心理的虐待 / お出掛け
実家では家の事や子育ては母に丸投げされていた。
当時多くの母親が同様に課せられていたであろう家庭の責務。
それは母の脳を通って個人的な責務へと変換される。
・綺麗で身なり美しい人であること
・優しくて奥ゆかしい人あること
・裕福で立派な主人がいて余裕ある人であること
・外見内面共にとても優れた人であること
家庭や子供が実際にどうかは重要ではない。
母個人が周りからどう捉えられているか、が重要。
当時を知る地元の同級生は今も母に対し好印象を持っている。
一緒に遊びに行ったり一緒に食事をしたり、家族ぐるみのような事は一度もない。
ただ学校で、道端で、会った時に挨拶し一言二言話した、そんな程度の関わり。
印象というものは上書きされなければそのままだ。
実際の母は本人が理想とする人格とは対極にいた。
外面を保つため相当なフラストレーションを抱えていたのだろうか。
家の中では次から次へと誰それを口汚く貶しては悦に浸っていた。
聞き役は私。
父、祖母、家政婦、社員、親戚、近所の人、私の友達、、、母の悪口は留まることを知らない。
もちろん、言っていいことと悪いことの区別もない。
凡そ『お母さん』から遠い人格だった。
そんな母が仕切る家庭で、私には旅行や行楽など家族での経験が殆どない。
子供が喜ぶからという概念は母には無く、私にとってお出掛けとは母の用事に付き合わされることだった。
デパートで絵画の展覧会や美術展があると、文化的な観覧を好む母は都度足を運んだ。
必ず私を連れて。
子供がそんなものに興味あるわけも無く、私は毎回嫌がった。
「いいから来なさい!おとなしくしてたら終わった後に屋上で遊ばせてあげるわよ。」
デパートの屋上は私にとってキラキラした場所だった。
デパートに着くと外商担当に奥様と声を掛けられ機嫌良く、好きなだけ観賞し、その後は洋服だ食品だと買い物をする。
そして刻は夕方。
「もうこんな時間!急いで帰るわよ!」
「え?屋上は?」
「もう閉まるわよ。また今度よ。」
約束が違うと怒る。
「あんたはすぐそうやって怒るんだから!お父さんそっくり!だからあんたと出掛けるのは嫌なのよ!嫌な気分になる!」
私は自分から連れて行ってくれと言ったことは一度も無い。
母が私を連れて外出するのには理由がある。
小さな子供を置いて出掛ける母親だと父や祖母から言われないため。
そして、
時に約束通り屋上で遊ばせてくれることもあった母は帰り道に言う。
「あんたのせいで遅くなったじゃない!ちゃんとおとうちゃまに遅くなってごめんなさいって謝るのよ!わかったわね!」
母の大義名分に利用するためだ。