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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第一部 ⑨

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 第一部

 九、


「投函されることのなかった手紙。舞子と花蓮に接触し得る人物。舞子が失踪したその理由──。彼女は過去の自らの日記を紐解くことで何を確かめたかったのか・・・・・・」
 すめらぎの脳内ではきっと様々な情報が溶け合い、そして混ざり合っている。
 混沌。
 けれど、それらをただ闇雲に並べ立てているのではないはずだ。
 推理。
 そうだ。皇が真実職業探偵なのであれば、彼は今筋道を立てて“推理”をしているはずだ。それは彼に与えられた役割であり私が行うべきことではあり得ない。ただ私は彼の背後でやがて来るべきその時を待つだけだ。
 私はそれを全うするのだ。必ず。
「──それしか、ないのか?この限られた情報の中では」
 やがてポツリと皇が独りごちた。
「何か閃かれました?」
 ソファにもたれ掛かり、対面に座る私の足元をぼんやりと見つめていた皇はゆるゆると視線を上げ、そうしてたっぷりと時間をかけてから私の顔に行き当たった。
「あぁ。どうやら俺の取るべき行動は一つしかないようだ。しかし一体どこまで──」
「と、言うと?」
「舞子と【菊地】、花蓮と【菊地】。二人の少女の各々にね、彼女らの担任教師である【菊地】というキーワードを当て込むと、不思議としっくりとくるんだよ。失踪前に舞子は当時の日記を読み返して、そして何かに気が付いた。気が付いた、と言うことは裏返せばその時まで気付いていなかったこと、知り得なかったことだ。それは一体何か?」
 皇はソファから立ち上がり、事務所の中を行ったり来たりと徘徊し始めた。白手袋の右手を顎に当てながら、自らの思考を口にしつつ。
「気が付いていなかった、あるいは勘違いをしていたこと。そしてそれらを想起するに至ったモノが仮に日記に挟まっていた手紙──自分が当時したためた、菊地に宛てたその手紙だったとしたら?舞子はそれで何かを担任に伝えようとしていた。あのタイミングとしては、花蓮に関する何かを」
「あの同級生が言っていた、男性教師とのスキャンダル──とか?」
「あぁ、おそらくはね。けれどその手紙は出されなかった。父親が出し忘れていたからだ。その一方で花蓮のスキャンダルはツーショット写真の流出という形で露呈した。一体なぜだ?手紙は花蓮に対するスキャンダルではなかったのか?しかし──」
「舞子は母親に電話をして、投函されなかった手紙に関する当時のいきさつを尋ねています」
 皇は私の発言を聞くなり、「そうさ!」と突然大声で叫んだ。
「自分の復讐的告発は不発に終わった。それなのに何故、花蓮は退学することになったのか?舞子は気付いたんだ、そこに第三者の介入を。悪意の介入だよ、大いなるね。そもそも同人誌を暴露したのも花蓮だったのか、という疑問さえ感じたのかもしれない。ねぇ棚戸たなこ君。そこに【菊地】の影がちらつくのは、空論が過ぎるのだろうか」
「その菊地は十年ほど前に失踪していますよ。その存在と行動は充分に不可解です」
「そう、そこなんだ!舞子の失踪と菊地の失踪。“失踪”という異常な共通点だけでも、菊地の足取りを追ってみる価値はあると思うんだ。菊地は確実に何かを知っている。舞子と花蓮に関連した何かを。そしてそれが自身の失踪に関係しているならば、その闇は深いよ。しかしまた舞子の時のようにその生い立ちから遡る時間的余裕が果たしてあるのか──」
 その時、窓際のデスクあたりで電子音が鳴り響いた。近付いていった皇が手に取ったのは自身のスマートフォンだった。
「森元女史からだ・・・・・・」
 皇はどことなく慌てた素振りで手にしたそれを耳に押し当てた。

