見出し画像

「土足厳禁」

「お前に何がわかる?」
「お前に俺の気持ちなんかわからない」

アニメとかドラマとかでこんなセリフに出会うことがあったりなかったり。
客観的に聞いたら、「わかんないよ」って突っ込みたくなる時もあるけど、
友達の話とかになるとよく言ってしまう言葉が、「わかるわかる」、「わかるよ」という相槌のような言葉。

だけど、
「わかるよ」なんて軽率に言えない。
きっと相手もわかってほしいと思いながら、
わかるわけないとどこかで決めつけてしまっているから。


カウンセリングとコーチングを勉強し始めてから、
「相手を否定せず、共感しよう。」
とか、
「相手の立場になって考えてみよう。」
という言葉をよく聞くようになった。
もちろん、否定しないって人間関係において重要だ。誰だって否定されたら不快だろうし、共感とか受容とかが道徳的にも大切なこともわかる。
でも、なんかしっくりこなかった。

「「エンパシー」と「シンパシー」」

「ぼくは、イエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」を読んだ。
ストーリーの中に「共感」について、EmpathyとSympathyの二つの観点があった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■Sympathy:かわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情

■Empathy:自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つまり、シンパシーが「感情的状態」であるのに対して、エンパシーは「アビリティ(能力)」。(By英英辞典)
感情の動きはコントロールしづらいけれど、能力はトレーニングすれば向上する。
感情は「できるできない」の世界だが、
能力は「やるかやらないか」の世界で、
それならば誰でも「相手の立場に立って考える」ことができるようになるはず。
世の中で求められているのは、感情ではなく能力なんだ、と思った。
(そういえば、「愛すること」も能力だった。)

「他人の靴を履いてみるということ」

ところで、この本の中では
「エンパシーとは何か」に対する答えが、

「他人の靴を履いてみる」
"to put yourself in someone’s shoes"

(「他人の立場に立ってみる」という英語の定型表現)
だった。

街中歩いていて、かっこいい靴だなと思うものもあれば、
ダサい靴、自分にはちょっと頑張りすぎている靴、泥だらけの靴、臭そう靴もある。
そもそも、自分のサイズには合わない靴の方が多いかもしれない。
どれだけの人が、自分の履き慣れた靴を脱いで、誰かの靴を履いてみる努力をしているだろうか。
他人の心の中は土足厳禁かもしれないが、相手の靴を履いてしまえば土足にならないかもしれない。笑

「「家族」、「夫婦」と言えども他人。」

生まれた時から共にいる家族は一番近い存在かもしれないが、家族と言えども同一人物ではないし、所詮どこまでいっても100%を理解することは難しい。
これは諦めではなく、言ってしまえば他者だ。
だから、「家族なんだからわかるでしょ」なんて言えない。
家族にだって言えないことはあるし、むしろ家族だからこそ言えないことだってある。


じゃあ友達は。自分のコミュニティの人たちは?

自分が相手に感情移入することは、良いことばかりではないみたいだ。
「良かれと思って」やったことは、時にありがた迷惑になったりする。
じゃあ、「わかるよ」っていう言葉もきっと主観で自分勝手かもしれない。
私たちは同化することはできないし、自分が経験してないことは本当にはわからない。
だけど、結局はわからないと知った上で、それでも相手を知ろう、近づこうとする努力をしている。

だから、想像するしかない。
自分の感情を相手に被せるんじゃなく、ちゃんと距離を保ったままで。
いや、わからないからこそ相手の靴を履くことで、
相手の存在を改めて認知し、認められるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?