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不妊の毎日をやめる

数ヶ月が過ぎた頃、不妊を1番に知っていた義母の紹介で茨城県在住の治療家の先生を訪ねました。先生はこんな子宮の冷え方じゃ赤ちゃんは育たなかったよ!

だから薬で治療しても無駄、人工授精しても無駄。不妊治療をしない選択でよかったのよー!と平野レミさんのようなエネルギーで私たちの選択を明るく肯定してくれました。なんでもサバサバと話してくれる様も私には相性がよかった。

その先生との出会いでポジティブに不妊を考えられるようになりました。

そして自分が不妊である事を自分だけで抱えず、気軽に人に話す事を決めました。実の両親には手紙で伝えました。自分達には経験も無いし、まさか娘が…とびっくりしていました。

『私、不妊症なんよ』そう家族に伝え、友人に伝え…。周りに話せるようになってから、随分心も開放され、2人目は?2人目は?と話をフラれる事もなくなり、ストレスも軽減。

私が思っていた以上に、みんなこれまでの状況や心情に理解を示してくれ、労ってくれ、私以上に私の所に赤ちゃんがまた来てくれるって願ってくれました。ありがとう。

そうやって悩みのピークを超え、娘の育児をしながら日々慌ただしくも平和。平和だけど、無意識の中に無意識でない“赤ちゃん”という存在。

考えて、悩んで、努力を続けて…生理がくれば悲しいから素直に泣いて。ときに友人のご懐妊の報告の際には、自分のダメな身体を再び実感し責めて羨んで。そんな毎日でした。

ある日 ドン! と突然の気付き

冬だったと思います。天気が良い気持ちのいい日でした。その時も妊娠のことを考えてたんだと思います。そしたらある気付きが急に脳裏にドンと浮かびました。

私は赤ちゃんを手にできてないけど、何も失っていない。

家事、育児ができるぐらい健康な身体がある。そばで支えてくれる主人もいる。奇跡的なタイミングで宿ったと言われた娘がいる。優しい友達もいるし、応援してくれる家族もいる。

自分ってダメだ。不妊で可哀想だ。って心の深いところで悲劇のヒロインになっていたけど、私は何も失ってない。その気付きは…

無いものを嘆き悲しむより在るものに感謝

ってことでした。

それにハッとしました。在るものに全然目を向けていなかった。思えばアルものが沢山ある。身体があって私の小さな細胞達もこうして日々頑張ってくれてる(そんな所に意識が行くってちょっとイカれてたのかも)欲しいモノを得てはないけど何も失ってはいない。

1秒前の過去の自分までは、いつこの長いトンネルから抜け出せるのだろう…そう考えていたのだけど、これに気が付いた瞬間、私はキレイにさっぱりと妊娠を願う自分から解放されたのでした。

“諦めた”とは違うんです。逆の“諦めない”って覚悟の解放でした。

赤ちゃんを願う気持ちは変わらない。私が諦めない限り可能性は無限に続くのだから。いつでも赤ちゃんが来てのいいように良い身体でお待ちしよう。

でももう頑張るのはやめよう。自分の赤ちゃんを抱けない今は家族や友達の赤ちゃんを沢山可愛がろう。そして少し不自由な生活から自由になろう。

そうやって、基礎体温を測るのもやめ、病院を受診するのもやめました。とても清々しい赤ちゃんを思う自分との別れでした。未来の赤ちゃん、またいつか。

生活の流れの変化

それを決意してから、面白いほど、生活の流れが変わりました。熊本も待機児童が多い中でしたので、1次の審査で落ちた娘の保育園。しかし年度の終わり、2回目の審査で4月入園決定の通知が。

第一子で、保育園と幼稚園事情が全く分からず、ろくに調べもせず同じアパートのママ友から話を聞いて、自宅の近くで敷地の広い保育園に11月に入園の申請書を出していました。

その保育園が、待機児童を無くす為にと長く利用した園舎を1から建て替えるとの事。

新規の園児を例年より多く入園させるタイミングにたまたま当たりました。

1次審査では落ちたものの、どこの地域も2歳児クラスの入園が厳しい中、2次審査で受かり、本当にツイています。

自分に戻る時間

それに伴い、パートの面接を受けたのですが、1番手の掛かる時期の子供がいるし、どうかな?と期待をしない中、それも採用を頂き、しかも慣らし保育が終わる4月の半ばまで、就労を待ってくださるとの事でした。

そうして私は赤ちゃんだらけの日々から、妊娠出産を経て、4年ぶりの社会復帰をしました。自分の時間もでき、妻でも母でもない時間はとても新鮮でした。

不妊と向き合った時間

今では3人の娘がいる私が不妊を語るのは不快な方もいらっしゃると思います。どうかご了承ください。誰一人として同じ苦しみ、状況は無く、今もたくさんの方が不妊の問題を抱えていらっしゃると存じております。

毎日赤ちゃんの事ばかりを考える時間。体質改善に努め情報を得る時間。身体の周期と向き合う時間…痛みをこらえる時間。ときに人のご懐妊が羨ましくて泣いてしまう。そんな日々。

「赤ちゃんはきっといつか来てくれる」多くの人が言って励ましてくれる。そんな話は頭でわかっていても経験する人は心と身体がとても辛い。

私が不妊とさよならできたのは、心から諦めない事を決めれたのも良かったカモしれません。

それは開き直りと言われればそうなんですが︎︎︎︎☺︎赤ちゃんができにくい身体だろうが、なんだろうが、赤ちゃんを望むのは自由ですもんね。心の自由。

女性は年齢との戦いがありますが、気持ちが諦めない限り、そういう心情である限りは可能性はゼロではないです。そして、赤ちゃんが産めない年齢になった時に、最後まで諦めななかった自分で、後悔無く、終わりたいとも考えていました。

私がこの経験をした理由は後付けカモしれないけど、沢山あります。1番はやはりストレートに命の奇跡です。同時に自分の命の奇跡も知ることができました。自分の命もすごくないですか??︎︎︎︎

母親になること

こどもの頃は母親は簡単になれて、簡単にこなせると思っていました。妊娠した時は嬉しくて、ただただ人生の階段を上がっていくのが楽しみで産み出す事がゴールと思っていた。しかし産み出してからスタートだと気が付く。

制限される時間の毎日、自分じゃない人に合わせる修行。そして命を守る責任の重さに四苦八苦。子供を育てる大変さを痛感。そして次は命を授かる難しさ。

きっとこの経験は同じ不妊の中では、そんな軽度でいいわねって言われてしまうようなレベルかもしれませんが、この小さな経験でもいつか誰かをゆるめてやれたり、誰かの心を理解してあげれたり。

もしかしたいつか未来の自分の娘たちの悩みに、生かせる経験になるのかも。経験した意味を感じています。意味を見出さなくてはいけない貴重な時間だと思っています。

私は今もだれのお子さんでも大好きです。嘘偽りなく自信をもって言えます。子どもは純粋で無邪気でとっても可愛い。気が合う。

自分がまだこどもの魂だからかもしれません。

いつも絶好調の長文。読んでくださりありがとうございます。

ではまた書きますね☺︎

そして続き↓


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