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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ⑤

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 第一部

 五、

 
 柊まい著『白昼夢』は連作短編集の体裁をとった小説だ。短編の数としては全部で五作しかないのだから、トータルで見れば中編小説となるだろう。その各話の題名は次の通りである。

  ・第一話『檻のなか』
  ・第二話『再怪』
  ・第三話『初故意』
  ・第四話『裏見面見』
  ・終話『酷白』

 主な登場人物を洗い出してみると、一般的な小説に比べてその人数が極端に少ないことが分かる。一人目は男──滝川。三十代そこそこのフリーターで、都内の安アパートに住んでいる。二人目は女子高生──ミナミ。苗字は明かされていない。学校は不登校気味で、アルバイトには欠かさず行っている。大層な美少女との記述がある。ミナミの通うアルバイト先の先輩が滝川である。
 そして三人目。滝川よりいくつか年下の女性──カレン。彼女は滝川の別れた恋人であり、そしてミナミの姉。
 カレンは轢き逃げ事件に巻き込まれ、作中での時間軸で一年前に死亡している。
 最後に出てくるのが小説家の『私』である。そしてこの『私』が物語の全ての鍵となる。
 姓名は一切記されていない。第四話と終話はこの『私』の独白形式でストーリーが進行する。第一話から三話は、各話につき一人ずつ主人公が据えられ、一人称の文体となっていた。
 主要人物がたったの四人。これだけの人数でこの小説は成り立っているのだった。
 内容は最初から最後まで幻想的で、そして難解だ。この、読者個人によって如何様にも考察ができてしまうミステリアスな部分が世間に受けた。正直、出版社としては大きな賭けに出たのだろう。
 今の読者にとっては、フェアな状況で推理を楽しみつつ最後のどんでん返しを期待するし、それこそが『売れる』ミステリ小説の基本だろう。そこに加えてさらに、アクロバティックでエキセントリックな舞台設定を生み出すことに作家は苦心する。それが近年の傾向であり、読者もまたそこに注目をしている。
 つまり『白昼夢』は時代遅れ、一部の評論家に言わせれば「百年前の遺物が現代に掘り起こされた」ようなものなのだそうだ。
 そんなマニア向けな小説が世間に受け入れられたのだから、世の流行り廃りは唐突すぎてついていけないところがある。
 私は無意識にも口元に苦笑いを浮かべていたようで、それを隣りの職業探偵に目ざとく指摘された。
「ということは、君にとってもこの本はそれほど厄介なシロモノだってことだね、棚戸たなこ君」
 すめらぎがそう声にした途端にシュッと音がして、同時に左耳に圧力がかかった。視界が若干薄暗くなる。トンネルに入ったのだ。そのとき私と皇は新幹線の座席に隣り合いで座っていた。
 耳の中が詰まったような違和感を感じながら、私は皇に対して発声した。
「ええ、自分の思い付きをプロの探偵さんに採用して頂いておいて、なんだか先行きが不安になってきましたよ。これが無駄足なんてことになったらどう責任を取れば良いか・・・・・・」
 対する皇の口調は明るい。
「いいや棚戸君。俺は君の推理に大いに面食らったんだぜ。この妙な作り話が柊まい──里見舞子の“私小説だとしたら”というね。だとしたら彼女の過去から遡ってみるべきだ。面白い、いやぁ面白いよ。インターネットの中で語られる『呪いの小説』評なんかよりよっぽど現実的だ。だから俺はこうしてこんな妙な作り話を読み返す気になったんだ。なったんだけどねぇ、やっぱりこれは──」
 ──つまらない、くだらない、駄作だ。
 皇が言いたいことが予測できた私は、今度は意図的に苦笑すると「同感です」と漏らした。
 しかしそれでは検証にならない。
 東京駅を出発してから三十分。私たちを乗せた新幹線は一路、新潟県は越後湯沢へと向けてひた走っていた。腕時計を見やれば、到着予定時刻まではあと一時間ほどある。皇と『白昼夢』のストーリーを考察するだけの時間は充分あるだろう。
「皇さん、ちょっとこの小説を要約してみてもいいですか?」
「もちろんだとも。頭の中を一度整理しようじゃあないか」
「では」と改まってから、私は第一話の内容から順を追って説明した。声に出してみると確かに頭の中がクリアになっていくのを感じた。

