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令和2年7月豪雨

昨日の投稿で母と自分の昔の写真を載せて、水害の事が頭に浮かびました。令和2年7月の熊本豪雨により、見事に実家が水害の被害を受けました。写真は当日の実家二階からの写真です。もう5ヶ月が経とうとしています。早いものですね。

実家は両親がデコポン農家を営んでおります。土地が河川の目の前にあり濁流を直に受けたため状態は悪く、悲惨な状態でした。

早急に災害処理をしないといけないのに、私は小さな子供がいるため、被災地になかなか行けなくて、ソワソワする毎日でしたが、そんな中、家族以外のたくさんの方も足を運んでくださいました。たくさんの方が励ましのメッセージをくださいました。

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被災者の方々は水害があった翌日から休むことなく作業をされ、疲労も感じれないほどの精神状態で過ごされたのだと思います。水害は3つの戦い。

泥や水を吸った災害ゴミの重さとの戦い。カビや臭いとの戦い。時間との戦いです。男手が必要な作業でした。

70代の父も家の主人として毎日作業をしていましたが、70代ではキツイ。みんながそう口にしていました。兄夫婦とともに協力をして、時に沢山意見をぶつけ合って、小さい子供たちを想って毎日毎日を過ごしたのだと思います。私はそこに住んではいませんが、2016年の熊本地震を経験しており、被災された方の心中を察するばかりの毎日でした。


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母屋から農家の作業小屋、畑まで悲惨な状態でしたが、実家は予想以上の速さで片付けが進みました。遊園地で入場者数を数えるのと同じことをすれば、水害発生から1ヶ月の間、実家には100人以上の方が出入りをしてくれたのです。

まさにこの目で人が人を想うエネルギーを見ました。本当にすごかった。ありがたかった。私が生まれ育った家をみんなが身体を汚しながら片付けをしてくれている。何度も心が動かされました。

実家の家をどうするか

実家の家族は先の世代を考え、衛生的に状態が悪いので、解体して建て替えをする事を決断しました。その決断は父の心を苦しくさせました。そのような方が沢山沢山いらっしゃるのだと思います。

田舎で実家を長年に渡り守ってきた父。父の世代の田舎の跡取りというものは、今の時代とは違う重荷があった。代々続いた先祖の想いを背負って、分家を守るためにも本家がしっかりしていないといけないと、苦しい時代も歯を食いしばって生きてきたわけです。

実家の“家”という目に見える形は父の人生のストーリーで、生きた証なのです。父の心を労いながら決断を称えました。

あれから5ヶ月が経とうとしています。時の流れは早いものです。実家は二世帯が暮らす同居で、子供を含み8人家族なのですが、9月の半ばに仮設住宅に入る事ができ、腰をおろす場所が確保され、今安心して過ごしています😊

空っぽの実家

水害によって実家は空っぽになりました。神様や仏様がまだ座ってらっしゃるので、毎日出入りをしてはいますが、骨組みもまだあるのに、感覚では何にもない更地のような気分です。

このような事が二度とないことを願うばかりです。まだまだ被災処理の最中の方も沢山いらっしゃいます。被災された方が健康である事と沢山の笑顔の毎日である事を心よりお祈りいたします。また亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

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小さい頃のアルバム

水害の被害で私たちの小さい頃のアルバムも無くなりました。家の泥出しが優先される中、細々した作業はどうしても後回し。実家に作業に行った時、アルバムをどうにかしようと自宅に持ち帰りましたが、アルバムは泥水を吸って、臭いもひどいしカビが生えていました。80年代の写真はインクがにじんで、取り出す事も困難でですね。残念。

映像の残る数枚の写真をiPhoneのカメラで撮ることしかできませんでした。そしてアルバムをゴミに出したその時、悲しいけど、過去の自分とさよならをした気持ちになりました。それは、今まで私が経験した楽しい事…では無く、苦しかった事、恐かった事です。何度も何度も乗り越えたと思っては繰り返し出てきた負の感情。

私が問題にぶつかる時に出てくる悪い邪気の出所になる源。そこに対してきちんと整理ができ、お別れができました。心の深いところに20年も抱えていました。

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今は亡き、祖父母とともに生活した時代はとても幸せでした。今でも祖父母は空から私を応援してくれてるでしょう。

昭和という時代。携帯のない時代は不自由に思われるかもしれないけど、そこには今は薄れた人を信じ切る想い、人を想うエネルギーが沢山ありました。

この時代にも ありがとう と感謝の想いが溢れます😊

また書きますね☺︎

そして続き↓



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