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【短編小説】 春風

 
 祖父は日本国民なら誰もが知る、"超"が付くほど有名な小説家だった。
 彼が最も多く手がけた作品のジャンルが、歴史小説だ。その作風は一貫して「緻密かつ大胆」で、その道の先陣を切って駆け抜け続けた。祖父の功績を讃える言葉もまた数多残されているけれど、最も端的に言い表されているのが、

 "戦に臨む武者行列の、その甲冑の立てる音までもが聞こえてくる"

 文字の羅列だけで、読者にそこまで想像させる力。他の追随を許さない「偉大な能力」が祖父には宿っていたのだろう。
 彼の息子、つまりは僕の父親は残念ながらその文章力は引き継がずに生まれてきた。そのために父は理科の教師になった。「国語」の教師にすら後ろ足で砂をかけるところが父らしい。偉大な親を持つということの辛さを誰よりも知っている父の背中を、僕は子供の頃から見てきた。僕はそんな父のことを心から尊敬している。
 そうして僕、である。
 父の強靭なメンタルを引き継ぐでもなく、けれど祖父の文才の百万分の一を半端に継いでしまったがために、半ば周りに流されるように、または上手に利用されるが如く、駄文を書き連ねるライターの職に就いてしまった。
 僕はこれを、"祖父の呪い”だと思っている。
 ──それからもうひとつ。
 誰にも言ってはいないが、僕は祖父から文才とは別の才能を受け継いでしまった。それは、これもまた"祖父からの呪い"だと思いたくなるほどの能力だった。
「お前には、その力が宿っている」
 祖父が僕に残した最後の言葉は、その能力に関してのカミングアウトだった。それはあまりにも現実離れしていて、だからどうせ誰に話したところで信じてもらえるわけもないから、未だに両親にも打ち明けていない。父はこの謎めいた能力を受け継いでいないのだ、とも祖父は言っていた。
 ともかく、僕は多少の生きづらさを抱えてはいるものの、なんとか世間と折り合いをつけながらライターとして生きていくことに決めた。
 基本、依頼された仕事に不満をこぼすことなく書いて書いて書き続け、気がつけば五年が過ぎた。駆け出しが、ちょこちょこと歩くヒヨコくらいにはなれたように思い始めている今日この頃なのだった。

 * * *

 知人から仕事を頼まれた。
 彼は今流行りの"YouTuber "で、主に関東の城を巡ってはそれを動画に収めて解説している。今回の依頼は、彼のその動画に添いながら実際に城を見て歩き、それを文章に起こして欲しい、というものだった。自身のYouTubeチャンネルに広がりを持たせたいのだという。
 僕の書く文章にそんな未知の力が宿っているとは到底思えないものの、選り好みをするほどの実績があるわけではないから、その依頼を即座に受けた。
 そうして僕は茨城県に飛んだのだった。

 ちなみに僕は祖父の影響で日本史には興味があったが、城単独の知識となるとからきしダメだった。全くの素人である。知人の動画を頼りにして取材を始めた。
 
 水戸城。
 水戸市の中心部の丘陵にかつて存在していた城、なのだそうだ。幕末の騒乱の折り、そしてまた太平洋戦争の米軍の空襲によってほとんどの建築物が焼かれてしまった。
 水戸城は水戸徳川家の居城であった。周囲を那珂川、千波湖といった自然の要塞に囲まれ、立地としては難攻不落、城を構えるには絶好の地理上にある。
 水戸城そもそもの歴史は平安の遥か昔に遡る。「馬場氏」の居館から始まり、南北朝から戦国時代末期までが「江戸氏」、それを奪い取る形で占領したのが「佐竹氏」だ。そして江戸時代。関ヶ原の戦いで終始煮え切らない態度を取った佐竹氏から領地を取り上げた徳川家康が、子息に与えたのが水戸徳川家、及び水戸城の始まりだ。
 水戸徳川家といえば「御三家」のひとつ。
 そして忘れてはならないのが、徳川家最後の将軍「徳川慶喜」の生まれた地である。水戸藩九代藩主「徳川斉昭」の七男、幼名「七郎麻呂」が慶喜その人である。

 水戸城大手門の前に立つ。
 復元された門ではあるが、その堂々とした構えには圧倒される。門から左右に伸びる土塁が特徴的なのだそうだ。御三家の城門、かくあるべし。
 門をくぐり、動画でも詳しく紹介していた二の丸角櫓へと向かう。動画や写真で見る限り、その部分が最も"水戸城"のかつての姿を垣間見ることのできる場所のように思える。本音を言えば水戸城の完全形を見たいものなのだが、そう思う時つくづく先の大戦や遥か昔の内戦などが憎らしく感じられてならない。目の前に広がっている「二の丸角櫓」もまた、復元なのである。美しく佇むが、それは本来の姿ではない。本丸も含めた「水戸城」本来の姿が見れたなら。
 日本各地にある城にも、「城址」と呼ばれる場所が多くある。そう、城「跡」だ。そこにかつて存在していた本丸御殿の姿を想像するとき、きっと誰もが悠久のときと共に、人が自らの手で破壊してきた愚かな歴史の繰り返しを想うことだろう。

 大手門まで引き返して、三の丸の「弘道館」に進む。
 弘道館は徳川斉昭が開いた藩校である。江戸時代末期。幕府に対して開国を迫る諸外国に屈しない強さを、斉昭は「教育」に求めたのだ。それには「敵を知り、己を知る」というような考えもあったのだろう。「敵を知る」ことイコール「先進的な知識、発想」の発露に他ならない。
 そして斉昭はそれを実子にも求める。七郎麻呂、後の慶喜もまた、この藩校で先進的な教育を受けた。
 大政奉還。──政を朝廷に返上する。
 二百年以上続いた徳川の世を終わらせる、という発想。前代未聞、想像を絶する発想がそこにはある。徳川慶喜は、この弘道館で一体何を学び、何を胸に育んでいったのだろう。
 僕の"祖父から受け継いだ呪い"が、いよいよその効力を発揮する。

 * * *

 弘道館。
 その奥まったところに「至善堂」はある。大政奉還後、"彼"は数ヶ月もの間、そこで謹慎した。
 僕ははやる心を無理矢理に押さえ込み、至善堂の「御座の間」へと向かう。物音も人の気配もしない。今、ここにいるのは僕一人だけだ。理由はわからない。恐らくは、この能力の効果がそんなところにも影響しているのだろう。
 ギシギシと音を立てる廊下を進んだ先に、畳敷の間が現れた。
 御座の間。そこには──。

『──きたか。待ちくたびれたぞ』
 徳川慶喜公が、背筋を真っ直ぐに伸ばして正座していた。

 これが、僕の能力だ。詳しく説明する必要もない。目の前で、質素な着物に身を包んだかつての徳川最後の将軍が座っている。僕の目にはその姿が確かに見えている。そして声が。低く、少しくぐもったような男の声が聞こえている。それがこの能力の全てだ。

『──私に何を聞きたい』
 僕は呼吸を整えるように、一度深呼吸をした。そして短く一言だけを口にした。
「あなたの人生は、どのような人生でしたか?」
 "彼"は一瞬、眉間に皺を寄せて苦しそうな表情を作った。
 しばし、虚空を眺める。
 やがて、深い、とても深い息をゆっくりと吐き、僕の目を見据えて言った。
 口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいる。

『とても満ち足りた、幸せな一生であった』

 微かな、暖かい風が僕の頬を撫でていった。それはまるで、女性の柔らかい手のひらのような。

『──美賀子』
 そして"彼"は、ささやくように自分の妻の名を呼んだ。


(終)


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