「まず、第一話の【檻のなか】は滝川のアパートにミナミが訪れて、アルバイト先の愚痴をこぼしているシーンから始まります」
「たしか、男の語る独白だったね。なし崩し的に少女が男の部屋に押しかけてくるんだっけ」
「そうです。そこで会話は流れるように、言わば読者を全く無視して進行していく。そこに出てくる固有名詞の説明や関係性の解説なんて一切なく。そして唐突に、あの怪奇描写が──」
 皇はクククと小馬鹿にしたように笑う。心底彼はこの手の小説を認めていないのだろう。
「そうだ。唐突なんだよ、全てにおいて。作者は物語の時系列やら整合性なんてものは最初から気にしちゃいない。いい加減もここに極まれりだ。はなから出版してもらう気なんてなかったんじゃないか?自己満足。いいや違うな、シーンとシーンを繋ぎ合わせたツギハギだらけの映画のフィルムのような──まぁ、それはそうなんだが・・・・・・」
 ブツブツと独りごちる皇を無視して、私は先を続ける。
「唐突に起こった怪異。部屋の隅の収納から灰色の腕が伸びてきて、ミナミがその中に引き摺り込まれる。滝川は女の名前を叫ぶ。『カレンやめてくれ!』、そして改行。たった一文だけが追記され、終わる」
「えぇっと、『気が付けば僕は、血溜まりの中に浮かぶミナミの死体に馬乗りになっていた』。気色の悪いあの腕は何だったんだ一体。それに少女は男に殺されたのか?それとも呪いか?カレンとやらの。カレンは男の死別した恋人だから、妹に男を取られたくないあまりにバケモノになって出てきたと?」
「それは結局最後まで明言されませんでしたね。どちらとも取れる描写だった。続く第二話の【再怪】は、滝川とカレンは婚約、そして同棲していた仲だったが次第に喧嘩が絶えなくなり、その結果別れてしまう。その直後にカレンは車に轢き逃げされて死亡。滝川の元にはそれから不可思議な出来事が立て続けに起こる」
 フン、と鼻で笑う皇。この『白昼夢』に対してはとことんまで批判的で通すつもりらしい。
「女の死んだ場所に捨てられていた黒猫。収納から夜な夜な聞こえる啜り泣き。雨の日にドアを叩くノックの音と血糊のべったり付いたドアノブ。ありきたりだなぁ。さぁどうか怖がってくれと作者に懇願されているみたいだ」
「第三話の【初故意】はカレンの妹、ミナミの話です。幼い頃から何をしても完璧な結果を出す姉と、そんな姉に対するミナミの劣等感が長々と記されて、そしてそれがある段階で殺意に変わる。その過程がまたもや読者を置き去りにしたような、ミナミ自身の屈折した心理で語られる。その流れは第四話【裏見面見】にも続いています。つまりはパーフェクトな美女であるところのカレンに対する嫉妬や羨望が、妹や友人──小説家の『私』にとっては強烈な殺意に変わり得る、ということで、そこには嘘と裏切り、憧れと幻滅みたいな人間の暗闇が渦巻いているわけです」
「おいおい、素晴らしい解説じゃあないか棚戸君!さすが書店員だけあるよ。そうか、小説家の先生はカレンと二人だけの秘密にしていた交換日記をクラスメイトに暴露され、妹なんて継父に暴行される始末だ。その悲劇の原因を生み出したのが、どちらの場合もカレンだった」
 なんて悪女だ!と皇が憤りの雄叫びをあげたところに、車内販売のカートを押したスタッフが私たちのいる車両に入ってきた。
「棚戸君。どうだい、コーヒーでも飲んで一服しようじゃあないか」
 大ぶりな氷が入ったアイスコーヒーで喉を潤すと、私は続けた。
「死人に口無しで、なぜカレンがミナミや小説家の『私』に対して非道なことをしたのかはとうとう分からずじまいで物語は幕を閉じますが、最後に『私』は衝撃の告白を残します。自らの命と引き換えに最大級の懺悔をする。『私がカレンを殺しました。ごめんなさい、カレン』この一文が終話【酷白】の冒頭に添えられて──」

「結局、カレンを交通量の多い交差点へと背後から突き飛ばして殺害したのは小説家。動機は皆の恨みを晴らしたかったから。ここで言う皆とは、悪女カレンの被害者である元婚約者、妹、そして自分自身ということになるのか」
「はい。滝川はカレンからモラハラまがいの言動を取られていた描写がありましたし」 
 皇は腕を組んでウーンと唸り声を上げて、納得がいっていないと言いたげに眉間に皺を寄せた。
「なぁ棚戸君。この小説が里見舞子の“私”小説なのだとしたら、彼女は心的な病に罹患しているか薬物中毒者か何かじゃあないかね。俺にはどうもこの小説がこの世界から酷く乖離してしまっているように思えてならないよ。つまりは『どうかしている』ってことだ」 
 皇が何の気なしに口にしたことの中にどうにも捨て置けない言葉を聞き取った私は、それからしばらくの間皇の存在を意識から外して物思いに耽った。
「──まもなく越後湯沢。お出口は──」 
 そんな無機質な声音によって、半ば強制的に私の思考は現実の中に引き戻されていった。


(第六話へ続く)


illustrated by:
Kani様

物語の前日譚『奇譚編』は今回と重要な関わりがあります。


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