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artの為に生きているのだと言おう。

SPIRIT(いつも綴りが違う気がする)のホストが代替わりするとのことなので、ここ数年の自分の動向を振り返ってみた。

スマホの画像フォルダを見てみると、東京から出て5年が経過していた。

「もう」と表するのか、「まだ」と評するのかよくわからないが、「まだ」の方が正しい気がする。

2019年に東京を出た。
仕事を辞めて、リゾートバイトを始めた。
上高地→伊豆下田→鳥羽
この時点で2020年だ。
当時抱えていた借金があと2か所ぐらい観光地を回れば解消できるめどが立ったので、2020年内には海外に行こうとしていた。

だけど、ここまで来て、新型コロナで職を失った。

2020年春、なんとかかんとか上高地での勤務が見つかり、山に登るも、群発地震の影響でオープンが遅れ、やむなく下山することになった。
しかし、この時、完全に行き場がなく、仕方なく伊豆下田の友人宅に一か月ほど居候することとなる。

2020年夏、上高地に戻り勤務開始。
例年に比べ観光客は少なかったが、それでも仕事があったのはありがたいことだ。

2020年秋、下山後、就職活動の後、今の職に就いた。
その後、細々と絵を描いたり、音楽習ったりと仕事と趣味としての表現活動をする程度に収めた。
2021年に東京で芝居をする話もあったのだが、自分の生活基盤の体力の無さが原因で立ち切れた。

2022年は何もしていなかった。
風俗とギャンブルにまみれた。
「女の子」と「金」のことしか考えていないのはある意味楽だった。
会社員としての自分の生活は物足りなかったけど、物足りるようにしようと努めていた。

2023年になって流れが変わった。
ちょっとした出会いから、自分の中核を見直す機会があった。

「art」があった。

仕事と性欲と金と自堕落と安定した生活と安定したメンタルの皮をはぎ取っていったら、そこにあった。

あの時の感動を今でも覚えている。
震えて、泣いた。

そうだ。
2023年からがクソほど長いんだ。

2023年春。
今のartの価値観は東京での活動時とはまるで違うものだった。
だけど、それは私のartだった。
私のartを形にするために傍にいたのは演劇だった。
演劇を頼らずして何を頼るのか。
演劇とは腐れ縁だ。こいつと一緒にまた戦おうと決めた。

そして、図らずもポエトリーにも戻ることになった。
2023年梅雨。ちょうど一年前か。
三木に再会し、面白いと感じることが出来た。
スラムが面白いと思えた。
名古屋ポエトリーで会いたかった人、新しい人、いろんな人達に出会った。

2023年夏、自分の演劇講座をスタートした。
新しい教え子も出来た。晶は可愛い可愛い妹みたいな存在だ。

sato.ちゃんと知り合ったのもこのぐらいか。
彼女が生み出したドラマは衝撃的だった。シンデレラガールとは彼女のことを指すのだろう。
彼女との出会いにより新しいポエトリーとの関り方を考えることが出来た。
プレイヤー、スラマーとしてだけでなく、ポエトリーに人を巻き込むために自分が出来ることは何かと考えるようになった。

2023年秋、KSJ西東京大会に出場した。
初戦敗退だったが、すごく、すごく楽しかった。いくつもの言葉と再び出会った。
コトバとの再会だった。
お互い大人になったねと思った。

2024年2月。アート展を主催した。この時期は仕事も恐ろしく忙しく、何が何やらわからぬうちにことが進んで終わった気がする。

2024年春、声が掛かったイベントや興味のあるイベントには首を突っ込むようにしている。

2024年夏。
夏が来る。
何年かぶりの演劇公演を主催するまでになった。

まだまだ2024年は長くなりそうだ。

artを愛していてよかったと思う。
演劇を、コトバを、絵を、音楽を、カラダを。

私の人生が何のためにあるのだろうと、
何をして死んだのかと問われたら、
artをして死んだんだと言うために生きているのだと、
言おう。

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