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詩/絹ちゃん

覆水盆に返らずと言いますが、
あの子はお盆に帰ってきます。

ヒノキの枝に火を点けて、
かがり火焚いて、あの子を待とう。


けれども、

待てど暮らせど帰ってこぬのは、
きっとあちらが楽しいからで、

それならそれで良きことと、
思いもするがいと悲し。

絹ちゃん。

空が瞬きした日から、
79年が過ぎ去った。

長生き往生、火葬場で、
母はからりと、骨となった。

絹ちゃん。
絹ちゃんはおおよそ人の死に方じゃあなかったねと、 母のお舎利をひろって思う。

僕と母は本家のおばさんの所に出かけていて、
本家のおばさんはいつも優しくて、顔を出すと何れかのお菓子を包んでくれた。
「贅沢になっちゃうから」と、こそりと包みを渡してくれた。
絹ちゃんは前の日の夜から具合が良くなかったから、 近所の聡美さんに面倒を任せていた。
絹ちゃんは白い顔を赤くして、
それが怒っているのか熱を出しているせいかはわからなかったのだけれど、
むくれて僕の着物の端を掴んで、
「絹ちゃんの分ももらってきて」
と、涙目にお菓子をせがんだ。

 

絹ちゃんは真っ黒になっていて、 
母は、狂ったように父の名を叫んでいた。
そこかしこで、
そこかしこで、

阿鼻の地獄があった。

そうか。ここが地獄になっちまったから、
絹ちゃんは仏さんのところに行ったのだと思った。 そりゃあ、そうだ。
そうに決まってる。

きっと、帰ってこない父と一緒に、
仏さんのところに行ったんだ。
そうして、盆に帰って来るんだ。
今頃、帰って来る算段をしているに違いない。


僕の体が焼けている。
僕の体が焼けりゃあよかったんだと、
あの日からずっと思っていた。
そうしてようやく、僕の体が焼けている。

ごめんねえ、絹ちゃん、兄ちゃん、長生きしちまったよ。
それなりに幸せになっちまったよ。
空の瞬き見た日から、阿鼻叫喚の地獄から、
今日まで元気に生き抜いて、
そうして孫にお骨を拾ってもらうところまで、

生きた。生きたよ、絹ちゃん。















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