 * * *

 ──お友達の高井花蓮さんに教師の菊地先生、ですか。
 皇からの報告を受けた森元紗代子は、膝に置いた両手に心なしか力を入れたようだった。何か思うところでもあるのだろうか。そんな彼女のことを私は前と同じように窓に背を向けて観察していた。
「わたし、柊さんのことを何も知らなかったんですね。作家さんと担当編集という関係以前に、パートナーとしてもっとお互いのことを伝え合っておくべきだったのかもしれません」
 紗代子はそう言うと苦しそうに眉根を寄せた。この女性はなんだかいつも苦しそうだ。居た堪れなくなった私は紗代子から目を逸らしてしまった。
「仕方がありませんよ。このご時世、そうそうプライベートなことには極力関わらないものでしょう?それが現代に生きる社会人の暗黙のルールなのでは」
「えぇ、まぁそうかもしれませんが。けれど後悔はしてしまいます」
 皇は相槌を打つと、静かにコーヒーを啜った。
「そうすると柊さんはその、学生時代のトラブルのことを辿っていた様子があるということでしょうか」
「そう思われます。まだまだ不完全で推測の域を出ないのですが」
 そう断った上で、皇はつい先程まで私を相手にして披露していた推理をもう一度紗代子にも開陳した。
 頭を下げる紗代子。
「すみません。調査の途中だと言うのに押しかけてしまって──」
「いえ、お時間を頂いてしまっているこちらが悪いのです。もう悠長なことはしていられない。一刻も早く教師の菊地さんの線を視野に入れて調査を継続していかなければ」
 そこでふと静まり返る室内。空気が重いのだ。
 菊地の線を手繰るにも、糸口がない。しかし再び魚沼まで出向く時間もない。それは皇自身が懸念していたことだ。柊まい失踪からすでに四ヶ月が過ぎていた。
 鉛のような沈黙を破ったのは紗代子だった。


「柊さんは『白昼夢』の中で、自身の抱える闇を描きたかったのでしょうか」
「闇、ですか」
 皇がすかさずそのキーワードに反応した。
「えぇ。柊さん自身の過去と現在が余りにもこの小説と符合しています。物語の中でも、カレンという名前の女性が命を落としている。そして現実でもまた、お友達だった高井花蓮さんが悲惨な最期を遂げられて・・・・・・。花蓮さんという女性、一体どんな方だったのでしょうか。皇さん、あの──」
「どうなさいました?」
「柊さんにとっては花蓮さんがとても大切な存在だったのではないでしょうか。菊地という教師もとても気にはなるのですが、小説の中には登場しませんよね?出てくるのは花蓮さんの方です。『白昼夢』はカレンという一人の女性を巡って、周囲の人間たちの右往左往する様子が描かれています。そしてそこに共通するのは“苦しみ”と“闇”です。柊さんにとって、実在する花蓮さんはとても大きな存在で、彼女のことを描くことが一種の使命のように思えていたとは考えられないでしょうか」
「すると柊さん──里見さんは高井花蓮のことを追っている、と?けれど彼女は・・・・・・まさか⁉︎」
 ──事故死した花蓮を追って、自らの命を?
 皇と私の視線を一手に集めた紗代子が、さらに苦しそうに顔を歪めた。
「警察の方も全力で捜査をしてくださっています。今のところは何も進展はありませんが、悪い連絡もまたないのです。ですからわたしどもは心から柊さんの無事を祈るだけです。皇さん、高井花蓮さんのことも含めて、菊地さんの線を当たってはいただけないでしょうか?お願い致します」
 再び頭を下げた紗代子に対して、皇は──。
「俺は馬鹿だ。探偵失格だ。どうしてそんな当たり前の可能性に気が付かない!お前は、俺は、だから迷い猫でも探していれば良かったんだ。こんな身の丈に合わない・・・・・・。俺には浮気調査がお似合いだ!そうだ、警察に、あっちに情報を提供しましょう。もう俺には」
 皇は、酷く取り乱した。

