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高校演劇にジェンダーバイアスはいらない

Twitterのタイムラインに、「男子新入部員の獲得方法」という内容のツイートが流れてきた。ツイート主は、高校演劇の第一人者である。その書いてある内容を読んでいたら、無意識のジェンダーバイアスを感じた。

ジェンダーバイアスとは、男女の役割についての固定観念を持つこと。いわゆる「男らしさ」「女らしさ」や「男のくせに」や「女のくせに」というのもジェンダーバイアスに当たる。

演劇部というのは、日本全国の共学校で万年男子不足に悩んでいる。私自身も演劇部にいた身なのでそれはよく理解している。問題は男子部員の獲得方法である。

男子部員を獲得するために、部員募集チラシは男の子用、女の子用を作る。男の子用は照明や音響関係の機材を精密にデザインしたものにする。

「男の子だから」メカメカしいものに興味があるだろうと考えのだと思うが、それこそがジェンダーバイアスである。

女の子だって音響や照明、大道具に興味を持つ子はいる。私のように、演劇部がきっかけで舞台照明を生業にした女性は多くいる。そういった可能性を消すことになってしまう。

さらに理解できなかったのが、男子勧誘のための方法だ。

廊下で箱を作り、男子1年生が通りかかったときに、「ね〜箱がうまく作れないの〜。お願いできる〜?」と釘が打てないふりをして口説き、釘を打たせる。
釘ぐらいならきっとやってくれるだろう。作り終わったら「すご〜い」とべた褒めしてコーラを差し出す。これで翌日には演劇部員になっているはずだ。

これも、「女の子はか弱いフリしておいたほうがいい」「男の子は女の子から頼られると喜ぶ」「男子は褒められるのに弱い」「男の子は釘打ちがかんたんにできる」という固定概念だ。

「男子向け」「女子向け」にポスターを分けて作ったり、わざとか弱いフリして釘を打たせるような小賢しいことをしないでも、男子獲得のための勧誘方法はあるはずだ。一緒に舞台を作っていくのに、「男らしさ」「女の子らしさ」なんていらない

たかが高校演劇部の男子獲得の話なのに、何を大げさなと思うかも知れない。

ここ数年でハラスメント(嫌がらせ)フェミニズム(男女同権論)ダイバーシティ(多様性)LGBTQ+(性的マイノリティ)と言う言葉を多く耳にするようになってきた。少しづつ、今までの価値観から変化してきている。

にもかかわらず、高校では未だに「男らしさ」「女らしさ」という役割を無意識に与えられてしまう。

私自身、「女性らしさ」というジェンダーバイアスに悩み、ハラスメントを受けて傷つき苦しんできた。

次世代を担う高校生たちには、私たちの世代が作り上げた古い価値観にとらわれない大人になってほしい。そして同じ苦しみを味わってほしくない。

当ツイート主にもコメントでジェンダーバイアスを感じるというリプライを送ったのだが、「そんなんじゃない。毎年男子部員の獲得に苦しんでいるから書いただけ」とあしらわれしまい、挙げ句にはブロックされてしまった。

今後は、演劇教育の場でもジェンダーバイアスについて真剣に考えていかないといけないと思っている。

ジェンダーバイアスだけでなく、フェミニズムや性的マイノリティは戯曲の素材として扱われることは充分あり得る。もし、教師が古い価値観のままでいたら、何が問題なのかすらわからないまま、間違った認識で扱ってしまう危険性があるのだ。

2017年にフジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年記念のスペシャル番組で石橋貴明氏扮する「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が物議を醸し、最終的にフジテレビの宮内正喜社長が謝罪するに至ったのは記憶に新しい。

高校演劇での性的マイノリティの扱い方の問題については、演出家の綾門優季氏が取り上げているのでこちらも参照してほしい。

もし間違った扱い方をした場合、下手すれば炎上する。悪い情報ほど素早く隅々に行き渡る。炎上したものを消すのはそう簡単にはいかない。いつまでも火種としてどこかに残り続けるのだ。

表現者として誰かを傷付けることはあってはならない。その表現は笑いを取るために誰かを傷つけることにならないか、上演する前に顧問の先生と生徒で真剣に考えてほしい。

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