子供や、麻薬密輸で大金を儲けている世界規模の犯罪組織の一員や、連続殺人鬼や、セックスをめぐる不祥事が絶えない芸能界や、嘘ばかりつく裏金議員の人生にも、私が関わっているという、ごく常識的で論理的な結論に至るという真実。世界中のすべての不幸と悪に私が関わっていたこと。

 信じられなかったし、信じたいとも思っていませんでした。それでも私はまだマシな方じゃないか、と最悪の希望が手放せず躊躇していました。自分自身がこの世の誰よりも-連続殺人者、性犯罪者、詐欺師、風俗女などよりも-汚れた心を持っていたこと、誰かの魂を殺し続けていたこと、それが悔しくて悲しくて惨めでたまらないこと、それでも、これからは少しでも良い人になりたいという気持ち、自分を通して周りとこの世界が少しでも良くなればいいのにという想い、これまでの人生を後悔し二度と同じ過ちを繰り返さず意味のある人生を歩んでいきたいという選択、もしまた失敗するとしても何度もやり直すという覚悟、そのすべての最善の絶望の道に足を一歩踏み出すまで、数えきれないほどの血と涙と孤独がありました。しかし、今になってはその経験と時間がとても大切です。思いを定めて最善の絶望の道を歩もうとしたあの日。あの日から、非常に不思議ですが、なぜかいつも心は穏やかで平和です。やるべきことが明確な人生になってよかったと思います。

 このnoteでは、このような私が経験したことや思ったことについて発信していきたいと思っております。ぜひ、私の歩んでいる道がお気になられる方々は、これからの記事にも注目してください。

PS. この旅路の果てに何が待っているか、とても楽しみです。最悪の希望と最善の絶望の中で後者を選べる人と、この旅を共にできますように。


sorakotoba

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