 違う。違いますよ、皇さん。柊まいは、里見舞子は死など選ばない。
 舞子は気付いたのだ。この“物語”の真相に。何故自分が『白昼夢』を書かなければならなかったのか。だから舞子は、今も探している。決して死など選びはしない。
 探しているのだ、『彼女』のことを。
 自分が成すべきことはその前に立ちはだかる障害を取り除くこと。
 そうだ。もはや無用となった“追跡者”の、排除だ。

* * *

「情けない。棚戸君、すまないね。大人気ないところを見せてしまったよ」
「いいえ、あんなことを言われたら慌ててパニックにもなります。皇さんも自分も、舞子が死を選ぶなんて可能性は考えていませんから。その理由が見当たらない。それよりも、当初の推理通りに舞子は菊地を追っていて、だから過去の何かを知っている菊地の所在を早急に当たる方が──」
 そこまでを言いかけて、私は慌てて言葉を切った。
 紗代子の新たな依頼を受けた皇がまず選んだのが“花蓮の線”だったのだ。一介の書店員の私が職業探偵の調査方針に意見する資格などない。私は探偵の好意でここにいる。彼の一友人として隣りを歩いているのだ。
「無駄なことだと、君も思うかい?」
 この一時間ほどで、皇という男がとても繊細な人間だということが分かった私は、あまり動じることもなく彼を鼓舞する言葉をスラスラと口にすることができた。
「いえ、花蓮の方を追っていくことで早々に舞子の足跡が浮かんでくれば、そちらの方が訳のわからない菊地の行方を追うよりもよっぽど確実ですよね。一般人の浅はかな考えなんて聞き流してください。皇さんはプロなんですから。自分はどこまでも着いていきます」
 皇は自信がなさそうに微かに微笑むだけだった。

 私たちは高井花蓮が轢き逃げ事故に遭遇したという新宿区の交差点に来ていた。この付近で里見舞子が近頃目撃されなかったか、その聞き取り調査を行う方針を皇が立てたのだ。花蓮の痕跡を改めて舞子が追ったかもしれない、という紗代子の意見を取り入れた結果だ。
「棚戸君、あそこに古き良きタバコ屋がある。あそこからだとこの交差点が真正面から見渡せるね。ひとまずあそこから始めよう」
 横断歩道を渡り、タバコ屋の小さい窓を覗く。小さなガラス窓は開け放たれていて、そこに齢七、八十のお婆さんがちょこんと座っていた。
「いらっしゃい。銘柄は?」
「ちょっとすみません。つかぬことをお聞きするのですが、そこの交差点で昔──」
「なんだい、お客じゃないのかい。まったく、最近アンタみたいのばっかりくるねぇ。あれだろ?幽霊見物だろ?それにしたって早いよ。まだ夕方じゃないか。お化けは夜だよ夜」
 勢い良く捲し立てる老婆の言動に、皇も私も思わず顔を見合わせた。
「お、お化けって?」
「は?なんだい違うのかい?ほら、アンタがさっき指差したところにさ、出るんだろ?幽霊が。知らないのかい」
「はぁ」
「まぎらわしいね。まぁ良いけどさ。アタシゃみたことないんだけど。黒服着た女の幽霊さ。若いのが大勢くるんだよ。お陰で夜は騒がしくって嫌だよ。誰が言い出したのかねぇ、まったくさ。アタシゃ見たことないって言ってんのにさ、聞きにくるんだよ。出るのか出るのかって。黒服女の幽霊?フン、笑っちまうよまったく」
「まただ・・・・・・。あの小説の通りだ。黒いワンピースの女。お、俺はどうすれば──」
 隣りで皇が再び混乱している。
 私にはもうそんなことはどうでも良い。

 ようやく。漸くここまで辿り着いたのだ。
 私は高鳴る胸の鼓動を確かに感じながら、ジーンズのポケットの中の『ソレ』に静かに手を触れた。


(第10話に続く)

illustrated by:
Kani様


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