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「K」の物語とソーシャル・ディスタンシング

あの日こうしてたら、あの日こんなことを言わなければ。

何かを選ぶことは、何かを選ばないこと。選んだものにも、選ばなかったものも、すべて間違えたような気がしてしまう。

このような状況で大きなイベントなどは開催できませんが、そらいろコアラは粛々と事務的な準備をすすめています。今日は我々の活動の中で、非常に重要で大切な存在である少年「K」について書きます。もちろん本人に許可を得ています。

Kはこの春に高校を卒業し、晴れて新社会人になりました。彼の活躍をそらいろコアラ一同で応援しています。この機会に2人でたくさんの話ができたこと、宝物みたいに大切に。

自分や他者への信頼、愛情。一度失いかけたように見えた状況でも、家族を孤立させず、地域がうまく手をとりあって、根気つよく関わっていけば、本来、子どもたちがもっている力を必ず取り戻せると私は信じています。

***

「K」の家庭環境のこまかなところはここでは書けないけれど、誰も手出しできないようなさまざまな困難を抱えていたし、なかなか生き抜くのだって難しい状況だった。

Kが中学生だったある日、ジュースを買ってきてほしいとおばあちゃんにいい、おばあちゃんは孫のためと思って家を飛び出した。

その瞬間、大きなトラックがおばあちゃんに向かって一直線。

Kの大好きなおばあちゃんは旅立った。

彼はその後もずっとおばあちゃんのことを考えていた。

あのとき、ジュースを買ってきてほしいなんて言わなければ。自分を責め続け、気持ちがコントロールできないときもあった。攻撃性を他にむけてしまったこともあった。

彼は中学卒業後、特別支援学校に進学した。そこで、いろいろなものをみた。自分が知らない世界に触れた。染色体の病気がある子、手足が不自由で、ひとと同じような動きができない子、心臓がわるくて運動制限をされている子。

彼はシャトルランのときの話をしてくれた。

Kと心臓が悪い友達の2人だけが残り、走り続けた。隣をみながら色んな感情と想像が止まらなくなった。彼は途中で走ることをやめた。もう限界、と言った。

高校生活を通して、世界にはいろんな境遇や事情をもつひとがいることを知ったと教えてくれた。それがあるだけで、世界が分断される必要がないこと、社会から排除する必要なんで全然ないことも知っていた。

幼少期の生活、おばあちゃんの死、高校生活、さまざまな人との出会い。

口に出せなかった、誰にも言えなかったこと。沈黙していたものが物語として、人に語れるようになったとき、もう彼は大丈夫と思った。

おばあちゃんが亡くなった1週間後に夢にできてきて、こちらをみて笑っていた。その理由を今も彼はずっと考えている。

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そらいろコアラの話をすると、応援したいと言ってくれさえしていた。

コアラのスタンプをつけた写真をたくさん2人でとった。

「ソーシャル・ディスタンシング」という言葉は本当に適切なのかわからない。人間関係は近く、こまめに連絡をとり、励まし合い、物理的な距離をとる「フィジカル・ディスタンシング」のほうがぴったりとくる。

出会ってきた子どもたち。みんなも自分もいろんな選択をして、いろいろな場所にいく。物理的に近くにはいられないけれど、気持ちはずっとそばに。

いいね、スキなどいつもありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。

https://www.facebook.com/sorairo.koala/


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